保湿系トライアルセット

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新と千早の大学生活



 土曜の昼には、大学の構内はすっかりお祭り一色に様変わりしていた。メインストリートに設置された野外ステージでは、さっきからひっきりなしにサウンドチェックが繰り返されている。その近くには前夜祭から通しで模擬店を出している学部やサークルもあるようで、目立つ衣装で呼び込みを行う姿もちらほらあった。
「うわあ……もう何か凄いね」
 かるた部の練習場へ向かいながら、千早はあちこちのテントを興味深そうに見ている。
「ウチの部の搬入終わったのかな? 先輩達、お前らは自分の仕事しろ、って言ってくれたけど」
「……ちょっと申し訳ない気はするの。……その分試合と呼び込みで返さんとあかんな」
 新の携帯には搬入要員から二人を外した、と巽から内密にメールが来ていた。表向きは人数が足りているため、勝手が分からない一年生は却って邪魔になると言ったらしいが、重たい冷蔵庫や飲み物のサーバー設置で「うっかり」怪我をする事があるかも知れない、と彼のメールには記されていた。
「……で、新が持ってるその袋は何入ってるの?」
 千早は新が提げているレジ袋を指さして聞く。
「これか? 搬入組の先輩らに、差し入れ」

 そうこうしている内に練習場が見えてくる。いつもは植え込みしかない練習場前の広場にパラソル付きの丸テーブルがいくつも並べられ、華やかな雰囲気を作っていた。あれこれと備品を設置している中に、指示を飛ばしている髭面の男を見つけた新はそこへ近づく。
「出水先輩、お疲れ様です。これ、差し入れです」
「おっ、サンキュー。……って、何だよ酒じゃねえのか、ははは」
 袋を受け取った山男風の出水がからかうように言ってくる。未成年の新たちでは簡単に買えない事は出水にもよく分かっている上での冗談なのだが。
「……ところでお前ら、明日の着物、準備大丈夫か?」
 この髭だらけの出で立ちで茶道の免状持ちという出水は明日のデモ試合の着付けを手伝う事になっている。もっとも新と千早は自分の袴は自分で着られるため、彼が着せるのは読手を務める巽と一般への解説役として出る奥山の二人ぐらいだが。
「はい。明日朝イチで持ってきて着ます」
 千早が答えると、出水は頷き、新が持ってきた袋からウーロン茶の缶を一本取り出して口を付けた。そうこうしている間にも、かるた部の先輩だけでなく色んな学生が荷物を抱えて新たちの側をすり抜けていく。
「ん、了解。……お前ら、もう帰っとけ。設置の邪魔だ」
「え? あ、すみません。じゃあお先に失礼します」
 新は逆らわずに出水に一礼すると千早の背中を押すようにして練習場から遠ざかる。

 「新、出水先輩の今のって……」
「ほうや。設置の邪魔って事にしといてくれたんやろ。出店見て回ろうかってさっき言ってたけど、止めといた方が良さそうやの」
 準備と呼び込みで賑わう構内を抜け、大学の正門へと向かう。人混みを抜けた時、千早は新のTシャツの背中がさっきと違う事に気がついた。
「……あれ? 新、背中どっか壁とかに付けたりした?」
 千早に言われ身体を捻って背中を見てみるがよく分からない。千早は携帯のカメラで新の背中を一枚撮るとその画像を見せてきた。
「千早、頭いいな……って、うわ、何やこれ」
 ペンキだろうか、赤い塗料がべったりと背中に付いている。何にせよ着替えなければと足早に二人は新の部屋へと向かった。千早を先に玄関に通し、新は素早く彼女の背中には何も付いていないかを見た。
「……千早は何ともないみたいやの。良かったわ」
 塗料が付いたのはTシャツ一枚で済んだようだ。新は洗える塗料かどうかを確かめるために脱いだTシャツを洗面台に置いて水を流してみたが、残念ながら赤い塗料は水道の水を弾いてしまう。
「あー、無理っぽいな……しゃあないの」
 濡れたTシャツを軽く絞ってゴミ箱へ放り込んだ。
「……わざとだと思う?」
「さあの。どっちにしてもあの人混みやし。まあここでしばらく様子見て、静かになったら送ってくわ」
 新は部屋を横切り、衣装ケースから別のTシャツを出して着替えた。あの状況で故意か偶然かは流石に分からない。犯人捜しはまず間違いなく徒労に終わるだろう。

 「新ってば、腹立たないの?!」
 憤然とした口調で千早が聞いてくる。
「正直言うたら、今は誰相手に怒ったらいいんか分からんし。……ほやけど、もしかるた部の誰かやったら……」
 新の声が急に低くて鋭いものに変わり、千早はごくりと固唾を呑んだ。
「……やったら……?」
「相手が誰でも、いっぺん本気で凹んでもらうわ……かるたでの」
 凄みを増した新の表情に、千早の背筋がぞくりと震えた。
「うわ、鳥肌立っちゃった」
「え、ごめん。別に千早を脅かすつもりなかったんやけど……。ほんな怖かったか? おれ」
「詩暢ちゃんのクイーンスマイルともちょっと違うっぽいけど、新のは怖いって言うか……顔だけ見てると怒ってるように見えないのに、実はすごく怒ってるって感じ」
 分かりやすいようで分かりづらい千早の一言で和まされ、新はようやくいつもの穏やかな笑みを浮かべる。

 「おれが腹立つ相手って言ったら、やっぱ真面目にやるモンの邪魔するような奴やの。ほやけど怒るって言うより、そういう相手に容赦する気がないっちゅうだけや。……千早はいつも全力やろ? ほやで好きなんや」
「え、あ……えっと、……あ、ありがとう……」
 新はさらりと「好き」と口にしたが、聞いた千早の方が照れ臭くてお礼の言葉がしどろもどろになってしまう。
「わ……私も、新のかるた、好きだし……あ、新のことも……好き……」
 耳まで赤くしてそう言った途端、新も自分が何を口走ったのか思い出して顔が赤くなってしまった。
「千早……」
 名前を呼ぶと、大きな瞳が新をまっすぐに見上げてくる。その瞳に吸い寄せられるように、新はゆっくり顔を近づけて千早の唇に優しい口付けを交わす。千早の柔らかな唇を何度も啄むように触れ、胸の裡に沸き上がるこの愛おしい気持ちを伝えたいと、小鳥のような軽いキスを何度も何度も繰り返した。
(なんか、初めてやな……こういう、焦って先に進みたくなるキスでのうて、好きや、って気持ちをただ伝えるみたいなキスって……)

 キスを解き、千早の額に自分の額をこつん、と当てた。
「……ははっ」
「なに、新……?」
「何て言うんかな、なんかこういうの……いいなぁってちょっと思った。特別なんかする訳でないけど、くっついて……好きやざ、って言葉でのうて伝えるみたいな感じ」
 新の言葉を聞いているうちに、千早の胸からもくすぐったいのに暖かい気持ちが溢れ出そうになる。
「……ふふっ。そうだね。……なんか、いいね」
 こんな感じのくすぐったさを随分昔にも感じたような気がして千早は記憶を辿る。
『ねー、綿谷くんはさ、福井でもこんな風に……』
『新』
『……え?』
『新や』
(そっか……あの雪の日に、初めて新の名前を呼んだ時……嬉しくて、くすぐったくって……)
 ずっと一緒にかるたをしようと言った、あの日の約束は今も色鮮やかなまま心の中にある。そして名人とクイーンという、二人が描く夢も。
「ね、新。……明日は、どんなかるたが取れるかな」
「どんな、かぁ……いっこだけ確実に言えるのは、おれらのかるた、って事や」
 千早はこくりと頷き、顔を寄せると新の頬にそっと唇を寄せた。



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written by Hiiro Makishima