保湿系トライアルセット

POSSLQ 10



 時折ちらちらと雪が舞う芦原温泉駅。共に大荷物を手にした千早と新は駅前でしばらく立ったまま話し合っている。
「……これ、迷惑になっちゃうよね、やっぱり」
 千早が言う「これ」。クイーン戦と高松宮賜杯に出場するために着替え類を入れてきた大きなボストンバッグと袴の包みを、新の両親を訪れるのに持って行くのはどうかと思う、と相談していた。
「んー。実際帰るの明日やしなあ。貴重品とかだけなんか小さい袋に移し替えて、鞄だけコインロッカーでも入れとくか? さすがに袴は無茶、って言うかコインロッカー入れるの嫌やけど」
「小さいバッグって、私ダディベアのしか持ってきてないんだけど……ほら、前に新に貸したやつ」
 さすがにそれは礼儀を欠いている、と千早の顔は少し曇る。
「気になるんやったら、行く途中に洋品店あるで、間に合わせの小さいバッグか何か買うか? お洒落なもんは置いてえんけど」
 そこまではダディベアでいいだろうと新が宥めるように返してくれ、千早は顔に安堵を浮かべて手土産の紙袋と貴重品を取り出した。

 「話済んだら、あそこ行かん? おれソースカツ丼久々に食いたい」
 新が指で示した先を目で追うと食堂の看板が見える。
「うん。普通に質問なんだけど、福井のカツ丼って全部ソース?」
「卵でとじたやつもあるざ? 単におれの好物って話や」
 四月に入れば千早も食べる機会が増えると笑いながら言ってくれ、待ち遠しいと千早も笑みを返す。そんな話をしながら新と一緒に歩いていった。
「下見の後だよね? ご飯行くの」
「うん。ラッキーやったな、即座に連絡くれて」
 詳細を知りたいとネットで申し込んでおいた不動産屋からは問い合わせの次の日さっそく電話があって、高松宮杯の翌日、つまり今日下見に行けるよう手配してくれた。
「新が名前出したら随分驚いてたね、不動産屋さん」
 元々ここに住んでいた新がわざわざ他に部屋を借りるという話にかなり驚かれてしまった。新は苦笑を浮かべて千早に答える。
「……じいちゃんの知名度や。残念やけど今んとこは、まだ、の」
「でも超えるんだしさ。まあ何年もかかるのは仕方ない事だけど。名人戦は年に一回だし」
 千早の言葉に新は力強く頷き返してくれた。

 のんびりと歩いていくと、かつて自転車に乗った新の服を掴んで土手を転がり落ちた、あの桜並木に差し掛かった。今は千早にとって初めて目にする、雪化粧を施された眺めだ。
「綺麗だなあ。……前にさ、レポート書くからって話してくれた雪遊びの事、ちょっと思い出した」
「あー、ジャンプ台の話か。ここらの雪は湿り気多いで重いけど、雪山作りやすいしの」
「長靴が、えっと何だっけ。……あ、がぼる、んだったよね? でもやっぱり楽しそうだなあ」
 桜の枝に積もっていた雪がひとかたまり新の頭に落ちてくる。
「……まあ、こういう事もあるけどの」
 雪を払いながら新が苦笑混じりに、雪景色が綺麗だと言った千早に答えた。
「春も綺麗だったなあ。桜の花がトンネルみたいで」
 直接歩いた時は景色を楽しめる余裕がなかったが、後で思い返すたびに風に舞う花びらと、その桜を背に、滑り落ちた自分の顔を驚いて見下ろす新の姿がワンセットになっている、と千早は笑った。
「もう七年も前なんか、あれ」
「なんか、不思議な気分。つい昨日みたいな気もするのに」
 新を訪ねて通った道を、今は新と並んで、しかも結婚の挨拶のために歩んでいる。
「おれも、おんなじや」
 そう返しながら新の暖かい手が千早の手を包んでくれた。

 新の実家にあるブロック塀の前で、千早は大きく深呼吸する。
「う……やっぱり緊張する……」
「大丈夫やって。言(ゆ)ったやろ、団体戦やって」
 千早の父親に結婚の許しを得る言葉を口にする前、新は頭の中で「難波津」を読んだと教えてくれ、それを聞いて勇気が湧いてきた。
「……難波津に咲くやこの花冬ごもり──」
 頭の中ではなく、千早は小さな声で序歌を紡いで顔を上げ、新の後に従う。
「ただいまー」
 まるで南雲会の練習から帰ってきたかのように、普段通りの声で新がサッシ戸をカラリと開けた。
「お帰りー。……ええっと、千早ちゃん、やったの? ようこそ、いらっしゃい」
 新の母が待ち構えていたように声を掛けてくる。
「綾瀬千早と申します。どうぞよろしくお願いします」
 姉から「うるさい」と叱られつつ、自宅で何度も練習した初対面の挨拶を述べ、千早は持参した手土産を渡した。クイーン戦と高松宮杯があって日持ちがしないからと東京で買っておけず、近江神宮の最寄り駅で購入した物なのは間に合わせのようで気が引けた。
「どうぞ、上がってちょうだいね。大した事ないウチやけど。新、はよ案内したげねの。気い利かん」
「……千早、上がって」
 失礼します、と緊張の抜けない声を絞り出して、差し出されたスリッパに爪先を通した。

 入口で深く一礼してから室内に入り、膝を付いて襖を閉めた。部屋の印象は以前一度だけ来た時とあまり変わらないように思える。
「あー、いらっしゃい。遠いとこよう来たのお。寒かったやろし、コタツあたんね」
「……母ちゃん揃ったら改めて紹介するで、ほんないきなりテンション上げんといてって」
 さすがにいきなりコタツに足を突っ込む訳にはいかない。千早は和室の下座について、新の両親が揃って座るのをじっと待った。
「はい、お茶どうぞ」
「お茶は後でいいわ。改めて紹介します。こちら、綾瀬千早さん。……千早、うちの両親です」
 千早は背筋を伸ばして畳に手を付く。
「改めて、ご挨拶させて頂きます。綾瀬千早と申します」
 きちんと一礼して顔を上げ、新と交際して四年になる事を告げた。新の両親はにっこり笑って名乗ってくれた。
「……この間、あちらのご両親にお許し頂戴した所やし、福井の生活に慣れてからやから何年か先やけど。千早と結婚します」
「新が決めた事や、そのまんま進んでけ。……千早さん、こんな息子やけど……よろしく、頼みます」
 父の彰が頭を下げてくれる。
「はい。私の方こそ、至らない点がたくさんありますが、よろしくお願いします。色々と教えてください」
「父ちゃんも母ちゃんも、どうもありがとう。おれら二人で頑張ってく。ずっと」
 千早と新も揃って頭を下げた。

 「まあ、堅っ苦しいのはこの辺にしよっさ。千早ちゃんも足楽にして、コタツ入んね?」
「はい。ありがとうございます」
 両親に勧められてようやくコタツに入る。随分とあっさり認めてもらえた結婚の報告に千早は少しだけ拍子抜けする思いだが、娘二人しかいない自分の親とではその辺りが違うのだろうか。
(さっき新のお父さん、決めた事だからそのまま進んでいけ、って……尊重してくれてるんだね)
 そんな事を思っていると、隣で新が咳払いをしていた。
「……ところで母ちゃん。千早連れてくまで黙っとけって頼んだの、ちゃんと守ってくれてたんか? 近所に触れ回ったんでないやろの」
「あらバレてもた。おめでたい話なんやで、いいがの」
 やっぱりか、と新は隣で頭を抱えている。
「言ってもたんなら、しゃあないか。四月から先生なるで、どんな人か知っといてもらえると嬉しいって前言ってたしな、千早」
 ようやく表情を戻した新に、千早は頷き返す。
「新に聞いとったけど、高校の先生やったの? 難しい事もあるやろけど、頑張っての」
「はい。一つずつ努力していきます」
 新の父からエールをもらい、千早はまっすぐ視線を合わせて答えた。

 「……ほんでな、卒業するまでに千早のご両親に一緒に挨拶行ってほしいんや。旅費おれ持つで」
「大事なことやもんの。あちらのご都合、ちゃんと聞いといて連絡ちょうだいや? お式いつ挙げる予定やの? あ、二階の部屋、空けとかなあかんのお」
 新の母はうきうきと尋ねてきた。
「あ、いや二階は空けんくていいんや。……部屋借りて、四月から一緒に住むし。それもご両親に承諾もろてる。おれらようやく社会人なるばっかやから、色々お金貯めてから式は挙げる事なるやろ。そん時はまたちゃんと言うし」
 先に決めてしまった事を千早が詫びると、新は自分から言い出した事だと強く言い切る。
「ほうなんかあ……。ほやけど、遠くではないんやろ? 住むとこって」
 せっかく娘と住めると思ったのにー、と新の母はわざとだと千早にも分かる溜め息を混ぜて言葉を返してきた。
「はい。なるべく近くにと思って、いくつか探しているところです。勝手を言って申し訳ありません」
 それでも自分達で一から作り上げていきたいと、千早は二人で話し合った事を告げる。

 「うん、そうやの。その代わりって言(ゆ)ったら何やけど、千早ちゃん、ちょくちょく顔見せての? ……新は別に来んでもいいわ。ピンクの買うと文句ばっかやし。ほやの、白菜とかお米とか重いもん持つ時だけ来ね」
 麻里の言葉に「息子はえらい蔑ろにされてるな」と新が笑顔のまま愚痴っている。
「はい、それじゃ時々寄らせてください。こっちのお料理とか、新……さんの好きな物とか、教えてほしいです」
 自宅での時と同じに、新を呼ぶ時だけまた噛んでしまった。
「無理せんでいいって。六年生から新って呼んでるんやし」
「もう十年ぐらいなるんか。東京の学校はこうやとか、友達はこんな子やーとかって、新しょっちゅう、おじいちゃんに話してたもんのお」
 懐かしむついでに新が福井に帰ってすぐの話を麻里が暴露する。
「……バラす事ないやろ。……あ、千早じいちゃんに挨拶しときたいって言うてたな。……こっち」
「あ、うん。……失礼します」
 新に連れられて隣の仏間に入る。持ってきた手土産を新が小分けして供えてくれ、千早は線香をあげて手を合わせる。
(……初めまして、千早です。新から、かるたの楽しさを教えてもらいました。そしてやっと勧学館……浦安の間で戦えるようになりました。これからも新と一緒に、ずっと頑張っていきます。よろしくお願いします)
 新の祖父───永世名人が何と答えてくれたかは分からない。
「きっと喜んでる」
 心の中の呟きに、新が静かに答えてくれた。



POSSLQ = Person of the Opposite Sex Sharing Live Quaters


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written by Hiiro Makishima