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物をこそ思へ 2



 ───ぽつ、という微かな物音、と言うより気配のような物を感じた新は反射的に顔を上げた。競技線上に並んだ札と、その向こうに座る千早。そんな見慣れた構図の中、俯いている千早の表情だけが分からない。
(……汗が落ちた……?)
 そんな風に思う新の耳にもう一度、ぽつん、という音が今度ははっきり届く。
「え、ちょっ……、どしたんやし千早?」
 微かな音の正体は、千早の額からでも顎からでもなく、伏せた長い睫毛から伝い落ちている。零れた涙は取り札の上で部屋の明かりを反射してきらりと光っていた。
「何で……泣くんや……?」
 普段なら何か気に障る事でも言ってしまったかと思うところだが、試合の最中だっただけに、千早が泣く理由が新には分からずデッキを止めて恐る恐る問うた。
「……言って」
 札から顔を上げないまま、千早が低く押し殺したように呟いた。

 「言うって、何を。……確かに今日、千早の送り札いつもと違かったけど……」
 口ごもりながら視線を落とすと、千早が送ろうとしていた「よもすがら」が目に入った。
(え? ……まさか今日の送り札って、戦略とかでのうて……全部、歌の意味で選んで来たって事なんか……?)
 送られたどの札も、恋した相手のつれなさに切ない思いを抱いているという歌ばかりだ、と今更のように気が付いた。
「……新。……もし、気持ち……変わったんなら、はっきりそう言って。私バカだから、嫌われても気付かない」
「何でほんな事言うんやし? 誰も千早の事、嫌ってえんって」
 千早の一言に、新は大慌てで言葉を返すが、突然顔を上げてきっと新を見据える千早の強い視線に呑まれてしまう。

 「だって新この頃、近くに居ると、私から距離とってる!」
「……え? や、あの……」
 千早が言う心変わりが理由ではないが、新自身意図的に千早との物理的距離を開けていただけに、その一言を否定はできない。
「話してても、授業の事とか当たり障りない話ばっかりで! 付き合うって言ってくれた前より、よそよそしくて……っ!」
 堰が切れたように千早は言葉を継ぐ。
「お……お姉ちゃんがね、私には……新が先に進みたくなるような魅力がないから、だから何の進展もないんじゃないか、って……」
「千早、それは違う。絶対違う」
 千早に魅力がないなどと思った試しは一度もない。新は明確に言い切った。

 「……えっと、話する前に……とにかく千早に謝らせて。ほんな風に言わせてもて、本当にごめん」
 背筋を伸ばして座り直した新は、畳に手を付けて深々と頭を下げた。
「おれ、気持ちとか全然変わってえん。それは本当や。……ただ、色々考えつんて。……大学卒業したら、おれ……また福井帰るやろうし。……それ分かってんのに、その……そういう事とか、するって……。何か、あかんのでないんか、って思ったり」
 いくら真面目な話とはいえ、話題がこういう方向に進むと新の口はどうしても重くなる。
「卒業してって……新は、別れる前提で付き合うって言ったの? それって何か変だよ」
 どうにも出来なかった小学生の時とは違う。お互いの会いたい気持ちと続けたい意志だけが、新と千早の距離を決めるのだ。
「いや、そういうんでなくて……。って、それも言い訳なんかの」
 新は困ったように頭を掻いた。

 「おれかって別に、千早と距離取りたい訳でない。……ほやけど、それ望んでんのがおれだけやったら? って思ってもて。……まだ学生やで、もし千早が望んでえん事してもても、おれには大した責任取れんのやし……」
 新にすれば、謝って取り返しのつく類の事とはやはり思えなかった。
「……それも新の本音だって事は分かるよ。……けど、どうしてか分かんないけど、まだ……何かありそうな気がする」
 千早の切り返しに新は思わず言葉に詰まる。
「はぁ……女の直感って、凄いんやな……。一番、言うの恥ずかしいんやけど」
 普段の千早はそう言えば無理に聞こうとはしないが、今日は真正面からひたと新の顔に視線を据えて揺らがない。その強さに応えなければという思いが新の背中を押した。
「……経験ないで、限度とかもやけどさ……。どんなして、誘ったらいいんか分からんし。……誘って千早に拒否られたら、どんな顔していいんか、もっと分からんし……」
 かるたの時を除けば基本的に内気と言われるが、新はそれも違うと思っている。そうではなく、人に感情的な顔や、己の無様さを晒す事が嫌なのだ。以前腹痛で試合中の退席を余儀なくされた時、新は自分にそういう面がある事を痛感した。
「千早に相談していいんかどうかさえ、ずっと迷っとった。……ほんな状態ん中で、偶然でも千早に触ったりしたら、おれ自分が何するか分からんって気もしてたんや……ごめんな」
 ずっと胸の裡でくすぶっていたものを全部吐き出せた新は、気恥ずかしさを振り払うように大きく呼吸を繰り返した。

 「……もしかして、勝ったら聞き出すつもりで試合しようって言って来た?」
 それ以外に、千早があんなガムシャラなかるたを取る理由があるとも思えなかった。
「うん。……それと私からも、はっきり言っちゃった方がいいのかなって思って。……今、新が言ってくれたみたいな事。私もずっと、おんなじような事、考えてた。……言って新が引いちゃったらどうしよう、とか、もし嫌われてたら、追わないで、普通のかるた仲間でいる方がいいのかなとか……」
 千早にとって「もし嫌われていたら」という不安は初めてではない。かるたを止めたと電話越しに聞かされ、自転車で追い掛けて来てくれるまで、もう新はかるたも自分達の事も嫌いになったのではと胸が潰されそうだった。
「……ごめん、ごめんな……千早。おれ、千早の事傷つけてばっかりや……ごめん」
 無理して笑んでいるように見える表情に、新は膝でにじって千早の側に寄ると、初めて躊躇なく千早を強く抱き締めた。
「そ……、ううん、もう、いいの」
 そんな事ない、と言いかけたが千早はその言葉を飲み込んで、代わりにゆっくりと両腕を新の背中に回した。一瞬新の身体がびくりと強ばり、それで千早の鼓動も一気に早まってしまう。
「……千早」
 名を呼ばれて上げた目線の先に、耳を真っ赤にしながらも真っ直ぐ千早を見ている新の顔があった。
「おれから言わせて。……していい? キス、とか……。あ、違う。……したいんや」
 二人分の鼓動が同じだけ強まり、一つの音にさえ思える。
「……うん」
 息だけの声で応えた千早はゆっくりと目を閉じた。  



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written by Hiiro Makishima