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「ねえ新、さっき言ってた『佐藤先生』って?」 奏の家からの帰り道、近道が出来る公園を横切りながら、千早はさっき聞きそびれた事を尋ねた。 「佐藤先生……佐藤清彦九段の事やけど、じいちゃんの親友でライバルやった人や。何べんも二人で名人位争ってたんや。……まだ先生がお元気やった頃に、おれも手合わせさしてもろたけど……強かったなぁ……」 新は遠くを見るような目で千早に佐藤先生の人となりを話している。祖父とは高校時代からのライバルだった事、本業は書道家で、富士崎高校の桜沢先生が孫弟子に当たる事、祖父が脳溢血で入院した時もわざわざ静岡から見舞いに来てくれた事。 「……そん時じいちゃん、次に佐藤と会うのは試合でや、って言うて病室に入らせんかったんや。病気してる所なんか見せたなかったんやろの。佐藤先生も『自分が綿谷でも同じ事を言うだろう』って言うて。じいちゃんも佐藤先生ともっぺん試合するんやってリハビリ頑張ってたんやけどの……」 隣を歩いていた新の足が止まる。祖父や佐藤先生が亡くなった事は新の心の中でもいい加減整理が付いていた筈だったが、当時の感情がふっと戻ってしまう瞬間は今も時々あった。気を落ち着けようと植え込みの縁に腰を下ろすと、新に寄り添うように千早が隣に腰掛けた。 「……佐藤先生が心筋梗塞で急に亡くなられた後、若い頃の先生とじいちゃんが取った試合とか、和歌について話した事とかを先生が書きためてたノートを、先生の妹さんがおれにくれたんや。……さっき大江さんが言うてたやり方で、そのノートをもっぺん読んでみようって思ってるんや。先生とじいちゃんが、何をどんな風に思って『せをはやみ』を口にしてたんか……他の歌でも、おれに何を教えたかったんか……」 当時の自分はまだ中学生で、二人から直接聞いた話でもごく表面的な事しか理解できなかった。あれから数年経った今、佐藤先生のノートはどんな言葉を新に投げかけてくれるのだろうか。そう思った途端脳裏に祖父と先生の笑顔が浮かび、眼鏡越しに見える風景が見る間に滲んでいく。 「新……?」 千早は肩にとすんとした重みを感じて横を見ようとしたが、「こっち見んといて」という新の声で顔を正面に向けたまま、黙って新に肩を貸す。 「……ごめんな、千早……ちょっとだけ、待って……」 新の声が震えている。千早はそちらを向かないまま、膝の上できつく握られた新の手を自分の手のひらでそっと包んだ。 日が暮れた公園に少し肌寒い風が吹き抜ける。それが合図になったかのように、千早の肩にかかっていた重みがふっと消え、新が長々と息を吐く音が聞こえてきた。 「千早、ありがとの……もう、大丈夫や」 目元を手の甲で拭って眼鏡を掛け直す新は照れ臭そうに笑ってみせる。やせ我慢かも知れないが、新が大丈夫と言うのならそう信じようと千早は頷いて新の手に被せていた手をゆっくり離した。 「……ね、新。前に運営の先生が言ってたよね。……新のかるたはお祖父さんによく似てるって。新もやっぱり、お祖父さんがいつも側で見てると思って取ってるの?」 「いや、じいちゃんは側に居るんでない。……おれの中や。おれがかるた取る時、じいちゃんも一緒にかるたしてるんや」 新は穏やかな口調で千早の言葉を訂正した。 「もしかしたら、佐藤先生も新とお祖父さんのかるた見てるのかな。……ううん、絶対見てるよね」 「……おれも試合前に心ん中でそう呼びかける事ある。佐藤先生とじいちゃんに、一緒にかるた、しよっさって」 「でも二人ってライバルだったんでしょ。新の試合見ながら、ひょっとして今も対戦してるのかなあ」 確かに新が小さい頃、二人は新の取りについても色々話していた。それを見た事がない筈なのに、ずばりと言い当ててきた事が何故か可笑しくて新はとうとう吹き出してしまった。 「ほうかもの。おれの送り札がどうやとかこうやとか、二人で言い合ってるんかもの。……名人になったら、その声も聞こえてくるようになるんかなあ。……ほやけど千早は凄いの、二人が話してるとこ見た事ない筈やのに、よう分かってる」 「……そろそろ帰ろか。ごめんな、思ってたより遅なってもた」 そう言いながらベンチ代わりの植え込みから腰を浮かせた途端に二人の携帯から同時にメール着信音が鳴り、新と千早は飛び上がるように立ち上がり、それぞれ鞄からわたわたと携帯を取り出す。 「かなちゃん……仕事チョー早っ! もうカタログ撮影の日、決めたって」 「……かるたの試合やったら、どんだけ写真撮られても平気なんやけどの……」 「私も試合ならテレビカメラが来てても何ともなかったんだけどなあ」 メールを読みながら揃って溜め息を吐く。 「受けるって言っつんたやし、しゃあないの。……何やの? ひとの顔じっと見て……」 「新って、そんなに開き直り早かった……?」 心底意外そうな顔をしている千早を見ていると、不思議と新の気分は落ち着いていく。 「まあ自分で言うた事は守らんとあかんし。それに……千早も一緒やで少し気が楽なんかもの。前にもカタログモデルやった事あるやろ?」 「あるったって、かなちゃんの入部と引き換えだから必死だっただけ。お姉ちゃんみたいにはいかないよお」 実の姉がモデル出身の芸能人なため、何かにつけて「千早もモデルになろうとは思わないのか」と聞かれる事は多かった、と彼女は零す。 「おれな……自分がじいちゃんとおんなじ道進んでるで、じいちゃんに似てるって言われると単純に嬉しかったんや。……自分がそうやからって、千早も同じやって思ったらあかんよな。……ごめん」 「ううん、謝る事ないよ。もし私がお姉ちゃんと同じ道進んでたらやっぱり周りから色々言われるんだろうし。……でも同じ道って言えば私、新がすごく羨ましい。って言うか恨めしい」 千早は頬を膨らませて言葉を継ぐ。 「おれがじいちゃんの孫で、佐藤先生とかと手合わせした経験あるでか?」 「それに福井ってかるた盛んだし。いっぱい色んな人とかるた取れるとか羨ましすぎ!」 祖父や佐藤先生に関しては新にもどうにもできない事だが、「いっぱい色んな人とかるたを取る」は何とかしてやれるかも知れない。 「夏休みに福井帰ったら、おれ南雲会に顔出すつもりやけど……家の人と原田先生がいいって言うたら、千早、一緒に来るか?」 「マジで?! 行きたい行きたい! ……あ、でも旅費……バ、バイトしないとヤバい……」 放っておいたら明日にでも福井行きの電車に飛び乗りそうな千早の勢いに、新はとうとう声を立てて笑い出した。 |