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「あーっ、もう! 何で新みたいに素早く左右渡れないんだろ……」 新に付いてもらって渡り手の練習をしながら、千早は心底悔しそうに言う。 「……いきなりは誰かって無理や、ほんなもん。……他の技かって、練習して上達させてきたやろ?」 それでもやはり千早の運動神経の良さには感心せざるを得ない。普段は「感じ」の良さを活かして当たり札にまっすぐ手を伸ばしているのに、速さは足りていないものの、渡り手「らしい」取りを見せ始めていた。 (まあ、ほんでも渡り手では負けんけど。……って言うかおれの渡り手はじいちゃん直伝やし、誰相手でも負ける訳にいかんけど) 「一息入れね。じき部活終わる時間やし」 「うん。練習付き合ってくれて、ありがとね。……でも、新の練習にはならなかったよね……ごめん」 新はふっと笑み、千早の頭を軽くポンと叩く。 「いいんや。……ほやなぁ、気が済まんのやったら、またおれと取ってや。ほんでチャラやろ?」 チャラというにはお互いにお得過ぎる、と千早はクスクス笑い、言われた通りクールダウンの運動を始めた。 着替えを済ませて外に出ると、新を呼び止める声があった。 「……何ですか、伊勢先輩」 「あの、えっとさ。……ちょっと二人だけで話したいんだけど……」 「ここでやったらいいですけど。……おれ、千早待ってるとこなんで」 さっきの相模の一件もあり、うんざりした気分の新は敢えてそう答えた。案の定、千早の名を聞いた伊勢は一瞬不機嫌そうに顔を曇らせたが、即座に表情を立て直す。そういう立ち直りの早い面をかるたで発揮すればいいのに、と新は心の中で思った。 「あの子のどこが好き? ……やっぱり、美人だから? それともスタイルいいから、かな」 両手を背中の後ろで組んで、上目遣いで言ってきた。その仕草から言外に「私だって悪くないでしょ」というアピールが見え隠れして、新を更にうんざりさせる。 (何かわざとらしい、ちゅうか……) 首を傾げて伊勢が自慢らしい巻き髪を揺らすと、香水だか何だかの匂いを感じたが、千早と全力で取った試合中の畳や、時々感じ取る汗の匂いの方がよほど魅力的だ。ただ新自身それでは危ない人のようだ、とその考えを一旦頭から追い出した。 「……ほんなら逆に聞きますけど、先輩はおれの何がいいんですか」 多分相模に好みのタイプを聞けと頼んだのは彼女だろう。それなら自分が伝えてくれと言った答えも知っている筈だと新は質問に質問で返した。 「えっ、それはさ。ほら……綿谷って背も高いし、格好いいしさ……? 今、綾瀬と付き合ってるのは知ってるけど……」 「つまり千早の代わりに先輩と、って話ですか」 「ん……その、出来たら。……どうかな」 新の言葉を脈有りと見たのか、伊勢が一歩距離を詰めてくる。 「そう言うてる割には、おれが一番好きなかるたの事は何も言うてませんね」 新の口調はあくまでも硬い。相模から話を聞いていないとしても、見た目の良し悪しにしか言及せず、しかも自分に乗り換えろと言いたげな伊勢の言葉は新から手加減という単語を忘れさせるに十分だった。 「言うときますけど、千早に好きやって言うたのはおれの方です。……ずっと一緒にかるたしようって昔言うた事を守るために、離れとった間も努力を続けて、同じA級に上がって。おれが名人目指してるのと同じに、千早もクイーンになるんやって頑張り続けてます。ほやのに真っ直ぐさは昔と変わらんくて。……そんな千早やから、好きなんです」 千早について話す時だけは滑らかになる新の口調に伊勢の表情が険しくなる。それに気がつかない訳ではなかったが、新は敢えて黙殺した。 「じ、じゃあもし私が同じようにしたら付き合ってくれる?」 意地なのか何なのか、伊勢はなおも食い下がってくる。新はあからさまに溜め息を吐くと表情を消して口を開いた。 「先輩やからって、おれが千早を好きやっていう意志は無視ですか? ……ほんなら部の後輩でのうて、A級選手として言わせて貰いますけど……そういうのは同じ努力が出来てから言う事でないですか? それにご褒美ないと頑張れんのも、何か違うと思います」 「な、何よ……じゃあ綾瀬は出来てるっていうの?」 「はい。おれ今まで一度もかるたの事で、千早に頑張ったご褒美にどうこうするとか言うた事ないです」 今度は新も即答だった。 「ついでやで言いますけど、仮に千早と恋人でなくても、おれは今の話、断ってます。……ここまで答えたのは、またその話蒸し返されんのも、この事で千早に何か嫌がらせされんのも、おれが嫌やってだけです。……まだ何か聞きたい事ありますか」 「い、いいわよもう!」 甲高く一声投げつけて伊勢は走り去った。 「はぁ……なんか、疲れた」 腹の中に溜まった鬱陶しい感情を新は息に込めて長々と吐き出した。 「……あ、新。ごめん、待った?」 スポーツバッグを担いだ千早が練習場からタイミング良く出てきた。正直、さっきの話の途中で出て来なくて良かったと思ったが、ふとそのタイミングの良さに疑問を感じた。 (今の話、千早が聞こえてない訳ないよな。……終わるの、待っててくれたんや) 「そんな待ってもえんよ。帰ろっさ」 千早を促して正門へ向かう。 「ねえ、新。……ちょっと聞いて欲しい事あるんだけど、いい?」 「……いいけど、何や?」 千早は少しだけ言葉を探すように中空を見上げ、それから新に真っ直ぐ目線を合わせて口を開いた。 「部の事とか、いろいろ……一人で抱え込まないで。須藤さんの忠告の時も、私がショック受けないようにって新は色々考えてくれたし、今日だって間に入ってくれたりして凄く嬉しいんだけど、それで新がかるたに集中できないのは嫌なんだ。……私も新にはちゃんと話すから、新も私に話して欲しいの。一緒にかるた続けていくなら、問題も一緒に乗り越えて行きたい」 落ち着いた声音できっぱり言い切る千早の瞳は揺るがない。一緒に乗り越えたいと言われた事で、やはり今まで気持ちのどこかに自分がどうにかしなければという気負いがあったと新は気付かされた。 「うん……話す。……心配かけて、ごめん」 「……まあ、その……私そんなに頭良くないから、大した力にはなれないかもだけど、さ」 照れたのか千早は早口にそんな事を言って笑う。 「いや、おれも今、千早の言葉聞いて何か楽になった。……ちゅう事は、それまで無自覚に気負ってたって事や」 新もようやく笑みを浮かべた。 「帰ろか。……話す事、いっぱいや」 千早の自宅への道を歩きながら、新は今日起きた事を話していく。 「……相模先輩にあんな事聞かれたのも面倒やったけど、伊勢先輩は輪を掛けて面倒臭いわ……自分から部内に敵作る事もなかったんかも知れんけど、流石にウンザリしてもて。……この事で千早に何か起きるのは嫌やって言っといたけど、効き目あるんか微妙や。何か言われたらごめんな……」 あの断り方が果たして正解だったのかどうか、新にも何とも言えなかった。 「そうだ、先輩に聞いてみようか? 確か二試合目の前に来てたよね」 「……んー、ほうやなあ。おれらが自販機のとこに居た時の事、何か見てるかも知れんなあ……って、出水先輩からメール届いてるわ。……何やろ」 新は携帯のメール画面を開いてみた。件名は「とりあえず」とだけ書かれている。 『いくつか報告。相模には俺から別口の合コン話を振っといた。二年の男から相談に乗ってくれって言われてるからちょっと行ってくる。敵味方はまだ不明、その話で何か分かるまでお前らは俺に電話するなよ? こっちからメール入れる』 「ああ、ほんで急に相模先輩の機嫌良うなったんか……ほやけど今は電話あかんみたいや。ほら」 新は携帯のディスプレイを千早に見せた。 「ほんとだ。残念。……でも凄いよね、味方になるって言ってくれてまだそんな経ってないのに、もう何人か食い止めちゃうなんて」 「うん、心強い。……けど、先輩に頼りっ切りって訳にもいかんし、おれらはおれらで出来る事頑張らんとな」 頷きあってから、千早にお休みを言って新は家路についた。 自室に戻った新はドサリと床に寝転んだ。 「おれに出来る頑張りって何があるやろ……かるたやったらいくらでも努力するけど、今日のはどうしたら良かったんかなぁ……本気で分からんわ」 天井を見上げながらあれこれ考えてみるが、伊勢に対してどうしても好意的な解釈が出来そうにない。頭を切り換えようと起き上がり、風呂の用意でもしようと思っていたところに、鞄の中の携帯が着信を知らせてきた。 「はい、綿谷です。……あ、巽先輩。こんばんは」 『お疲れ。一つ朗報があってさ』 「朗報ですか?」 『学祭の試合見たって言う入部希望者がさっき、俺んとこ来た。初心者だけどいいですかって。二人と同じ一年だ』 「……本当ですか?! 良かったぁ……」 一気に気分が浮上するのが分かる。 『で、凶報も一つ。……何か伊勢がやたら荒れてんだけど、お前何か言った?』 「あー……ほんな予感はしてました。……聞いてもろていいですか、先輩」 新は今日の一件を巽に洗いざらい話した。 『あっはっはっは。そりゃ荒れる訳だ』 電話の向こうで巽は爆笑している。 「ほんな大笑いせんといて下さい、先輩……。正直、どう断ったら良かったんか、おれも分かりません」 笑い事ではないのだが、巽が笑い飛ばしてくれたおかげで安堵もしていた。 『放っといていいと思うぞ? ……一応二人とも、挨拶とか礼儀ちゃんとしておけば、伊勢が何言ってきても周りがまず信じないだろうからさ。まあお前も綾瀬も、普段からその辺はちゃんとしてるけどな』 「そうします。教えて下さってありがとうございます」 『いやいや、俺も盛大に笑わせてもらったし。……二人も自分の練習あるだろうけど、新入部員、あ、三室って名前だけど、そいつの手助けもしてやってくれ』 「はい、精一杯やります」 『じゃあ綾瀬にはお前から話しておいてくれ。明日は練習日にはなってないけど、三室も入部手続きで練習場に来る筈だし』 「分かりました。ほんなら明日、練習場で」 『うん、じゃあな』 電話を切ると、新は早速千早の番号を呼び出す。 (千早、喜ぶやろな……どんな人やろうな、三室くんて) こんな時間でなかったら、直接顔を見て言いたかったが、その気持ちを抑えて新は通話ボタンを押した。 |