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 食事を終えた宿泊客が少しずつ広間を後にしていく中、新と千早は隅の方に腰を下ろして片付けが終わるのを待っている。
「浴衣でかるたとか、おれ生まれて初めてやな」
「袖、大丈夫かな?」
 千早は右腕を軽く振ってみる。
(……袖はいいけど、おれ自分の浴衣の裾、大丈夫やろか……)
 普通に札を払いに行くだけでも右足がかなり跳ね上がるが、渡り手を使うと左右への体重移動がある分、裾が乱れるのではないかという気がした。
「おれも下だけ何か履いてきたら良かったかなぁ……」
「……行ってきたら? まだしばらく片付け終わらないだろうし。……はい、鍵」
 溜め息を吐いた新に、千早は部屋の鍵を手渡す。
「いつものジャージしか持ってきてえんけど……まあ、ちょっと行ってくるわ。ごめん」
 新はスリッパを引っかけて、足早に部屋へ向かった。

 「ええと、鞄……」
 自分の鞄から練習用のジャージを引っ張り出して、浴衣の下に着込む。
「うわー……何か変な着心地やな……」
 そうは言っても他には持ってきていない。贅沢を言っても始まらないと新はジャージの裾を少し折り曲げて浴衣の中に隠し、また急ぎ足で広間へと戻っていった。
「……何や? さっきまで、ほんな騒がしなかったと思ったけど……」
 広間の方からざわついた声が聞こえてくる。その中に千早の声が混ざっているのを聞き取った新は入り口の襖を勢いよく開けた。
「あっ、新。お帰りー」
 新の姿を認めた千早がほっとした口調で声を掛けてくる。その途端、千早の側に陣取っていたらしい何人かの宿泊客が顔を顰めているのに気が付いた。
「……おれの彼女に、何か用ですか」
 千早の側に腰を下ろしながら、新は試合の時のように相手の顔を睨め付けて問うた。
「え、あ……いや、まあ……」
 へどもどと口ごもって一団が立ち上がると、千早に渡そうとしていたらしい名刺がぽとりと畳の上に落ちたが、それを拾い上げる事も忘れて彼らは広間から出て行く。襖が閉まる音がした次の瞬間、畳が大きな音を立てたかと思うと、その名刺が広間の奥へと一直線に飛んでいった。

 「……ありがと、新。助かっちゃった」
 新の「超加速」が名刺を払い飛ばしたと分かっている千早はほっと安堵の息を漏らす。
「酔っ払ってたんやろ、あれ」
「……多分。新が一緒だって何度言っても聞いてくれないし……」
 目立つ容姿の千早が一人で居るのを見て、声を掛けてきたという所だろうが、大人数相手では千早が断る端から誰かが食い下がり、埒が明かなかったらしい。
(間に合うて良かったわ……冗談抜きで……)
 部屋でジャージの着心地をあれ以上気にしていたら、何が起きていたか分からない。新はほっと胸をなで下ろす。
「でもさっき新が『おれの彼女』って言ってくれたし、ちょっと……嬉しかったかも」
「え、あ……まあ、その……ほんとの事やし……」
 腹が立っていたさっきは全く意識せずに「彼女」と口に出来たが、改めて言われるとやはり照れ臭いものがあった。
「や、もうその話はいいやろ。……かるた、しよっさ」
 やや乱暴に話を打ち切って言うと、千早も素早く頭を切り換えてきた。

 人気のなくなった広間に向かい合い、二人で札を混ぜる。
「まあ練習場とか試合会場でないで、外の物音あるけど……しゃあないの」
「……こればっかりはね。て言うか、私達がかるたしたいって無理言っちゃったし」
「ほやな。まあ集中すれば、どうにかなるやろ」
 千早が頷くのを見て、互いに二十五枚ずつの札を持ち、開いていく。
「プレーヤー、電源入れるね。……暗記時間、携帯の時計でいい?」
「うん、問題ないざ」
 新も自分の腕時計を外して脇に置き、暗記時間が始まった。とは言え普段から一緒に練習している相手の配置は大体頭に入っている。二人ともあっさりと暗記を済ませ、後は集中を高めるためにイメージを描いていった。
「……あと二分」
 新の短い言葉を聞いた千早は素振りを始め、新は懐手をしたまま静かな顔でその様子を眺める。それもまた、いつも通りの風景だった。
「……始めます。……よろしくお願いします」
 互いに一礼し、千早はプレーヤーの再生ボタンを押して即座に一時停止させる。片手にプレーヤーを持ったまま、顔を見合わせて序歌を詠むタイミングを合わせてきた。
「……難波津に咲くやこの花冬籠もり──」
 柔らかな声で千早が紡ぐ上の句に、新の穏やかな声が続く。
「今を春べと咲くやこの花──今を春べと咲くやこの花───」
 きっかり三秒を待って、千早はプレーヤーの一時停止を解除し、構えた。一秒あとにスピーカーから最初の歌が流れ出す。
『みちのくの───』
 張り詰めた静寂の中、畳を打つ音だけが広間の空気を揺るがせた。

 「暑いー……。けど、悔しいー!」
 広間でのかるたは結局運命戦にもつれ込み、新の陣に残っていた一枚が先に詠まれて勝敗が決した。力量が拮抗している分、最近二人で取ると僅差で決着が付く事が多くなって、毎度の事だが千早は畳をかきむしらんばかりの勢いで悔しがる。
「おれ最近、千早には一体何が聞こえてるんやろって思う事増えたわ。CD音源やとほうでもないけど、読手さんが居る試合やと特に」
 決まり字前の一音の高低差、という話は以前聞いたが、最近の千早を見ていると札によってはそのもっと前、呼気が音になるその瞬間に判別出来ているような気さえする。
「……実は一番、言葉で説明出来ないんだよね。読手さんの呼吸が変わる瞬間っていうか、一音目を言おうとして口の形が変わってく時の空気の揺らぎっていうか……何か説明しようとすると、逆に自分が何言いたいのかワケ分かんなくなったり」
「言いたい事は何となく分かるんやけどの」
 新自身、「半音」は常に意識している事だが、千早のようにF音どころかその手前で音を捕まえられるだけの「感じ」は備えていない。ただその事で焦りを感じたりしないのは、「相手より速く取るだけ」という祖父から教わった、自分のプレースタイルを信頼しているからだ。
「でもさ、かるたって『感じ』だけじゃダメだし。さっきだって大山札、新はすごく低く囲ってきた。隙間狙おうにも、その隙間がないんだもん……。もっと練習しないとダメだなあ」
「……いつでも付き合うで。さて、部屋戻ろっか?」
 札の箱やプレーヤーを手に新は立ち上がる。
「あ、うん。……新と練習するのって楽しいから好きだなあ」
 千早もにこやかに笑って隣を歩く。
「うん。おれもや。先輩らにはからかわれるけど、ほれが何やって思ってまうわ」
 かるた部の上級生達からはよく「かるたバカップル」と二人一纏めで呼ばれるが、かるた好きの二人にとってそれはむしろ誉め言葉に近い。くすくすと笑いながら客室への廊下を歩いていった。
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 のべられた夜具の上に二人とも脚を投げ出して座り、一息入れる。
「……もうこんな時間か。なんか、時間経つの早いな」
 もう小一時間ほどで日付が変わる時刻になっていた。
「明日、チェックアウトしてからどうする?」
「ん、ほやなあ……駅のロッカーに荷物置いて、適当にぶらつくか?」
「いいね。けど何か今日って新、普段言わなそうな事結構言ってない? ……無理、してる?」
 伺うように言われたそれに、新は笑みを返す。
「全然? ……旅行の時ぐらい、ノープランも悪ないなって。……ほんだけや」
「ん、だったらいいの」
(……なんかバレてる気はするんやけどの……)
 千早の言葉の調子から新はそんな風に思うが、千早が敢えて問わないでいてくれる事をわざわざ訂正するのも野暮だと考え直した。

 「明日の天気だけ、チェックしとこうか。テレビ、つけていい?」
「あ、うん。……チャンネルどこでもいいんか?」
 リモコンを操作してみるが、どの放送局ももうしばらくは今の番組が流れる時間帯のようだ。
「ニュースの時間まで、待つしかないの」
 諦めてリモコンを座卓の上に置く。ふと、聞き覚えがあるような声がテレビから流れたような気がして新は画面に視線をやった。
「あれ、これ……千早のお姉ちゃんやろ?」
「……あ、ホントだ! 再放送入ってる!」
 やはり姉妹だから声の質が似ているらしい。東京の深夜枠で流れているドラマの再放送を、千早は食い入るように見ている。
『なにこれ。これがスマホの魔法?!』
 画面の中で姉の千歳の姿が見る見る太っていき、新は目を丸くした。
「ど……どういう話なんや、これ……?」
「あ、何かね。人をデブに出来るスマホアプリを手に入れた女子高生の話なんだって。お姉ちゃんはその友達役。レギュラーで出てるんだよ」
「へー。頑張ってるんやな。……あ、もしかしてこれか? 前に千早が教わったって言うてたの」
「そうだよ?」
 千早の意識はほとんど画面に向いているらしい。新はそれ以上問う事をやめ、自分もテレビ画面に目を向けた。

 千歳が出ていたドラマの再放送が終わり、その日最後のニュース番組が流れ出すとようやく千早はテレビから視線を外した。
「あ、つい夢中で見ちゃった。……ごめんね」
「謝る事ないざ。昔っから、千早はお姉ちゃんのファンやが?」
 初めて言葉を交わした時も、千早は姉が小さく写っているスポーツ紙の一面を意気込んで新に見せてきた。
「うん。大河ドラマに出たいって、お姉ちゃんレッスンとか頑張ってるんだ」
「……ほっか。形は違ごても、夢叶えるのに努力すんのは一緒やな。……あ、天気予報始まった」
 画面の中の日本地図に、いくつも太陽のマークが並んでいる。
「明日も天気いいみたいやな。……って、千早? どしたんや、携帯と睨めっこして」
 電話を掛けるでもなく、メールを打つでもなく、千早はじっと待ち受け画面を凝視していた。
「ん? ……あ、そろそろだ」
 千早は携帯を脇に置くと、新の目の前にきちんと座り直した。しばらく無言のままで居ると、テレビから午前零時の時報が耳に届く。
「新、お誕生日おめでとう」
 零時きっかりにそれを伝えたくて待っていたらしい。胸の裡に暖かいものが広がるのを感じながら、新も正座で座り直す。
「……ありがとう、千早」





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written by Hiiro Makishima