保湿系トライアルセット

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新と千早の大学生活



 新と千早が自販機スペースへ向かった後の練習場はいくつかのグループに分かれてざわついていた。多くは今の試合で二年の井出を完膚無きまでに叩いた新の試合についての話のようだが、他の小さなグループは二人に対してあまりいい感情に基づく話をしているわけではなさそうだった。
「……ってかさっきの着替えの時もだけどさ、ムカつかない? 綿谷だって結構ルックスいいのに、まだ他のイケメンも友達に居るとかさ。先輩に気ぃ利かせてコンパの一つでも組んだって罰当たらないのに、オトコに庇われちゃって」
 先刻の女子先輩達の標的はどうやら千早らしい。
「アタシはむしろ、綿谷にキョーミあるんだけど。狙ってみよっかなぁ。ねぇ、好みのタイプとか聞いてみてよ」
「……あんた、またあたしに聞きに行かせんの?」
 新の好みを聞いて欲しいと頼まれた二年生は、頼んできた相手に「今度持ってるバッグ借りるからね」と「一つ貸し」を何度も念押ししていた。
「大体アンタ、何でそんなにブランドのバッグ持ってんのよ。バイトの時給とかじゃ賄えない値段じゃん」
 その問いに「一つ借り」の彼女は片手で巻き髪をなびかせて「内緒」とだけ返す。「貸し」の方は諦めたように溜め息をついた。

 「……なんか、凄い事になってませんか、先輩」
 新たちより遅れて部室に来た巽は出水に小声で話し掛けた。表向き普段通りに過ごすと言った出水は無言で頷き、巽から離れて各グループの会話を拾って状況を把握しようとした。
(……二年の女子、確か相模って言ったっけか。合コンねぇ……ま、そっちは俺でも何とか出来るだろ。綿谷狙いなのが、えーと……あ、そうだ伊勢だ伊勢。……で、二年の男連中は何やってんだ? 一人えらく落ち込んでんなぁ……)
「なあ、ちょっと聞こえたけど、相模お前、合コン行くのか?」
「……あ、出水先輩。行くって言うかぁ……」
 それでも異性である出水の前では、多少言葉を取り繕っている。

 「コンパって言えばなあ、俺も実はセッティングしろって言われてて参ってんだよ。エリートコース乗るんだとか言って自分でT大選んどいて、勝手な事言ってると思わないか? お前が何人か誘ってくれると、俺助かるんだよなあ」
 こういうタイプには「もっと美味しそうな話」を持って行くのが手っ取り早い。出水は頭の中で多分イエスと言うだろう何人かの友人をリストアップしてみた。
「えー、私ですかぁ? ……うーん……」
 迷っているような口調だが、即座に飛びつくのは自分の手前したくないだけだろう、と先刻耳にした話から読み切った出水は彼女を拝み倒す。
「じゃあ、会うだけですよぉ?」
「あー、それで十分だ、十分! 日時とかは後でメールするからな」
 ひらひらと手を振って出水は一旦相模達のグループから離れた。

 「あの……先輩」
 今の話が聞こえていたのか二年の男子が一人、躊躇いがちに出水を呼び止めた。
「ん、どうした?」
「あ……実はちっと、話があるんですが……出来たら、他の人いない時に」
「……おい、俺そっちの気はねえぞ?」
 わざと出水が混ぜっ返すと彼は大慌てで否定してきた。
「何の話か分からんが、聞くだけなら構わんぞ。練習後でいいか?」
「あ、はい。お願いします」
 ほっとした顔で去っていく後輩を見ながら、これでどこまで情報が得られるかが鍵になるだろうと出水は考える。
(まあ三笠と関係ない話の可能性もあるが、それはそれで誰がどう繋がってるかを読む判断材料にはなるだろ。仮に大当たりでも、さすがに三笠の名前出してくる程馬鹿でもねえだろうしな……)

 そんな事を考えていると、練習場の扉が開かれて新と千早が入ってきた。二年生のグループはそれぞれ異なった反応を見せているのが分かる。さっき合コンの話を振っておいた相模は現金なもので、二人に対してもごく普通に見える接し方を、二年の男子は半分ほどが新に複雑な視線を向けていた。
(さて、二人のお手並み拝見といくかな)
 二年の男子が一人酷く落ち込んでいるのは多分、綿谷が自分達に告げた言葉通り、かるたで思い知らせた結果なのだろう。対戦の申し込みを「奇数だろ」と断り、練習場の隅に胡座をかいて全体を見渡す事にした。

 「……先輩、対戦お願いします」
 さっき更衣スペースの前で色々言ってきた二年生の中、最初に太一の事を言ってきた相模は戻ってみたら妙に上機嫌に見えたため、伊勢という巻き髪の先輩に近付いて千早は対戦を申し込んだ。
「えっ、私? ……冗談でしょ」
「いえっ、本気です。お願いします!」
 元々千早の声はよく通るが、敢えて道場中に響くほど声を張って深く頭を下げた。
(……何なのよ、これじゃ私、断ったら悪者じゃん……)
 目の前で頭を下げ続けられると、それだけで気が引けてしまうものだ。それに周囲の視線が自分に集まっているのも分かる。新を「狙ってみたい」下心がある伊勢にとって、断り続けて印象を悪くしたくないという思いがあった。
「……分かったってば」
「ありがとうございます!」
 千早も先の試合の新に倣い、伊勢を待たずに席に着いて札を混ぜ始めた。

 (千早、さっそく実行してるんや。……おれも、まだ相手残ってるし、やるかの)
 ぐるりと視線を巡らせると、さっき新と当たった井出という二年生はあたふたと他の二年生を捕まえて席に着く。他の二年生も慌てて対戦相手を決めて行ったため、新は最後に残っていた相模に対戦を申し入れ、千早と斜めに向かい合う位置に付いた。
(まあ部の揉め事には直接関係ないかもやけど、さっき着替えとった時に聞こえた話もあるしなあ)
「あの、さ。……綿谷」
 札を混ぜながら、恐る恐るといった風に相模が口を開く。
「……何ですか?」
「さっきの、さ。……幼馴染みくんの事。やっぱ無理に頼むのは悪いからさ? 紹介とか。ちょっと興味があったってだけだし。綾瀬にもそう言っといてくれる?」
(あれ……さっき一番千早に突っかかってたの、この人やったよなあ? ……休憩中に何かあったんか知らんけど、千早に直接言えばいいやろに……まあいいわ、おれはいつも通りに全力で取るだけやし)
「……そうですか」
 イエスともノーともつかない言葉だけを返して、新は札の暗記に取りかかった。

 暗記時間が残り二分を切り、千早はいつも通り素振りを始める。
(目の前に座ってる人が居るのに、誰か強い相手をイメージするって……私には難しい。だけど、新と団体戦に出てるって想像なら出来る。……行こう、一枚ずつ)
 そう言えば初めて団体戦に出た時は、自分が一番到着が遅れてしまったんだっけ、と千早は懐かしい記憶を甦らせた。きっとあの時、新と太一は来ないかも知れない自分のために二人で勝とうと思ったに違いない。それを思い出した千早の口元が小さく綻ぶ。
(……ん? 今、千早が何か言うた気するけど……)
 ふと気配を感じて顔を上げると、斜め前に座っている千早の唇が動いているのが分かる。新はその唇の動きをじっと見て、何の音を形作っているのか自分の唇をほんの少し動かして確かめてみた。
(い、ち……一枚、か。……って、イメージしてんのって、もしかして……)
 替え玉出場などで団体戦の経験はあるが、新にとって「チーム」と言えるのは千早と太一の二人だけだ。その千早が団体戦をイメージしているのなら自分もやってみようか、と新は脳裏に描いたアパートの風景を少しだけ変えた。
(……流石に今の体格で、おれら三人あの部屋で横一線に並ぶって、現実やったらギッチギチやな)
 笑いそうになるのを堪え、新はイメージの中で太一や千早と並んで座る。

 巽の序歌が場内に静かに響いていく。
(さあ、やろっさ)
 二人は雑念を取り払い、ぐっと身を乗り出して巽の口から紡がれる「最初の音の端っこ」を捉えようと集中を高めた。
「しらつゆに───」
 決まり字が聞こえるか聞こえないかのうちに、同時に二つ鳴った畳を打つ音が、居合わせた者の注意を引く。一拍遅れて多くの音が鳴った時には、札を払った二人は平然とした顔で飛んだ札を拾いに走っていた。
「うかりける──」
 また同じタイミングで畳が打たれ、新と千早が札を拾いに行く。渡り手を駆使して決まり字より先に動く新と、天性の聴力で決まり字前の一音を聞き分けて取る千早、スタイルこそ違え札に手が伸びるスピードは全く互角に見える。三枚目が読まれた時にはもう誰も偶然だと思うものはいなかった。

_  「ねぇ、綿谷ぁ。ちょっと、いい?」
 試合が終わって暫く休憩に入ると、対戦していた相模が新を呼んだ。とは言うものの相模は肩で息をしていて、途切れ途切れに呼びかけるのが精一杯だったが。
「……何ですか?」
 対照的に新は平然としている。
「あのさ……綿谷ってコンパとかカラオケとか行く? っつか、好みのタイプ聞いてって頼まれたんだけど」
「……は?」
 一体何を言い出すかと思えば、と新は軽い頭痛を覚えた。それでも言うべき事は言った方がいいだろうと口を開く。

 「おれそういうの全然興味ないですし、そんな暇あったら練習します。……今かって全然足りてえんぐらいやのに。それに、耳は大事にしたいんで行く気ないです」
 生硬な声で新は言葉を返した。
「もう一つの質問ですけど、あそこの畳の上におれの答えが居ます。って言うか千早にも言(ゆ)った事ありますけど、おれ自分が出来る努力をせん人間って逆立ちしたかって好きになれません。誰が先輩に頼んだんか知りませんけど、その人にもそう言っといて下さい。……ほんでいいですか?」
 好みのタイプという質問に対して、畳の上の千早を指で示してから自分も練習が残っていると告げ、新はくるりと踵を返して全く振り返らず畳へと歩いていく。背後で相模と他の部員が何事か言っているのは分かるが、意識して聞く気は起きなかった。

 「……新、どうかしたの? 難しい顔して」
 新が歩いてきた気配を感じ取った千早が札から顔を上げて問うてきた。
「別になんも。……あれ、千早それ、普段の定位置と違うな。……誰かの配列か? それ」
 自分の初期配置にも似ているが、新ほど徹底的に友札を分けてはいない。千早の前に胡座をかいて、その見慣れない配置について尋ねる。
「誰かの配置、って事じゃないよ。もし私が渡って取るならどういう配置にするのがいいかなあって考えてたんだけど。……新、どう思う?」
「どう……って、急にスタイル変えると混乱するやろ……千早は滅茶苦茶『感じ』いいし、札際早いんやで無理に渡らんかってもいいんでないか?」
 そう答えると、千早が真剣な眼差しをひたと据えて答えてきた。
「感じの良さって、永続的な物じゃない。年を取れば衰えるし、体調によっても聞こえって違うよね。……それに私、将来かるた部の顧問になりたいって言ったでしょ? 入部してくる子みんながみんな『感じ』がいい訳じゃないだろうし。そんな子にもかるたは楽しいよ、って教えてあげたいから色んな取り方を覚えておきたいんだ」
 その言葉を聞いているうちに、新の表情は驚きから納得へと変わる。

 (その配置は、将来もかるたを続けるためのもんか……感じが衰えても、先生になっても取れるように。未来の教え子にかるたの面白さを教えられるように。……これやで千早とかるたするのは楽しいんや)
「なるほどの。……ほんなら、それでいっぺん取ってみ? ……ほやな、渡って取れる札だけ向かい側でおれ読むわ。ほんで気ぃついた事とかはその都度言うんでいいか?」
 新は残りの札から選り分けた二十五枚を、普段から渡り手を使う自分の配列で手早く並べて、敵陣を渡るのはこれで体感しやすいだろうと千早に告げた。
「ありがとう!」
 にっこり笑う千早の顔を見ていると、先刻の会話でささくれ立った気分がすっと楽になるのを感じる。新が歌を読み上げるたびに、千早は不慣れながら渡り手を繰り出し、新の助言を容れながらフォームを修正しようとまた札を払う。この懸命さが好きなのだ、と改めて実感が沸いた。






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written by Hiiro Makishima