POSSLQ 9
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部屋に帰り着いた新はスーツのジャケットをハンガーに掛け、まだ慣れないネクタイを緩めて人心地つく。 「はー……やっぱ長い一日やったな」 「私もさすがに緊張したあー……殴らせろとかって、うちのお父さん言い出した時は、どうなるかと思ったよ」 側に座った千早も長々と息を吐いていた。 「一発ぐらいは覚悟しとった。気持ちは分かるし。……ほやけどお父さんが『新』って呼んでくれて、ほんとに嬉しかった」 後は自分の両親だが、千早の事を話した時点で早く連れて来いと母は急かしたほどだ。許しを得るというより報告に近い。 「千早のご両親に許してもらうまで、近所には黙っとけって言うたけど……言う事聞いてくれてる気がせんわ、おれ」 「あはは。私は別に構わないけど。……四月から先生として行くんだし」 新の母が盛大に触れ回ってくれたら、周囲の人とも早く馴染めるかもと千早は笑う。 「早よ馴染める、か。……あ、親に会わせる時さ。由宇んとこにも紹介するけどいいか?」 新が生まれた時からの幼馴染みだと千早も知っている。友達になれたらいいな、と笑って頷いた。 「千早のご両親が認めてくれたら、って前に言ったけど……」 本棚の通称「宝物置き場」から取り出した、深い紺色のベルベットに覆われた小さいケースを千早の正面に座り直して差し出した。 「……エンゲージリング。……やっと、千早に渡せる」 新に言われて開けた中には、小さなパールが乗ったシンプルで細いリングが光っていた。千早はそっとケースから外し、少しだけ緊張しながら左の薬指にその指輪を通す。 「綺麗……嬉しい。新、ありがとう……。似合う、かな?」 新は笑みながら似合うと言葉を送った。 「ちなみに真珠って、何で?」 千早の口調がころっと変わる。雰囲気も何もあったものではないが、それはそれで自分達らしいのだろう。 「……昔、誕生花って調べた事あったやろ? それで知ったんやけど、六月の誕生石は、これ」 以前、お互いの「誕生花」にちなんだ物を誕生日に贈り合った。目を大きく見開いた千早が納得したように何度も頷く。 「前に貰ったリングと重ねてもいい感じ。新、センスいいんだ」 「どうなんやろ。……けど気に入ってくれたんなら、おれも嬉しい」 大切にするねと微笑む千早に、同じ笑みを新も返す。 少し陶然とした表情で、新から贈られたエンゲージリングを眺めながら千早は言う。 「本当にありがとう、新。……やっと、漕ぎ出せるね」 「うん。たくさんの島目指して、漕いでこうな」 千早の言葉に新も笑って返す。これから先にある様々な出来事が「八十島」となって待っている。 「いくつの島に着けるかな。どんな景色があるのかな」 時には嵐や大風もあるだろうし、時にはどちらの島を目指すのか意見が合わない事もあるだろう。 「……誕生日に『かささぎ』貰った。お祝いで『ちは』添えてくれた。草木じゃないけど嵐や大風は『ふ』。今の話で私達の大事な歌、全部揃ったね」 「一緒に生きてくのは、おれから取った最初の『せ』やし……揃ったな。その五枚があるんや、楽しく乗り越えられる」 どちらからともなく顔を寄せ、小さなキスを交わした。 「ほやった。相談ってどんな事やろ?」 今日この部屋に千早を泊める事になった理由がそれだ。キスを解いて新は問う。 「うん。新さ、福井のって言うか、あわら市の物件扱ってる不動産屋さんって知ってる所とかある? あと、実際引っ越す時どういう風にした方がいいかなって」 二カ所から同じ一つの住所への引っ越しを業者にどう頼んでいいか分からないし、新が今使っている家電をそのまま福井に持っていくから千早自身は何をどう運んでいいかも考えがまとまらない。それに少しは家具も買い足さなければならないだろうから、一緒に考えて欲しいと千早は告げてきた。 「二月なんて、卒論の仕上げであっという間だろうし」 「……早手回しすぎんか? 三月入ってからでもいい話やって気するんやけど、おれ」 「だって年度末だと、いい物件塞がるのって早くない?」 引っ越すのは確定だから仮契約なりで押さえておきたい、と千早は答える。言われてみれば一理あるのかも知れない。 「んー……ネットでちょっと見てみるか? とりあえずの相場とか」 卒論用に買った中古のノートパソコンを出してきて立ち上げ、検索をかけてみた。 「うちの市と近隣やと、こんな感じやろか」 そう言って千早を隣に座らせて画面を見せる。 「うっわ、安っ! 広さあって新しいっぽくて駐車場ついてるのに、これ相場?!」 「……物価安いのもやけど、土地建物の評価額とかも高くないしの」 だから持ち家率が全国でもトップクラスなのだろう、と新は笑いながら言った。 「まあ、おれは今より風呂場広いとこやったら、何の文句もない」 試合の後に時々愚痴る一言がやはり口を吐いて出て、千早は明るく笑う。 「これなんかホントに広いけど、家賃そこまでじゃないんだね」 千早が指差した賃貸物件の詳細を開く。一階と二階で四世帯のみというタイプらしい。間取り図に新の目を惹くものがあった。収納の多さもだが、ダイニングキッチンを挟んで両側に大小二つの和室がある。 「……これ、一階が空いてたら悪ないなあ。折半で十分借りれる家賃やし、片方寝室に使ってもかるた取れるし」 「あっ、問い合わせボタンあるよ。今のうちに詳細だけでも聞きたいな、これ」 「ん、分かった。おれんとこ連絡先でいいんか?」 千早が即座に頷き、新は問い合わせフォームに入力して送信した。 「高松宮杯までに返事あるとラッキーなんやけどの。まあその次の日でもセーフやし」 そこまでに業者から返信があれば、実家に行くついでに下見が出来るかも知れない。 「連絡遅かったら遅かったで、日曜に強行軍で行けるよ」 実際に日帰りで往復した経験がある千早は笑う。 「引っ越しは、うーん……おれは処分が要る物以外全部持ってかんとあかんけど、千早はとりあえず必要最低限で良くないか? 着るもんとか寝る時とか、あと小さい家具とかの、今の部屋にある物。それ分かれば見積もり取れるやろ」 部屋を決めて入口の寸法が分からないと、持って行っても運び入れが大変になる。 「あー、そっか。間違いなく玄関通せますって物じゃないと無理だよね」 引っ越した経験がない千早は新の言葉に大きく頷く。 「お洒落なもん売ってる訳でないけど、福井で買う方が合理的やろうな。テーブルとか箪笥とか。ベッド使うんやったらそれもやの。マットだけ買うんでもいいし」 「確かにそうだけど。でも何でマットだけ?」 「上手いこと、さっきの部屋空いてたらって前提やけどさ。足つきのベッド置いたら畳表傷むが?」 かるたを取るのも十分畳は傷むが、今は言わずに話を続ける。 「それに、おれ前に愚痴ったと思うけど」 いい雰囲気になっても、布団を出すのに一旦中断せざるを得ない。それを小声で言うと千早は頬を染めて、それでも頷いた。 ノートパソコンを閉じながら、新は訊く。 「……何か他にも相談ある?」 答える前に千早は新の肩に頭を凭れさせてきた。 「相談は、それだけ。……せっかくの今日だから、一緒に居たかったんだ」 「……半分口実? まあ連れて来つんたし……」 肩に乗った千早の頭を優しく撫でる。 「おれも、内心ちょっと思ってた」 それでもまず、明後日の準備と夕飯が先だ。新は大きめのボストンバッグに自分の着替えを詰め、袴の包みを丁寧に取り出す。 「千早、今着てる服って前夜祭と、高松宮杯終わったらまた着るんか?」 「あ、うん。ホテルのサービスでクリーニングあったと思うし。前夜祭からだと三泊だし間に合うよ」 それでも皺になるといけない。新は自分のスウェットを千早に手渡して、夕食と風呂の仕度を手分けしようと提案した。 「で、飯と風呂済んだら、一緒に寝よ」 「……うん」 |