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部屋に戻った新は早速風呂を沸かす。 「こっち出てきてから残念なのはこれやなあ……普段は気にせんけど、試合の後やと手足伸ばしたくなるし。まあ贅沢言うたらあかんのやけどの」 「でもそれ分かる。近江神宮で大会ある時は琵琶湖んとこの旅館に泊まってたから、お風呂広くて気持ちよかったし」 どこか近くに銭湯でもあれば、試合後だけそこを利用してもいいかも知れない。蛇口を閉めながら、明日先輩にでも聞いてみようと新は考えた。 「……千早、先入りね。あ、Tシャツの替えとか持って来てるんか?」 「あ、うん。でも私が先ってなんか悪いよ。新の部屋なんだから、お先にどうぞ」 お互い譲り合って話が進まない。結局ジャンケンで勝った新が先に使う事になった。 「ほんならお先。……冷蔵庫の中に麦茶作ってあるで、喉渇いてたら好きに飲んでて」 新は押し入れから着替えとタオルを取り出して風呂場に移動した。 「はー……たった三試合やのに、結構疲れたなあ……」 洗い場の鏡の前に眼鏡を置き、湯船に浸かった新は手足を揉みほぐしながら呟いた。参加人数の多い大会ともなれば、一日で七試合に及ぶ事もある。それを取り切るだけの体力は作ってきた筈だがと思った所ではたと理由に行き当たる。 「今日のは連続三回、決勝戦したようなもんやしな……ほやけど、これで疲れてたら話にならんなあ……」 確かに今日はどの試合でも後に余力を残そうなどと思わず取っていたから疲れても当然だが、名人戦ともなれば最大五試合戦うのだし、最終戦にもつれ込むという事は、その疲れ切っている筈の試合でどちらが名人位に就くかが決まるという事だ。 「もっと練習せんとなあ……千早とか先輩に相談してみようかの」 湯船から上がって手早く身体を洗い、冷えないようにもう一度湯船で身体を温めてから新は風呂から出た。 「千早、空いたざ」 「あ、うん。じゃあお風呂いただきます」 千早は自分の鞄から着替えのTシャツを取り出して浴室に向かう。新は押し入れの奥から和装ハンガーを取り出して、着物や帯を陰干しにすると、スポーツバッグの中身を所定の位置に片付けた。 「……あ、着物のクリーニングどこに頼も……」 千早が風呂から上がったら、奏に紹介を頼んで欲しいと聞いてみようか。そう独りごち、ようやく胡座をかいて一息入れた。暫く経って腕時計を眺めると結構な時間が経っている。じきに千早も上がってくると思っていたが、風呂場から出てくる気配が一向にない。 「えらい長風呂やな、千早……まさか中で寝つんたんでないやろな……」 今日の試合は男の自分でもきつかったのだ。風呂の中で眠ってしまうのも十分に考えられた。 「……様子見に行くか。……寝てえんかったら、おれが怒られるだけの事やし」 新は風呂場に向かい、浴室のドアを控え目にノックした。 「千早……?」 今度はもう少し強めに扉をノックして呼びかけてみるが、やはり返事がない。 「……ドア、開けるざ?」 一応断って浴室のドアを開ける。湯気で眼鏡が曇り一瞬新の視界を奪った。 「……あー……やっぱ寝てる……」 ようやく視界が開けると、浴槽の縁を枕にして千早が眠っているのが見えた。新はジーンズの裾を折り曲げて中に入ると、千早の肩を軽く揺すってみた。 「千早、こんなとこで寝たらあかんって」 何度か肩を揺するうちに、千早がもごもごと何か呟いて目を覚ます気配を見せた。 「うーん……。……え?! きゃあっ!」 目を開けた千早は一瞬状況が飲み込めなかったのか、両手で湯を掬って勢いよくこちらにかけてきた。 「わっ! 千早ちょっ、待った、おれや、新やって!」 咄嗟に両腕で庇ったが、何しろ飛んできたのは湯だ。着ているTシャツはずぶ濡れになってしまった。その声で千早はようやく自分が今どこに居るかをはっきり思い出した。 _ 「ああっ、新ごめんっ! ど、どうしよ……」 まだパニックが収まりきっていないのか、慌てた千早が湯船から立ち上がろうとするのを見て、新は大急ぎで背中を向ける。 「いや……ふ、服、濡れただけやし。……のぼせんようにの」 振り向けずにいた新は辛うじてそれだけ言うと浴室から出た。正直、背中を向けるほんの一瞬前に目にしてしまった姿のせいで新も一杯一杯な気分になってしまう。 濡れたTシャツを洗濯籠に放り込み、着替えを終えて部屋で待っていると、顔を赤くした千早がこちらを覗いながら部屋に戻ってきた。 「お、お風呂いただきました……。それと、ホントにごめんね……さっき」 「気にしてえんし、いいって。それより、行くんやろ? 模擬店」 新もその話題を蒸し返されると、変に意識してしまいそうで急いで話題を変えた。 「あ、うん」 千早はスポーツバッグにタオルを片付けると、中から財布や携帯が入っているポーチを取り出す。 「そやった、千早。悪いけど大江さんに、和服のクリーニング店紹介して欲しいってメール送ってくれるか?」 カタログ撮影で奏のアドレスは知っているが、高校から付き合いのある千早を飛ばして、というのはやはり気が引ける。 「いいよ。……よし、送信っと。じゃあ行こう?」 用意が出来た二人は部屋を出て大学に戻った。 「うわあ、まだ人いっぱい残ってるね」 辺りは大分薄暗くなってきたが、構内はまだまだ賑わっていた。立ち並ぶ模擬店のテントも照明が入り、縁日に来たような気さえする。 「お祭りやしな。……ええと、焼きそば食べたいんやった? どこの屋台やろ」 「あ、こっちこっち!」 千早は新の手を掴んで早足に目当ての屋台を目指す。 「まだ残ってるかなあ。……焼きそばとかお好み焼きって、突然食べたくなったりしない?」 「分かるわ。腹がもう何か、焼きそばモードになってまうんやろ?」 千早は可笑しそうに笑いながら昼間見かけた模擬店へと新を引っ張っていく。 「あ、ほら。あそこ」 千早の視線の先には「焼きそば」と大書された看板が立っている。 「いらっしゃーい、そこの二人、焼きそば食べてってー!」 その模擬店を出している部員らしい同じ年格好の男子学生が、近づいてきた千早と新を目敏く見つけ、大きな声で呼びかけてきた。 「まだ売り切れてませんよね?」 千早が尋ねると、彼は大丈夫と笑う。 「あ、ほんなら二人分お願いします」 「はい喜んでー! 先輩ー、二人前お願いしまーす!」 男子学生が威勢良くオーダーを通してから、二人に再び話し掛けてきた。 「あ、そうそう。うち野球部なんで、料金もそれらしく二通り設定あるんだ。ここの裏にあるスピードガンで球速測定して、結果に応じて値段変動するのと、測定しないで定価ってコース。お二人さんはどうする?」 大学祭の模擬店ならではの、球速が速いほど安くなる値段設定らしい。千早と新は顔を見合わせる。 「なんか面白そう。私、やってみようかな」 「まあ千早やったら、そう言うやろうとは思った。……なら、おれら二人ともやってみます」 かるたの試合も終わり、今は楽しみに来ているのだから少しぐらいは冒険してもいいだろう、と新はスピードガン測定に乗ってみる事にした。 「得しちゃった。焼きそば美味しいー!」 上機嫌で焼きそばに舌鼓を打っている千早を、新は苦笑混じりに眺める。いくら女性には実際の速度にプラスアルファされるハンディキャップがあったとはいえ、千早はハンデと合計すると百五十キロを超える結果を叩き出し、見事にタダで焼きそばにありついている。 当の野球部でさえ予想していなかったらしく、千早が出した結果に屋台の中がどよめいていた。新も実測では千早と同じ位の球速だったが、ハンデなしの結果で三割引の代金を支払った。 「千早が運動神経いいって知ってたけど……フォームも綺麗やったし、凄かったな」 「……そう言われるのは嬉しいけどさ? やっぱり新に誉められるんだったら、かるたの事がいいなあ」 実に千早らしい言葉が返ってきて、新はさらに苦笑を濃くした。 「誉めるのは構わんけど、試合で千早に当たらん時だけになるやろな」 「えー、何で?」 どうにも不服らしく、千早は唇を尖らせて問うてきた。 考えてみね、と新は真顔で口を開く。 「小学生の頃はともかく、今は同じA級でライバルやが? 『さっきの送り札いいタイミングやった』とか細かい部分やったらいいけど、直接対戦した試合自体を『よう頑張った』とか上から言うのは失礼やろ? って……な、何や、千早……ひとの事ほんな見て……」 話している途中から、千早が箸を止め、目を見開いてこちらをじっと見ている事に気がつき、新は赤面しながら聞き返した。 「新……今、ライバルって言った? 私の事を?」 「ゆ、言ったけど……」 始めはどこか呆然としていた千早の表情が、言葉が沁みるに従って頬が薔薇色に上気し、大輪の花のように綻んでいく。あまりにも鮮やかな変化に、見ている新の鼓動の方が高鳴ってしまうほどだった。 「すっ……ごく嬉しい!」 「……喜ぶのは分かったで……残り、食べてまいねって……」 あまりにもストレートに喜ばれると言葉に困る。新は早口にそう告げて、自分も焼きそばの残りを口に運んだ。 「はあ……楽しかった!」 千早がうん、と伸びをしながら言ってきた。野球部の焼きそば屋台を出た後、いくつかの店を見て回った。 「そうやな。何か子供の頃思い出したわ、おれも」 こんなに遊び倒したのは久々だと笑う。 「あ、かなちゃんから返事だ。……いつでもお店に持って来てって。かなちゃんちと長い付き合いがある所があるそうだから」 「助かるわ、ありがとうって伝えてくれるか? ほしたら明日にでも寄らせてもらうわ」 祖父の着物を粗末に扱いたくなかっただけに、東京で信頼できる店に心当たりがあるのは本当に有り難かった。 「ぼちぼち戻ろか。明日もまた、何やかんやとあるし」 「うん。ね、新。……楽しかったね、試合」 「……うん、すごい楽しかった。また取ろうな」 新が言うと、千早は目を輝かせて腕に飛び付いてきた。 |