逢ひみての 4
|
通常のかるたではあり得ない、二人揃っての序歌の余韻が和室を満たす中、新はCDデッキの再生スイッチを入れた。 「あさぼらけありあけのつきとみるまでに───」 新の陣にあった「大山札」。千早も反応は十分早かったが、新の大きな手で札を低く囲われては隙間に飛び込んで弾く事ができない。 (さすが新だ……あんなに低く囲まれたら手が出せない。……でも、負けない) 「ほととぎす───」 次の歌の一音目が「ほ」と聞こえるより早く、はねた札が畳の上を転がる音が新の耳に届いた。 (やっぱ速いな……感じの良さでは千早に敵わん。ほやけど……おれはおれの武器で勝負や) 「札、送ります」 千早から一枚、手札が送られてくる。それに視線を落とした新の表情がふっと和らいだ。攻めがるたを信条とする千早が敵陣で一番狙いたい「ちはやぶる」。 『千早って、いい名前やの』 今思えば随分と照れくさい事を我ながら口にしたものだ。その連想も詠み上げられる下の句で断ち切られる。 「──みかきもり──」 三字決まりの札に先に反応出来たのは千早だったが、札際に指先がかかるその瞬間、千早の全身にドッと風圧が襲いかかる。 「……ッ!」 高校選手権で見た、新の「超加速」。現クイーンの驚異的な反応速度さえ追い抜く力強い振りが弾いた札は、千早の顔のすぐ脇を掠めて襖にぶつかった。 「ごっ、ごめん!」 札を拾おうと顔を上げた新が狼狽えた声を出す。 「……え?」 「今飛ばした札で、千早の顔……。ごめん、ごめんな!」 そう言われてみれば、頬のあたりが少しひりひりする。平気だよ、と言おうとした千早の肩に新の手が伸び、もう一方の手はその頬をそっと包んできた。 「だ、大丈夫だよ、このくらい……」 「ほやけど、女の顔に怪我なんかさせたら……しょ、消毒……」 おろおろと部屋の中に視線を泳がせている新の姿を見ているうちに、何か言わなくてはという思いが千早の心をよぎる。 「ほんと大丈夫だから! 怪我なんか慣れっこだしさ、こんなの、唾付けとけば治っちゃうから!」 深く考えて言った訳ではない。だが千早がそう口にした途端、頬に触れていた新の手がぴくり、と動いた。 「……新?」 さっきまであちらこちらへと彷徨っていた新の目は、今は千早の顔にじっと向けられている。自分とかるたを取って欲しいと切り出す前ともまた違う、思い詰めたような、それでいて自分の顔色を窺うような、千早にとって初めて目にする表情がすぐ近くにあった。 「……、……えっ……?」 間近にあった新の顔が不意に視野から外れた。それと同時に頬に温かくて柔らかな物が触れるのを感じる。ようやくそれが新の唇が触れていると気付き、千早の鼓動が一気に跳ね上がった。 (私今まで、何とも思わないで新の腕とかシャツとか掴んでたけど……) 『女の顔に怪我なんか』 ついさっき新が口にした言葉が甦る。新と自分が男と女だという事を、初めて千早は強く意識した。 「……千早」 不意に耳元で呼ばれた自分の名前にさえ、全身に熱風を浴びたようにビリビリしたものを覚えてしまう。 「おれ……、おれは……、ガキの時から、きっと、ずうっと……好き、やったんや。……千早の事」 イエスかノーか、どちらを口にするのか考えるより早く、千早の両手は新の言葉に応える。試合場で呼び止めようとTシャツを鷲掴みにしていた時とは違い、そっと、そっと新の胸に両手を添えた。 自分より一回り小さい手のひらの暖かみが胸から伝わり、新の頭の中が一瞬真っ白になった。 はねた札が千早の頬を掠め、間近でその痕を目にした瞬間、衝動的に唇を寄せてしまったという事は新も自覚していた。 (けど……もう、あかん。これ以上……自分は誤魔化せん。……嘘は、吐けん) 「……ち、はや……」 とても自分の声とは思えない掠れ声が喉からようやく紡ぎ出されると、千早が弾かれたように顔を上げてきた。その大きな瞳の中に、耳まで赤く染まった自分の顔が映っている。 「おれ、よう分からんのや……」 「何、が……?」 新が何を言おうとしているのか、自分はそれにどう答えたらいいのか、まるで分からない。新が意を決するように息を吸い込む気配が伝わり、反射的に千早の身体にも力が入る。 「嫌やったら、そう……言ってくれんと、おれ……分からんし……。そう言われんと止められんと思う」 かるたでならどんなに強い選手相手でも緊張などしない。だが今、たったこれだけの言葉を伝えるのに新の心臓は早鐘を打ち、耳のいい千早に聞こえてしまうのではないかとまで思ってしまう。そしてこの沈黙が途方もなく長く感じられた。 「新」 千早の短い呼びかけに、新は胸が締め付けられる。何と言ってくるか全く予想が出来ないが、どんな返事でも逃げずに聞かなくてはと、腹にぐっと力を込めた。 「私ね……ずっと知りたかった。新の気持ち。かるたの時も、そうでない時も。……だから、言わせて」 そこで言葉を切った千早が、新の耳元に顔を寄せてきた。 「入院した時、思ったの。きっと私は一生、かるたが好きで……あ、新が、好きなんだって」 そう言い終えた千早の頬も朱く染まっている。 「千早……」 名を呼ぶと、千早の両の目蓋がゆっくりと下りていく。長い睫毛が恥ずかしそうに震えているのが分かる。今度は衝動ではなく、自分の意志で新はそっと顔を近づけ、形のいい唇に自分の唇をそっと重ねた。 |