10.5
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「千早ちゃん、綿谷さん。お待ちしてました。さ、入ってくださいね」 奏に指定された日、千早と新は引きつった顔で都内のとあるフォトスタジオへ足を踏み入れた。 「時間押してますから、すぐ着付けします。特に千早ちゃんは着替える回数多いですし」 奏は着付け用のスペースへ二人の背中を押して入らせる。そこでは既に奏の母が千早に着せる振袖を用意して待っていた。 「綿谷さんはこちらです。足袋と襦袢だけご自分でお願いします。後は私が着せますから」 「はあ……」 新は不得要領といった顔で頷くのが精一杯だ。しかし奏は新のそんな様子を構う事なく、着終わったら呼んで下さいと言い残して衝立の向こうへ出て行った。 「……しゃあないの」 新は着ている服を脱ぎ、まず足袋を履いて足首の鞐を止める。それから男物の襦袢に袖を通し、襟を合わせて腰紐で縛った。着終わったと奏に声を掛けると彼女はすぐにやって来て、手際よく新に和服を着せ、腰のやや低い位置に帯を巻く。やはり着せ慣れているのだろう、迷いのない手付きで帯を貝の口に結び、羽織りの紐を器用に結んで新の身支度はあっという間に完了した。 「帯締めてんのに全然苦しくない……やっぱり違うんやなあ」 用意された草履に爪先を通しながら、新は感心したように口を開いた。 「ふふっ……着物の良さを一人でも多くに知って欲しいって、私も色々工夫や努力はしてますから」 「良さを伝える工夫や努力っていい言葉やなあ。まあ……千早はともかくおれなんかがモデルやと、どこまで効果あるか分からんけど、伝わるように出来るだけ頑張ってみる。慣れてえんで難しいやろうけど」 幼い頃から祖父の薫陶を得てかるたに励み、高校でもかるたに風を集めようと奮闘した新にとって、着物という畑違いの事であっても「良さを伝えようとする努力」の大切さはよく分かる。 (おれらの大学の部もそうや……頑張れば、巽先輩みたいに分かってくれる人はもっと出てくる筈や……) 「そう言われると私も嬉しいです。……あ、そこの椅子で待ってて下さいね。千早ちゃんの着付け手伝ってきます」 言い置いて奏は千早の着付けを手伝いに、もう一方の衝立の奥へと小走りに去った。 「あ、今日のモデルの子? 名前聞いといていいかな。撮影中立つ位置なんか個別に指示出すから」 借りてきた猫のようにスタジオの撮影位置の前にある、奏から勧められた椅子に着崩れを気にして浅く腰掛けて待っていると、カメラマンが話し掛けてきた。新は立ち上がって一礼する。 「あ、はい……綿谷新です。慣れてないんでご迷惑おかけすると思いますが、今日はよろしくお願いします」 「新くんか。素人さんが不慣れなのは織り込み済みだよ。そこを何とかするのがこっちの仕事。……ちょっと失礼」 スタッフに露出をチェックさせ、ファインダーを覗きながらカメラマンはさらりと言ってのけた。 (……ああ、そうや。この人プロなんや。努力を重ねてきた人や……かるたとは違ごたかって、そういう姿勢とか学べるもんは一杯ある。自分の心持ち一つで、何でも吸収してかるたに繋げる事は出来るんや) ファインダー越しに見える新の表情が引き締まった事に気付いたカメラマンが、試し撮り用のポラロイドを手にすると素早く新に向けてシャッターを切った。ジーと音を立ててカメラから吐き出された印画紙の上に徐々に新の姿が浮かび上がってくる。 「……え、おれ今こんな顔してました?」 手渡されたポラロイド写真には全くカメラを意識しておらず、それでいて挑み掛かるような目をした自分の姿が写り込んでいて、試し撮りを見せてもらった新は心底驚いた。 (一瞬の表情を見逃さん目……。もし試合やったら、この人におれの狙い札も見抜かれるんかな……) 「かなちゃん、これ歩きにくいよお……」 髪を結い上げ、豪華な振袖に身を包んだ千早が恐る恐るといった体でやや厚めの草履を履いて衝立から出てきた。奏の着物と比べると千早が着ているものは御所車などの古典柄が大きめに染め上げられているが、背の高い千早にはよく映えている。和服の柄に合わせて挿している簪もよく似合っていた。 「……あれっ? これ、今撮ってもらったやつ、新?」 千早は新が手にしていたポラロイドを目敏く見つけてきた。奏も横からその写真を覗き込む。 「試合の時の表情みたいな迫力がありますね……」 一言感想を述べた奏は撮影の邪魔にならないよう壁際へ下がる。千早はまだ写真を見ながら何か考えているようだった。 「……んー……私には試合の時の新とも何か印象違って見えるんだけど……気のせいかなあ」 同じ写真を見ていながら、奏と千早の受けた印象は微妙に違っている。そこに新の好奇心が動かされた。 「千早には、試合の時のおれってどう見えてるんや?」 「この写真の新って、闘志って言うか……そんなのが目に出てるみたいに見えるけど……。試合中の雰囲気は何て言うか……透き通った深い湖の中? ……でも取りは湖より、流れる水って感じがするかな」 (おれ、じいちゃんの取りが大波みたいやって思った事、千早に話してえんよなあ?) 大波と湖という差はまだあるが、祖父のビデオを見た事がない筈の千早が「水」というキーワードを出してきた事に新は驚きと喜びを感じて顔が綻んだ。 「じゃあ私はどんな風に見えてる?」 今度は逆に千早が尋ねてくる。新は懐手で千早の試合風景を思い出してみた。 「速さで言うたら風みたいやし、取ってるとこ見てると楽しそうやって思うけど……千早のかるたは言葉では上手く表せんわ。おれ試合見てて何べんか驚かされてるし」 「……驚くって? 何が」 どうも千早は自身の閃きに無自覚らしい。 「前に左で取った事あったが? 鏡対象の配置とか、よう試合中に思いつけたなあって。……小学校ん時の大会かって、途中で交代したで配置も空札も分からんかったのに勝ったやろ」 直感的に「札押しでまとめて払えばいい」と気付く事も凄いが、配置を覚えていない分動き出しは必然的に千早の方が一歩遅れる。つまり札を払うためには「太一の手を追い越さなければならない」が、記憶力も運動神経も人一倍優れた太一のスピードを追い越す事は容易ではない。 (めちゃくちゃ語弊あるけど、千早は理詰めで考えてえん。……ほやけど直感でそういう答えが出てくるのが、そもそも凄い事なんやけどなあ……) 「右がアカンで左で……って思ったかって、その通りに身体動かせるとは限らんが? ……動けるって事自体かなり凄い事やと思うんやけどの」 「そうかなあ……?」 「……ほやで一言で言えんのや。……千早のかるた、って以外になんかどう言うてもピンとこん」 千早は釈然としていないようだが、新にしてもやはり他に言い様がなかった。 「はい、じゃあ二人とも次の着物に着替えてきてー」 カメラマンの一声に二人揃って驚いた顔を見せる。ついかるたの話に夢中になって、撮られている事が完全に意識の外になっていた。 「わっ、ごめんなさい!」 千早は腰を直角に曲げて詫びると、奏に促されて衝立の向こうへと向かう。試合の時のように袴ではないせいで、普段の歩幅で歩けないのか新から見てもぎこちない歩き方になっていた。 「すいません。つい話に夢中になってもて……写真撮られてるって事、忘れてました……」 新の言葉にカメラマンは笑みを返す。 「いやあ、素人さんはついレンズ見ちゃうしね。今話してた時二人ともいい顔してたから、そのまま撮っただけだよ」 「は、あ……そう、なんですか……」 怒られるよりはいいのだが、話に没頭しすぎて自分がどんな顔を見せていたのかさっぱり分からない。曖昧に言葉を返し、新も着替えるために衝立の奥へと歩を進めた。 次の着物もやはり新の方が早く着付けが終わったようだ。袴がないと裾が気になるが、祖父が雪駄で歩く時の真似をすると案外楽に歩ける。 「……あ、新」 遅れて衝立から出てきた千早はまた違う色柄の大振袖に羽毛のようなふわふわしたショールを纏い、唇にはうっすら紅を差していた。 (……口紅だけでも変わるんや……千早ってやっぱ別嬪さんやなあ……) 見ている新の方が顔が熱くなりそうで、わざと古臭い言葉を選んでしまう。 「ごめん、今そっち行、……きゃっ!」 新に遅れて衝立から出てきた千早が何につまづいたのか突然よろける。新は咄嗟に左腕を伸ばして転びかけた千早を受け止めるとゆっくり立たせた。 「大丈夫か? 千早。……ゆっくり立ちね」 「あ……うん、ごめん。ありがとう」 ようやく真っ直ぐ立った千早はびっくりした、と胸を撫で下ろす。普段試合の時は袴でも転んでいない筈だが、と新が不思議に思っていると、千早が言葉を継いできた。 「つい普段の歩幅で歩こうとしちゃった」 「千早、相変わらず『ちょか』やなあ……」 振袖姿に見とれてしまった分、今の一言での落胆が大きくて、「おっちょこちょい」や「落ち着きのない人」、を指す福井弁を新はわざと使った。子供の時はからかわれただけの方言もこういう時には便利だ、と内心思いもする。 「……どういう意味か分かんないけど、今のって絶対誉めてないでしょ、新」 意味は分からずとも、ニュアンスはしっかり伝わっているらしい。新は小さく吹き出した。 「最後までコケなんだら、意味教えたげっさ(教えてあげよう)」 千早に言い返していると、カシャリとシャッターの音がした。 「ポーズ指定するより、いい感じに撮れるねえ」 そう言ってくるカメラマンの方がよほどいい笑顔に思えるが、千早と新には覿面だ。二人揃って耳まで赤くなって俯いてしまう。 「あらら。照れちゃった? ……次のは小道具あるからね。新くんコレ持って、そこの縁台座って読んでてねー」 手渡されたのは奏の私物らしい和歌の解説本だった。ぱらぱらとページを繰ると、歌の情景に合わせた風景写真が載っている。美しい月の写真のページには、見覚えのある公園の風景もあった。 (ああ、『めぐりあひて』か。……ほんで紫式部公園の写真載ってるんか) 思わぬ所で目にした地元の風景に新の表情が和らぐ。 「奏ちゃん、ちょっと……」 カメラマンが奏に何か言っているようだった。奏は頷くと千早に何事か耳打ちをして、また壁際に下がる。千早の方は新が本を読んでいる縁台へと近寄っていった。 「新、何読んでるの?」 名前を呼ばれて顔を上げると、縁台の横に立った千早が手元の本をじっと見ていた。 「和歌の本や。……ちょうど『め』のとこやけど、ほらこの写真、福井にある紫式部公園や」 「え? 紫式部って福井の人?」 新は小さく笑って訂正する。彼女は父の赴任に帯同して越前に来た事があるが、雪深い田舎に耐えられず一人先に京へ帰ったという。 「めぐりあひて、かあ……前は私ね、この歌、新の事みたいだって思ってた。試合の時ちょっとだけしか会えなかったし。……でも今は違う。だから、嬉しいんだ」 千早が幸せそうな微笑みを浮かべるから、新も笑みでそれに返した。 「はいオッケー! じゃあ新くんは最後の着替えよろしく。千早ちゃんはその後にピンで何枚か撮るからね」 三着目は二人にとっては一番気楽な、そして今日出てきた着物の中、唯一自分で着られる試合に適した木綿の袴だ。衝立の奥で着替えている間に縁台が片付けられ、床にジョイント式の畳が二枚敷かれていた。 「千早ちゃん、綿谷さん。……はい、これ」 奏が手渡してきたのは取り札の箱だった。 「え、試合するの?」 千早の質問はもっともな話だと新も思う。早い取りは写真に向かないだろうし、一試合小一時間はかかるのだから。 「並べて、何枚かだけ取る感じだそうですよ。暗記時間ほとんど取れませんが……詠みは私がやります」 奏の答えに一応納得した二人は早速取り札を混ぜて五十枚を取り、さらに二十五枚ずつに分けて並べていく。 (大学入って一緒に練習してるから、お互いの定位置は大体分かってる。……試合じゃないけど、手は抜かない) (……当たり前や。いつも全力やから、千早とかるたするのは楽しいんやし) 競技線の中の札と目の前の相手以外のものが二人の意識から消える。 「お願いします」 示し合わせた訳でもないのに、一礼のタイミングが綺麗に揃った。 |