保湿系トライアルセット

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新と千早の大学生活



 「綾瀬、綿谷。ちょっといいか」
 練習場でアップをしていた二人は出水に呼び掛けられ、ストレッチを止めて近くに腰を下ろす。今日は出水の他にも出席者は結構多いようだ。巽の姿も見えるが、まだ声が上手く出せないらしく、表向き風邪で喉を痛めたという説明が出水からなされていた。
「お前ら今度の選手権エントリーしてるけど、団体戦はどうすんだ?」
「……本音を言えば出たいんですけど、人数の不安がちょっと……」
 千早が答える。三室が入部したとは言え、彼はようやく百首を覚えたかどうかという正真正銘の初心者だ。個人戦にエントリーしていない他の先輩達が団体で出たいかどうかも未知数なだけに、現時点では何とも言えないところだった。
「あと、おれは団体戦ってあんま経験ないんで、そこもちょっと気にはしてるんです。練習するにも人数要る話やし」
 実際、新がチームで戦った経験は数える程だ。新自身の力量で勝ち星を一つ上げる事は出来たとしても、五人一組の団体戦では千早の他に最低あと一人勝たなくては次の試合にコマを進める事が出来ない。
「ふむ。……けど、いずれは出ようって考えだって事でいいのか?」
 その問いには二人とも即座に頷いた。

 「よし、じゃあ今日は人も多いし、団体戦想定して練習してみるか」
 出水は練習場の全員に集合を掛けた。
「今日の最初の試合な、紅白戦にするぞ。まあ流石に五人チームは今無理だから、三人一組で対戦って事で」
 出水がチーム分けを発表した。巽たち二年生三人が紅組、対する白組は千早と新、それに三室の一年生チームとなった。
「あ、あの……先輩。ぼ、僕じゃ二人の足引っ張るだけだと……」
 A級の新や千早には及ばないにしろ、二年生三人は全員B級選手だ。三室はおたおたと出水に言葉を返した。
「大丈夫だろ。代わりにA級二人、そっちに付けてあるんだしな。もしかしたら二人ともS級って言っていいだろうし。……綾瀬、お前そっちのチームの中では一番団体戦経験あるんだから、引っ張っていけよ。綿谷はそれで団体戦の空気掴めるだろうし」
 出水は声を落として、二人が勝てば三室はチームとして勝つ経験も出来ると付け加えてきた。
「はい! じゃあちょっと作戦会議してきます。……新、三室くん、ちょっとこっち来て」
 千早は二人を練習場の隅に連れていき、車座になって話を始めた。

 「まずね、向こうは全員B級だから、紅組の並び順は気にしなくていいよ。で私達は、三室くんを真ん中にするのがいいんじゃないかな。団体戦は格上の選手とも試合出来るチャンスだから、思い切ってぶつかってみて」
「は、はい……」
 三室はまだ落ち着きがない。
「千早、おれらで三室くんを挟んで座るってのは何でなんや?」
 新の問いに千早は笑って答える。
「団体戦って、声出してくじゃん。試合慣れしてる私達で三室くんを挟んで盛り上げてくの。もちろん新も声出してね?」
「……って、札取った時の『キープした』とかそういうやつか?」
 千早は頷き、一勝した時にも「白組一勝」と大きく言ってねと付け足した。
「今日は三人でチームなんだから、上げる勝ち星もチームの一勝、取る一枚もチームの一枚だよ」
「分かった。精一杯やってみるわ」

 「まあ、そんな所かな? 三室くんはとにかく落ち着いて、一枚ずつ取っていく。隣から札飛んできても、気にしなくていいから」
 三室は深々と頷いた。
「新、札合わせの指示お願い。私達の中で一番流れ読めるし」
「ん。ほしたら……終盤入ったら何の札が動いて、何送ったか言うで送り札出すの、少し待ってな? まあ考えてる振りしてれば大丈夫やろ」
 三室がきょとんとした顔をしているのに気付き、千早は「札合わせ」という団体戦ならではの戦い方について、三室が一番良く覚えている「あらしふく」で簡単に説明する。

 普段「移動します」としか言わない所を、例えば「『あらし』移動します」と告げる事で、誰が何の札を持っていて、何の札を送ったかをそれとなく教え、チームメンバーの持ち札を同じにする。特に今回は三人一組だから、運命戦になった時でも自陣を守りきればいい。
「もちろん、三室くんもだよ」
「え、僕もですか?! ……けど、早々に負けちゃうかも知れないのに……」
「戦う前から負けるかもとか言(ゆ)ったらあかん。次言ったら本気で怒るざ、おれ」
 入部時に告げた通り、新は厳しい声で三室に返す。千早も黙って三室の顔に視線を投げかけた。
「はっ、はい!」
 気を引き締めなおした三室がしゃきっと背筋を伸ばす。新は表情を緩めて頷き返した。
「よし、じゃあ円陣組んで」
 立ち上がった千早が二人に手を伸ばす。新と三室も腕を伸ばして肩を組む。三人の額がぶつかりそうな程近づいたところで、千早が先陣を切った。
「いーい? ……白組、勝つよおっ!」
「おうっ!」
 新は声を張って千早のリードに応える。一瞬遅れて三室もつっかえながら声を出すと、円陣を解く前に新と千早の手が三室の背中をパン、と叩いてきた。

 円陣を解いた三人は話し合った通り三室を挟む格好で席に着いた。対する二年生は新の前には巽が、千早の前には相模が座っている。
 三室が向かいに座った時、残る一人の二年生である吉野が勝ち誇ったような顔をしたが、新や千早の視線に気付き慌てて表情を消す。先日、出水の茶室で新に思いっ切り横っ面を張られた記憶はまだ生々しく残っているようだった。
「お願いします」
 向かい合わせの六人が揃って一礼し、札を開き始めた。作戦会議の間に出水が紅白戦に使う札を予め揃えておいたらしい、決まり字の長い札が多い札配分になっている。
「……」
 新が隣にちらりと目を向けると、三室の配置はこの間相模から教わったものを左利き用にしてあるようだった。横で見ていて気の毒な程緊張しているのが分かり、千早は左手を伸ばして三室の右肩をぽんと叩いた。
(三室くん、深呼吸)
 暗記中は声を出せないため、千早は身振りで深呼吸するよう三室に伝える。意図は通じたらしく、三室は何度も大きな呼吸を繰り返して落ち着こうと頑張り始めた。

 「暗記時間、あと二分」
 千早はいつも通り素振りを始める。三室も彼女に倣うが、どうにも緊張は抜けないらしい。今度は左隣から新が三室の肩を軽く掴んだ。
「肩の力抜きね。いつも通りでいいんや」
「っ、はい」
 新は一つ頷き返し、いつもの通り心の中にイメージを描く。以前はあの古いアパートの部屋を思い描いていたが、最近の新はそれに加えて、大学に入ってから千早と取った試合をいくつか思い描いたりもしている。
(……千早と取るのはいつも楽しいんやし、一つに決める必要もないなぁ……おれ欲張りやし、いいやろ? じいちゃん)
 記憶の中の祖父が「しょうがねえのぉ、新は」と苦笑いしているような気がして、新の顔にも笑みが浮かぶ。

 「……始めます」
 ひとつ咳払いをして出水は「難波津」を詠み上げ始める。
(さあ、始めよっさ。おれら一年坊主チームの初戦や……どんなかるたが取れるんかの、楽しみや)
 新と千早がぐっと身構えると、三室もまだ不慣れながら左手を競技線ギリギリに置いて構えた。
「あけぬれば──」
 パン、と小気味よく札を跳ねる音が響く。
「よっし! こっちキープしたよっ!」
 千早がまず声を上げる。
「おれもや。三室くん、次、思い切って一枚行こっさ!」
「は、はい!」
 二人に励まされ、三室は額の汗を拭いて構え直した。

 新は横目でちらりと三室と吉野の配置を眺めると、吉野の右上段に「あらしふく」が置いてあるのが見えた。
(入部した日に言うてたな。自分の名前が入ってるで一番覚えてるんやって。……逃したらあかんざ、それだけは)
 出水が次から次へと札を詠んでいく。巽のような朗々とした響きではないが、出水の声もしっとりとした柔らかい響きを持っていた。
「──あらしふく」
「や、やった! 取れた!」
 千早と新が札を払った一瞬のち、中央の席から大きな声が響く。払った札を拾おうと席を立つと、「あらしふく」を両手でしっかり握りしめている三室の姿が視野に入った。
「三室、ナイスや」
「やったね、三室くん!」
 両隣から声を掛けられた三室はどちらを向いていいのか分からなくなり、困ったように首を振ってしまう。
「さあ、連取行くよっ!」
 千早のかけ声に、今度は新と三室が同時に答えてきた。

 紅白戦は二勝一敗で一年生三人が勝ちを収めた。三室も何枚かいい取りを見せたが、やはり経験の差で吉野に大きく水を空けられてしまい、白組の「札合わせ」は結局、千早と新だけで行った。休憩に入り、三人で自販機スペースに向かう。
「千早、一番声出してたし疲れたやろ。……ほら、これ」
 新が差し出してきたスポーツドリンクを礼を言って受け取り、喉を鳴らして一気に飲み込んだ。
「ふうっ、ありがと。……あ、そうそう。三室くんやったじゃん。『あらしふく』バッチリ取れたよね」
「うん。千早とかおれにも『あらし』は絶対渡さん、って三室が絶対取るんやって札増やしていけば、どんどん強なるざ。……どうかしたんか?」
 きょとんとしている三室に新は呼び掛ける。
「え、あの……綿谷くん、僕の事『三室』って」
「あ……呼び捨て苦手やったっけ。ほやったら戻すけど」
 三室は必死にかぶりを振って、何だか嬉しかったのだと話す。もっとも三室本人は子供の頃からこんな口調だから、自分が口を開く時に砕けた言い方をするのは逆に難しいんです、と言葉を継いできた。

 「なんだ、お前らもここだったか。お疲れ」
 やはり飲み物を買いに来たらしい出水が片手を上げてやって来た。
「お疲れ様です、出水先輩。そう言えば先輩の詠みってナニゲに初めてでしたよね」
「ははは。目の前に巽が居たから、やりづれえの何のって。ま、お前達も俺の声に耳が慣れてないって意味じゃ紅白戦には公平だったろ。……綿谷、どう思った」
 出水はからから笑いながら紅白戦の感想を求めてきた。
「おれ自身はそんな変わらん気するんですけど、千早は序盤慎重になってた感じはしましたね」
 出水の詠みの癖を掴むまで、千早は普段ならもっと早く飛び出している何枚かを、決まり字ギリギリまで待っていたように新には思えた。
「だって今日は、取る一枚はチームの一枚だし。キッチリ取って、他のみんなのプレッシャー楽にして行けるから」
 団体戦慣れしている千早はさらりと答える。
「けどやっぱ、千早は流石やな。声出して盛り立ててくの上手いし、声よう響くで、こっちのペースに持ってきやすい感じしたわ」
「ただ逆に言うと、綾瀬が崩れるとチームのペースが乱れちまうって事になるな。メンタルは綿谷の方が安定してるようだし、そこをどうカバーするかが今後の課題じゃねえかな」
 やはり出水はよく見ていた。
「ほうですね。何べんかこういう形式で練習して、色々試してみんと……」
 ただ今のかるた部の人数ではなかなか難しい。出来れば他大学と合同練習がしたいところだとは思うが、どこも今の時期は大会前の追い込みの筈だ。太一の先輩に当たる小石川が合同練習の話を受けてもいいとは言ってくれているが、現状ではまだ難しいかも知れないと新は小さく溜め息を吐いた。

 「まあ焦る事はねえさ。二人はまず目の前の個人戦に向けて調整しねえと。お前らの事だ、どうせ決勝で当たるつもりで出るんだろ?」
 表情こそ普段通りだが、出水の口調は真面目なものだった。
「もちろんです。って言うか全部勝ちます」
「全部? ほんなもん誰が譲るんやし」
 千早の言葉に新がやり返すと、千早はムキになって更に言い返してくる。一歩も引かない言い合いを見た三室がおずおずと出水に問い掛けた。
「あの、先輩。……二人って恋人同士って聞いたんですけど……」
「そうなんだがなあ。かるた絡むと二人とも毎回こうだ。……かるたバカ、いや『かるたバカップル』ってとこか?」

 出水の答えに吹き出しそうになるのを三室は口元を押さえて必死に堪えたが、結局我慢しきれずに身体を折り曲げて笑い出す。ようやくそれに気付いた新と千早が言い合いを止めて真っ赤になった。
「ほら、休憩終わるぞー? 早く道場入れよ、かるたバカップル」
 からからと笑いながら出水は三室を連れて先に練習場に向かう。
「……出水先輩、気にいっつんたんかの、あの呼び方……。ま、いいか。戻ろっさ千早」
「あ、うん。どっちみち二人とも止める気ないしね。かるたも……私達もね」
 顔を見合わせて小さく笑い、揃って練習場へと歩いて行った。






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written by Hiiro Makishima