保湿系トライアルセット

 29.5

新と千早の大学生活



 「ところでさ、千早」
 二試合目が終わってまた一旦自販機の所まで出た時、何の前置きもなく新が口を開いた。
「ところで、って何か変なんだけど。……まあいいや。何?」
 新も今の呼び掛け方は確かに変だったと苦笑を浮かべる。
「今の試合前。千早さ、団体戦イメージしてたやろ?」
「あ、やっぱり分かった? 新、札払うタイミング合わせてきてたもんね」
 それに頷き返し、新は話を続けた。
「……千早がそれイメージしてたで、おれもイメージちょっと変えてみたんやけどさ。……とりあえず千早、あの部屋イメージ出来るか? 今」
「出来るけど」
 即座に答えてから軽く目を伏せ、新が言ったように初めて新とかるたを取ったあのアパートを脳裏に描く。

 「いつもやったら、おれと千早が向かい合ってるイメージ描くけど、団体戦描いてみて。昔、三人で出た試合とか」
「……うん、描ける。あの時って私が遅れちゃったんだよねえ。間に合って良かったあ」
 そこまでは千早も案外簡単にイメージを置き換えられた。二人が自宅に届けてくれた「チームちはやふる」のTシャツも、札を取った時撫でてくれた手も、心の中に鮮やかに浮かび上がる。
「さっきおれがイメージしたのは……おれら三人、今の体格で横一線に並んでる様子や」
「……今の?!」
 弾かれたように顔を上げてきた千早が「狭くない?」と聞いてきた。
「ギッチギチに決まってるが。ほんで……おれな? それイメージした時、三人でぶーぶー文句言ってるとこまで想像しつんての。試合前やのに声出して笑いそうやったんや」

 それを聞いて千早は再びあの部屋を思い出し、新が告げてきた「今の自分達が団体戦で横に並んでいる」姿をイメージしてみた。並び順はさっきと同じで、中央に自分、右隣が太一、そして左隣に新が座る。
「……ぷ、くくくっ……! む、無理ありすぎー! 狭ーい!」
「ほやろ?」
 新もさっき自分が描いた光景にまた肩が震えだす。その笑い声で千早にもイメージした部屋に響く、自分達三人の文句が聞こえてきた。
『せめーよ、千早。もっとそっち行け。おれ腕振り抜けねえよ』
 太一が言っている。
『なんで私ー? 渡り手使うから、新が一番場所取ってるじゃん。って言うか』
 イメージの中の自分は「真ん中の席は左右どっちも狭い」と唇を尖らせていた。
『押さえ手で取ればいいがし。って言うか襖蹴らんといてや』
 新もまた、その「窮屈な団体戦」に言い返す。そんな声があの部屋を満たしていた。

 「……ぶっ、ち、千早、イメージ、濃いわそれ……!」
 イメージしてみろと言い出した新さえ、その「団体戦」で飛び交う三人の言い合いに吹き出した。
「あっはははは! 取ったら取ったでまた文句出るねえ! 札こっち飛ばすなーとかって」
 でも楽しそう、と明るく笑いながら千早は言い、それからふと真面目な表情を新に向ける。
「昔さ、あの部屋のイメージを私に教えてくれたの、どうして? 新にとってすごく大切なイメージなのに」
 話がかるたに戻り、笑っていた新は表情を戻し静かな声で答え始めた。
「……近江神宮で聞いてきた事あったが? 何で落ち着いて取れるんや、何で笑えるんやーって」
「あ……うん」
 千早は頷く。新があの時取っていたかるたは「千速振る」を体現したように見えるもので、だから何故そう取れるのか知りたかった。

 「千早は、かるた好きやろ?」
「うん。好き」
 千早は即答する。だが今の問いの答えにはなっていないように感じた所に新が言葉を重ねてきた。
「……好きな事するのに、ガッチガチに緊張するか? ほんな緊張してて楽しめる?」
 それを聞いて千早は目を瞠る。
「入院中電話してきた時も、『わかりやすく言うと、かるた強くなりたいんだけど』……って言ってたが?」
 それで新は自分が直接目にした、そうした事を尋ねてきた時の千早がどんな表情を浮かべていたかを思い出してみた、と話していった。

 「高校一年とき、えらい怖い顔してたとかもそうやけど……」
 千早は真面目に耳を傾けている。
「……聞いてきた時、千早に少しだけ足りてえんのはリラックスなんかなあ、一番心が軽くなる、そう思える具体的なもんに辿り着けてえんかったんかなあって、そう感じたんや。近江神宮でも物凄い必死な顔やったしの」
 まっすぐ視線を合わせて聞いてくれている千早に、新はさらに言葉を紡いだ。
「必死に、懸命にっていうのは決して悪い事でない。ほやけど、必死すぎてもあかん。『緊張』と『緊張感』は別もんやから」
 緊張感を持つというのは自分自身の集中を高めるため、あるいは散漫にならないようにする為のものだが、それとは違い緊張が抜けていなければ、身体も動かない。身体が思った通りに動かせないと、余計に緊張や焦りをもたらしてしまう。だから当時の新は自分自身のイメージを例に千早の問いに答えを返した、と穏やかに話を続ける。

 「あの部屋の事、千早に話した時、おれが何て言ったか覚えてるか?」
 千早の脳裏に、遠すぎると感じた新との距離がなくなったように思えたその言葉が甦る。
『誰が来ても何にも怖くない、嬉しくて楽しくて、終わってほしくない……千早とかるたした、あのボロいアパートの部屋』
「覚えてる。今でもちゃんと思い出せる」
 新は頷いた。
「かるたが取れるのが楽しくて、一緒に取れるのが嬉しくて。……だから終わって欲しくないんだ。そうだよね」
「……そういう事や。ほやけど誰彼構わず言う気もなかったざ。かるた大好きで、もっともっと、かるたを好きになりたい、って思ってる千早やから、話した。ほんで納得できたやろか」
「うん。教えてくれて、ありがとう」
 ようやく千早の表情にリラックスが戻る。

 「さっきの容赦せん、って二試合も、おれ楽しんどった。千早も、ほうでなかった?」
 少し悪戯っぽく言われたそれに、千早も同じような表情で返す。
「うん。ほら新が言ったの真似するーって。面白かった。けど新のフルボッコまでは行ってなかったかなあ」
「人聞き悪いわ、フルボッコとか。おれ単に全力出しただけやがの」
 そう答える新の顔は笑っている。
「私が新でも、きっとそうした。……相手が新でも」
「それはおれもや。いや、千早相手やから余計にそうなんかもの」
 また全力で楽しもう、と練習場に向かって歩き出した。






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written by Hiiro Makishima