POSSLQ 5
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あまり遅くなると家族が心配するからと、タッパーに詰めた栗ご飯を千早に手渡して鞄に入れさせた。 「今日は本当に色々ありがとう、新。言ってくれた事、しっかり考えるね」 新は頷き、玄関まで一緒に移動する。 「千早……キスだけ、させて」 そう小さな声で告げて頬に手を伸ばした。千早は少し訝しんでいたが、新の唇を柔らかく受け止めてくれた。 「……っ、はぁ……っ、ん……」 いつもと違って新の方が口付けの合間に切なげな吐息を漏らし、唇の柔らかさや口の中から伝わる千早の熱、それら一つ一つを確かめるように舌を絡めて長い長いキスを続ける。 (……答え受け入れるって決めたおれには、もしかしたら最後のキスになるかも知れんから……) 関係性が変わっても、新にとって千早は最も特別な相手なのは変わらない。けれどこうして唇や肌で、身体全部で千早を感じる事は二人の接し方が変われば二度と出来ない事になる。未練なのかも知れないし感傷的な事かも知れないが、このキスを心に焼き付けておきたかった。 「……」 唇を離さず反対側の手で千早の手を探り当て、外を歩く時のようにそっと包んだまま千早の唇を確かめ続けていると涙が滲みそうになり、ようやく新は口付けを解いた。 「……ごめんな、引き留めて」 「ううん……」 新からこんなキスを受けたのは初めてで、千早はまだ少し頭の中がぼんやりしている。 「駅まで送るわ。行こっさ」 目の前の新は笑っている。笑っているようには、見える。けれど今その表情の訳を訊いてはいけないと何故か千早は感じた。 「うん」 できるだけ普段通りに答えて千早は靴を履く。 「……新は、卒論のテーマ、もう決めた?」 「うん。資料も大体揃ってきたとこや。千早は?」 当たり障りのない話をぽつぽつと交わしているうちに、駅に着いてしまった。 「気い付けて帰りね?」 「うん。おやすみなさい」 それだけを言い交わして、千早は改札を抜ける。脳裏には理由を問うてはならない気がした新の笑みが浮かんでいた。 千早の採用祝いからちょうど一週間が経った。卒論の準備と休みが合わない予備校のバイトでほとんど顔は合わせていなかったが、後悔していないと言った通り、あの日のキスを心に留めた新は普段通りの生活を送っていた。 「……?」 台所に立っていたら、外の物音が一番聞こえる郵便受けの隙間から軽い足音を聴き取った。音の感じで千早かな、と思った時チャイムが鳴る。 「あ、千早。上がんね?」 「うん、お邪魔します。……あ、お茶はいいから」 先手を打たれ、頷いてそのまま千早を部屋に通した。 「この前はお祝い、ほんとにありがとう。すごく美味しかった。うちのお母さんも凄いのねーって」 「そう言われると少し照れるけど、ありがとう」 適当に胡座をかいて、そんな事を話す。 「……あの、新」 千早が居住まいを正して名を呼ぶ。新も正座になってその顔にまっすぐ向き合った。 「この間の話。私ずっと、ずっとずっと考えてきた。……それで」 ぴしりとした動作で一礼してきた千早が後に続ける言葉をちゃんと聞かないと、と思っているのに、新の鼓動はどうしても息苦しいほど早くなる。 (どんな答えでも受け入れるって、覚悟してたやろ……おれは今更何をビビってるんや) すうっと息を吸い込む音を聞いた。 「───私を、新のお嫁さんにしてください」 新の耳に静かに飛び込む声。その一言を口にした千早の耳が真っ赤になっているのが見える。 「一月の、休み。二日か三日、延ばして欲しいんです。それから、私と一緒に探してください。……二人で、暮らせる部屋」 「……千早……」 何だか全身の力がふうっと抜けた気がする。新はゆるゆると息を吐き出した。 顔を上げてと言葉をかけると、頬に朱を刷いた千早と視線が交わった。 「ありがとう、真剣に考えてくれて……。おれが一番欲しかった言葉をくれて……」 膝を詰め、まだ畳に付いたままの両手をそっと取る。 「本当に、ありがとう」 「うん。新からのプロポーズ聞けて、今すごく幸せなんだ、私」 「……千早の答え二回聞けた分、きっとおれの方が二倍幸せや」 負けず嫌いらしい言葉を送って、新は真向かいに座る細い身体を抱き締めた。 「絶対手放さん。変更もキャンセルも却下や。その代わり、千早がずうっと笑ってられる努力、一生続ける」 千早の手が柔らかく背中に回る。もしかしたら二度と感じ取れないかも知れないと思っていた暖かみが嬉しくて、新は抱く腕に力をこめる。 「私、いい奥さんになれるかな。……なりたいな」 「千早は、こうなりたいって思った事、そうなる努力してきた」 願いを叶えようと努力する千早の姿は「かるたを続けて再会する」と言った、あの時まで遡れる。それが答えだと新は静かに言葉を届けた。 抱擁を解いた二人は寄り添うように座り直した。 「それ、さすがに大分くたびれてきた感じやな。……新しいの、買お」 何年か前に買ったファッションリングに視線を送って、新は独り言のように呟く。 「……これの事? 私これ気に入ってるんだけどな」 「そっちはそっちで持ってればいいし。買うって言(ゆ)ったのは、ちゃんとした婚約指輪」 指に通してもらうのは、千早の両親が認めてくれてからだと言葉を継いだ。 「高くなくていいって、前に言ったよ。蓄えの事もあるけど……あのね?」 その気持ちも嬉しいが、高いものを買うよりも二人揃っていくつも大会に出る方が楽しい。千早は新の耳元でそんな風に返す。 「ほんなら、そうしよ。四年なってから出る大会かなり絞ってるし、発散してこっさ」 とは言え社会人になったら自分達に限らず練習も大会も絞り込んででしか出られないが、そのペースでいいなら各地の大会を荒らして回ろう、と新はくつくつ笑いながら言った。 「新。一週間前に玄関でキスした時の事、聞いてもいいかな」 「どんな事?」 千早はゆっくり話していく。あの日のキスは普段と違う印象を受けた事、唇を離した新は笑って見えたが千早は違和感を覚えた事、同時にその訳を何故か尋ねてはいけないと思った事。全てを率直に問うた。 「やっぱ気付いてたんやな。……どんな答えでも受け入れるって言ったし覚悟もしてた。仮に答えが変わっても千早は大切な相手やっていうのは変わらんのも本当の事や」 そこまで言って、少しだけ困ったように笑う。 「ほやけど……もしかしたら彼女としての千早にキスできるのは、これが最後になるんかも知れん……そう思って、焼き付けておきたかった」 どうにか笑顔に見える表情でいようと努めたのは、真剣に考えると言ってくれた千早の心をかき乱したくなかったからだ。ありのままを新も答えた。 「正直に言ってくれて、ありがとう。……お礼だよ」 隣に腰を下ろしている新の唇を横から奪う。思い出に残したいだけのキスはもう要らない、と一度顔を離して千早が声を届けると、今度は新が唇を普段通りに重ねてきて、千早はそのまま瞳を閉じた。 |