保湿系トライアルセット

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新と千早の大学生活



 帰りの電車の中、新と千早はあまり言葉を交わさずシートに腰掛けている。少し前に「原田の口が重ければ重い程、三笠の抱える事情は深刻なのでは」と話した事があったが、原田の口は二人の予想以上に重かった。新はもう一度、原田が言った事を頭の中で反芻する。

 『……やあ、千早ちゃんにメガネくん。大学の方はどうだい?』
 白波会の練習場からのしのしと出てきた原田は、聞きたい事があると切り出した二人をロビーの隅に誘った。
『あの、おれらんとこの大学祭に来られた時、原田先生……うちの先輩に柏木くん、って呼び掛けてましたよね』
 新の言葉の調子は質問ではなく、自分も耳にした事だと暗に告げていた。腕組みをしている原田の顔から笑みが消える。
『君らの事だから、何か理由があって聞いてきてるんだろうけど。ぼくが直接知っている……いや、知って”いた”のは彼のお父さんの方なんだ』
『……そのお父さんって、今はどうされてるんですか?』
 千早の問いに原田は目を伏せて小さく首を横に振った。
『随分前に……亡くなられたよ。ただ……よそのご家庭の事だから』
 それ以上は何をどう聞いても原田から答えは得られず、二人は白波会の練習場を後にし、新の部屋へ向かう電車に乗った。

 (原田先生、さっき物凄く悲しそうやった。もしかして三笠先輩のお父さんは、事故とか病気と違うて、自分の気持ちに簡単に整理付けられそうにない理由で亡くなったんやろうか? ……その頃先輩っていくつやったんやろ。……引っ越してじいちゃんと離れるの、おれ六年生やったけどひっで嫌やったもんなぁ……)
 古い記憶が脳裏に甦る。やっと東京で友達が出来て一緒にかるたが出来たのに、福井に帰らなければならなくなった時、十二歳だった新は一時期、煎じ詰めれば何もかも父のせいではと考えた事もあった。
(そもそも父ちゃんがじいちゃんと喧嘩して、引っ越しなんかせんかったら、おれ二度も悲しい思いせんで良かったんやー、とか思ってたな。……ガキやったなあ、おれ。……え、ちょっと待ってや? ……今、なんか頭に引っかかった気する。何や? 何に引っかかったんや、おれは?)
 新は軽く目を閉じ、東京に引っ越してくる直前の記憶を辿る。父と祖父はそれ以前もかるたの事に関しては仲が良くなかったが、引っ越しの決定打となった大喧嘩の時、父は何と言っていただろうか。
『かるたのせいで、おふくろは長生きできんかったんやが!』
(───ほや……こないだ千早と『そもそもかるたがなかったら、こんな事になってえん』って思うもんやろかって話したとき、何でか覚えがある気したの、父ちゃんが言った事あったでや……)
 ただし父がその感情を剥き出しにしたのは実父に対してのみだ。新に対しては経済的な理由から東京の大学進学に一時的に難色を示した程度で、その問題に目処がついて以降は特段何も言っていない。精々「かるたの細かい話は難しいで分からん」と逃げる程度だ。

 「……千早。さっきの原田先生の話やけどの、おれ少し分かったかも知れん」
 千早が無言で視線を向けてきた。
「じき電車着くし、部屋戻ったら話すわ。……もしかしたら話があっちこっち飛ぶかも知れんけど」
「……うん」
 ただこの推測が当たっていたら、一体自分達はどう動けばいいのかそれが分からない。三笠が部内でしている事は一刻も早く止めたいが、彼を説得できる言葉が見当たらないのだ。
「……」
 隣に座る千早に視線をやりながら新はさらに考える。
(おれがかるたから離れた時は、千早と太一が来てくれたけど……三笠先輩には居らんかったんやろうか、そういう人。居ったけど届かんかったんやろうか。……いや、ちゃうな。おれらがそうなればいいんや)
 一度では届かなくても、何度でも働きかける事はできる。しかも側には千早という「先達」が居るのだ。そう思えた途端、乗っている電車の天井がなくなったかのように心が軽くなった。
「雨垂れ石を穿つ、やな」
「え、何が?」
 つい声に出していたらしい。千早が目を丸くして自分を見ている事に気がつき、新は笑みを返した。

 「……それで、新。分かったかも知れないってどんな事?」
 部屋に腰を下ろすやいなや、千早は新に電車の中で考えていた事を話して欲しいと口を開いた。新は対面に胡座をかいて、まず自分の鼓動や呼吸が落ち着いている事を確かめてからゆっくり話し始めた。
「まず、三笠先輩のお父さんの事やけど。原田先生があそこまで言葉濁してたんやで、家の中で色々問題があったんやろうってのは分かるやろ? ……言いにくいけど、亡くなったっていうのは、お父さんがその事に耐えられんかったって意味なんでないかって思ったんや」
「新、それって……」
 千早もはっきりした単語は口にしたくないらしい。新は頷いて話を続けた。
「それ考えてた時、おれふっと、先輩その時何才やったんやろって思っての」
 そう言って新は自分が東京に転校する直前の、福井での話を始めた。
「うちの父ちゃんとじいちゃん、昔よう喧嘩してて。まあ、おれの転校も実はそれが原因やったんやけど。……笑うかも知らんけど、昔な? おれが福井離れなあかんかったのも、東京から帰らんとあかんかったのも、父ちゃんが喧嘩したせいやって思ってた時期あったんや。……喧嘩のせいでおれ二度も友達と離ればなれやー、って八つ当たりしてるんやし、ひどいガキやの」
「私さ、転校した事ないから新の気持ち全部分かるとは言えないけど……。新が福井に帰るって聞いた時、私もすごく寂しかったから誰かのせいにしたかったって気持ち、何となく分かる」
「……ありがとう」
 新は穏やかに笑って先を続ける。

 「東京に引っ越す原因になった喧嘩ん時、父ちゃん言うてたんや。かるたのせいでおふくろは長生きできんかったんや、って。ちょっと前に、千早と話した事あったやろ。もし誰かが大会出場邪魔しようとかで、おれらに怪我させたりしたとして、おれらはかるたそのものを嫌いになるやろうか、って話」
「あ、うん。そこまでは思えないかも、って言ったよね」
「おれそん時は言葉までは思い出さんかったけど、父ちゃんが言うてた事がそれやったんや。……言うたら、三笠先輩とうちの父ちゃんは似たような事思ったって事やの」
「けど新、新のお父さんは新にかるたをするなって言ったり、力ずくで止めさせたりしてないでしょ? 東京での試合だって見に来てくれてたって言ってたじゃない。全然違うよ」
 新の父は三笠のような妨害はしないと千早は言い張る。
「ありがとの。……実際、千早の言う通りなんや。父ちゃんはかるたの事の文句、じいちゃんにしか言うてえん。親子やで遠慮なしやけど、感情を向ける相手を間違えんかった。……そこが、三笠先輩と違ったんや。まあ、おれにも一回だけあったけど」

 新は話が重くならないよう、父が新本人に対して一度だけかるた絡みで難色を示した「高校選手権で優勝したら東京の大学に進ませて欲しい」と頼んだ時の事を千早に話して聞かせた。
「後で母ちゃんから聞いたんやけど、東京やと学費嵩むでって、おれの試合、決勝……詩暢ちゃんとの試合までずうっと二人して『負けろ』って祈ってたっちゅうんやでのぉ」
「でも新が今ここに居るって事は、認めてくれたって事だよね?」
 新が頷き、祖父が積み立ててくれていた学資保険で目処が立って以降は特に何もないと話すと、千早はにっこりと笑う。
「……まあ、父ちゃんと三笠先輩の共通点と違うとこは今言うた通りやけど、そうなると三笠先輩の抱えてる問題って、酷く深いって事になるやろ。勿論お父さん亡くしたら辛いのは当たり前やけど、もしかしたらその他にもなんかあったんかも知れん。……そう思ったら、おれらに何が出来るんやろうって、ちょっと思ってもて」
 千早はじいっと上目遣いになって新を見てくる。
「そう言ってる割に新、なんか顔が明るいんだけど。……それに電車の中で何か言ってたよね? 何だっけ、雨がどうとかって」
「雨垂れ石を穿つ。……おれがかるた止めてた時、千早と太一が福井まで来てくれたみたいに、三笠先輩にはそういう人えんかったんかなって思ったんやけど、千早見てて考え変わったわ。……おれらがなればいいんやもんの。一度では届かんくても、二度、三度……先輩に届くまで」
「新……うん、私も頑張る。先輩がかるたをまた好きになれるまで」
 気持ちが定まった千早は試合の時のような表情を浮かべた。
「三笠先輩の策って、おれと千早どっちを崩してもいいって話やったけど。よう考えたら逆も同じやな。……先輩に声が届くのは千早でもおれでもいいんやし」
「……今はもっと有利だと思うよ? 巽先輩や出水先輩、相模先輩に三室くん。かるた好きの『雨垂れ』増えてるもん。きっともっと増えてくよ。そしたらもう、雨垂れじゃない。……大きな流れになって、三笠先輩に届くと思うなあ」
 千早の言葉に新は一瞬だけ目をまたたかせ、それから大きく笑った。
「五月雨を集めて早し最上川、か。千早、さすが教育学部やの」
 芭蕉の句ではないが、自分達「雨垂れ」も集まっていけばやがて強い流れとなって三笠の心に溜まったままの澱を洗い流す事が出来るかも知れない。いや「知れない」ではなく流すのだ、と新は心の中で強く言い切った。



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written by Hiiro Makishima