保湿系トライアルセット

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新と千早の大学生活



 朝。新の部屋の呼び鈴がピンポンピンポンとけたたましく鳴る。
「……はい?」
 ドアを細く開けた先には千早が立っていた。
「おはよ。……て言うか鍵持ってるんやし、ピンポン押さんでもいいやろに」
「……あ」
 完全に失念していたらしい。新は笑いながら千早を中へ通した。

 「早起きはいい事やけど、入部希望者が練習場来るの授業の後やよ?」
 千早に暖かいお茶を手渡しながら言う。
「それは分かってるけどさ、なんかじっとしてられなくて」
「まあ、気持ちは分かるけどの。……ほやけど昨日一日、まるでジェットコースターや。いい事と悪い事と。夕べ、電話では言わんかったけど、巽先輩からちょっと伊勢先輩の話も聞いたんや。寝られんと悪いで、この話は今日しようって思ってたんやけどさ」
 千早は湯飲みをテーブルに置いて、話を聞く姿勢に入った。
「昨日あれから、先輩えらく荒れてたんやと。……ほやでおれ、何があったか巽先輩に全部言うたんやけど、……爆笑されつんた」
「……えっ?」
 千早の目が丸く見開かれる。
「や、笑われたおかげで少し気楽にもなれたんやけどの。先輩、挨拶とかだけちゃんとして後は放っとけばいいって言うてた。……自分の事やで分かりづらかったけど、言われてみればそうやなあって」
 こちらが礼儀正しく堂々としていれば、伊勢が何を言ってきても周囲は簡単に信じないだろう。それに昨夜の会話は初めから彼女に分が悪いものだった。
「いきなり千早の何がいいんや、って聞いてきたで、おれ正直に答えただけやし。……何であんな見てくれにばっか拘るんやろの」
 さっぱり分からんと溜め息を吐く新に、千早は「夕べお姉ちゃんに聞いてみたんだけど」と答え始めた。実際千早が姉に尋ねたのはルックスのいい太一を紹介しろと言ってきた別の先輩に関してだが、伊勢もその中に含まれる。

 「お姉ちゃんがね、ブランドの服や靴を好きな人って二通りいるんだよって教えてくれたんだ。一つはそのブランドが大好きで愛用してる人。もう一つは『高いブランド物を持ってる私』が好きな人、だって。それは人間関係にも言えるって」
 モデルから芸能人になった千歳の例えは的確だった。
「……て事は、おれは鞄とかと同じ扱いか。……あほくさ」
「うん……でね、お姉ちゃんが言うには『そういう子は、新作が出ると飛びつくのと同じで、もっと好条件の男がいればすぐ乗り換えたりする』って。……お姉ちゃんにしては何かすごく怒ってたなあ。あ、いやお姉ちゃんよく私には怒るけどさ、何か昨日のは違ったっていうか……上手く言えないけど」
 一人っ子の新には推測しか出来ないが、何となく千歳の不機嫌さは姉だからではないかという気がした。伊勢の誘いに乗ろうが乗るまいが、妹の千早が嫌な思いをしているという点では大差ない。
「はは。……ほやけど千早のお姉ちゃん流石やの。すごく分かりやすかった」
 そろそろ授業に出ようと立ち上がり、千早の手から湯飲みを受け取って流し台に下げた。

 「入部希望の人、何て名前だったっけ」
 大学への道を歩きながら千早が尋ねてきた。
「三室くんや。初心者やって話やけど、どっから教えたらいいんかの」
 物心ついた時にはもう身近にかるたがあり、決まり字を覚えたのは学校に上がるより前だった新にとって、どこから始めたらいいのか逆に見当が付けづらい問題ではあった。しかも初めて取った時の千早も一応半分は下の句まで覚えていた。
「んー……何とかなるよ、きっと」
 その新から直接かるたを教わり、高校で西田や奏が教えていた所を直に見ている千早は笑って返す。後輩の一人、筑波は下の句かるたの経験者だったが、同じ学年の花野菫は正真正銘の初心者で、自発的に百首覚えようとする前は「隅っこで坊主めくりでいい」とさえ言っていた。だから千早はその「三室くん」に教える事をさほど難しく考えていない。
「ほやけど嬉しいの。おれらの試合見て、かるたに興味持ってくれたんや」
「うん。しかも同じ一年でしょ? 団体戦も実現に近くなったよ」
 大学の正門が見えてくる。今日の講義は別々な教室で受けるため、昼に学食で落ち合おうと言って別れた。

 「……んーと」
 学食の中を見回したが、千早はまだ来ていないようだった。入口の近くで待っていれば合流出来るだろうと新は廊下に出た。
「うっわあ、ごめんお待たせー!」
 学食がある建物の外から千早が全速力で駆けてきた。あまりに勢いが良すぎて、入口にある鉄柱を抱えてブレーキを掛けても身体が半回転してしまう。
「どしたんや、ほんな慌てて……何かあったんか?」
 講義の時間が長くなっただけなら、メールの一つでも寄越してくれば済むし、そんな程度で新が気を悪くしたりしない事ぐらい千早には分かっている筈だ。
「……ううん、『何かある』前に走ってきただけ。とにかくお昼食べよ」
 釈然とはしなかったが、千早はスタスタと食券売り場に向かっている。仕方なく新も後を追った。

 「……ほんで、何があったんや。……や、何が『ありそう』やったんか、やな」
 手早く昼食を済ませた二人は一旦メインストリートに出て、ベンチに腰掛けて話を始めた。
「さっきの講義さ、実は隣の教室が伊勢先輩が取ってる講義だったみたいで。教室入る時に目が合ったから、挨拶はしたんだけどプイって無視されちゃった。……で、私がノートとか片付けてたら何か廊下で喋ってるの聞こえてきたんだけど、私の名前も言ってたみたいだったから巻き込まれる前に、って教室からダッシュで学食まで来たの。……それだけ」
「それだけ、って……十分えらい事やが。喋ってる内容は聞こえたんか?」
 千早の耳が良くなかったら逃げ出す余裕はなかったのではないかと思うと、新は正直気が気ではなくなる。
「最初意識して聞いてなかったから所々だけね。知らない声だったけど『私からその子に言ったげようか?』とか。あ、あと『すぐ綿谷よりいい男見つかるって』とかも言ってた」
「とことんアホらしい話やな……」
 ベンチの背に頭を預けて新は嘆息する。

 「あれっ? 君らって確かうちの屋台来てたよね?」
 不意に通りから声がかかり、新は身体を起こした。髪を短く刈り込んだ男子学生の顔にそう言えば何となく見覚えがある気はした。
「ほら俺。野球部の焼きそば屋台で呼び込みしてたじゃん」
「あ、あん時の。……ほやけどおれらの事よう覚えてますね。お客さんようけ居ったのに」
「そりゃ目立つしさ。それにスピードガン料金でタダだったの、彼女一人だったし。あ、俺建築二年の山部っての。よろしく」
 山部は人懐こい顔で自己紹介をしてきた。
「そんなら先輩ですね。……おれは文学部一年の綿谷新って言います。どうぞよろしくお願いします」
「改めて、よろしくお願いします。教育学部の綾瀬千早です。私達は、かるた部の一年です」
 一学年上だと分かり、新と千早はベンチから立ち上がってきちんと名乗り直した。
「……かるた部?」
 かるた部と聞いた途端、山部が不意に口調を変えてきた。

 「あのさ、えーと……綿谷、だったっけ? ちょっといい?」
 新は頷いて、場所を詰めて山部にベンチを勧めた。
「……かるた部の女子って今何人居るか聞いていい?」
 ベンチに腰掛けるやいなや山部は質問を始めた。
「二年の先輩に三人と、あと千早だけの筈ですけど……幽霊部員とかは、ちょっと分かりません。済みません」
 誰か気になる人でも居るのだろうかと思い、新は一学年上の先輩相手だからと丁寧に受け答える。
「って事は二年の誰かだなあ……綾瀬さんだったら学祭の屋台来た時に、うちの先輩がリアクションしなかったのが話合わないし」
「ええと……どういう事ですか?」
 千早が問うと、山部は一度周囲を見回してから口を開いた。
「いやさ、ウチの先輩が一人すげえ凹んでんの。四月入ってすぐにかるた部の子から格好良い、付き合って、って猛アプローチ受けてたらしいんだけど、つい最近いきなり理由も言わないで振られたとかで。携帯も拒否られてるって話でさ」
 最近になって「これだけ好きと言ってくれるなら」とその話を受けてもいいかと思った矢先だったらしい、と言われて千早と新は思わず顔を見合わせる。あまりにも符号する点が多すぎて他の誰かとは考えづらかった。

 「あの……おれら多分、理由と相手知ってます。実は昨日知った……て言うより巻き込まれたばっかなんですけど」
「……マジで? 俺さ、探りだけ入れるつもりだったんだけど、いきなり核心来ちゃったよこれ」
 山部は詳しい話を教えて欲しいと身を乗り出してきた。
「ええと、その凹んでるって先輩も怒りそうな内容やと思いますけど……いいんですか」
 ある意味傷口に塩を塗り込むような話ではないかとも思ってしまう。
「あと、結構長い話になると思うんですけど……先輩も授業と部活ありますよね? 私達も、今日は入部希望者が来るから絶対部には出たいんですけど……」
 千早が言うと山部がうーんと唸りだした。
「じゃあ、綿谷の連絡先教えてもらっていい? そんで予定合わせて話聞かせて欲しいんだけど。ウチの先輩にも理由知ってる奴が居たってだけは話しておくけど、いいかな。……先輩さ、実業団とかプロのスカウトも来てるすげえ人なんだけど、その一件で調子ガタ落ちしてて……俺らも正直見てるのが辛いっつーか何つーか」
 山部の言葉に嘘はなさそうだった。むしろ「すげえ」先輩が落ち込んでいる事を我が事のように心配している。
「分かりました。じゃあおれのアドレス送りますんで」
 新は赤外線で携帯番号とアドレスを山部の携帯に送る。
「サンキュ。……じゃあそっちの部終わったら一度メールくれる? 昼休みだってのに消化に悪い話でゴメンな」
 じゃあな、と山部は部室が並ぶ建物へと走り去った。多分その先輩に伝えに行くのだろう。

 「……なんか、意外な展開になってきちゃったね、新」
 学祭の屋台で少し話しただけの相手だったのが、昼休みの短い時間でここまで関係が変わるとは千早も新も全くの予想外だった。
「まあのぉ。他の部まで巻き込んだ話になるとは思わんかったけど、本人の蒔いた種やし。……巽先輩には部活の後にでも話しておかんとあかんかな。夕べわざわざ電話で教えてくれたんやし」
「うん。……あ、出水先輩はまだ連絡ないの?」
 昨日の夜、二年生の男子と話があるとメールを寄越してきた出水は、自分からメールを送るまで新たちは電話を掛けてくるなと言ってきたっきりだ。
「……まだや。……まあ昨日の今日やし、慌てんとこっさ」
 できれば出水にも昨日の伊勢との一件や、さっき聞いた話をしておきたいとは思う。だが出水にも色々やる事はあるだろうから無理は言えない。
「そろそろ午後の授業だね。……行こっか?」
 千早に促されてベンチを立つ。授業が終われば今日は、待望の入部希望者との初顔合わせだ。新は気持ちを切り替えて千早と並んで歩き出した。






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written by Hiiro Makishima