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物をこそ思へ 8



 「……う、ん……」
 うっすら開けた目の前に、気遣わしげな新の顔があった。
「千早、身体……平気か?」
「え? あ……うん。大丈夫だよ」
 ようやく新は愁眉を開く。
「私、眠ってた?」
「……おれもちょっと、ウトウトしてた」
 そう言い合って、照れたように笑い合った。

 やっと思い出したように服を身に着け、新は敷いていた布団を畳んで部屋の隅に押しやった。そこに背中を凭れさせると、ちょうどいい感じに並んで座れる。
「……あ、千早の髪、ぐちゃぐちゃにしてもうたな。……ちょっと待っての」
 新は立ち上がり、洗面所から自分のヘアブラシを持って戻ってきた。
「おれので悪いけど……向こう、向きね?」
「え? いいよ、自分で出来るし……」
「……たまにはいいが? 梳かしたげるわ」
 そんな事を言い、新は千早の髪をとかす。幾筋か絡まってしまったようだ。新は毛先から慎重に櫛を入れ、丁寧に髪の縺れを解いていった。

 「……さっきさ、シャワー借りた時。私ちょっと『ながからむ』の歌の事考えてたんだ」
「ああ……。試合しようって言うてくるまでの千早の心境、その歌に近いもんはあったんやろ?」
 千早はこくりと頷いた。
「まあ、私黒髪じゃないけど」
「はは。元気そうで、千早らしい色やが。……ほやけどもし、『ながか』の歌が茶髪とか金髪とかやったら、なんかこう……ええーっ、て気にはなるかもの」
 新の言葉に千早はつい、明るい茶髪で十二単姿の姫を想像してしまい、可笑しそうに声を立てて笑う。
「……こんなもんやろか?」
「うん。ありがとう」
 新が梳かしてくれた髪を千早は手の甲で軽く持ち上げて、サラサラと落としてみる。本当に丁寧にブラッシングしてくれたのがその手触りで分かる。

 「さっき、千早に『最初から別れる前提で付き合おうって言ったんか』って言われた時……ちょっとドキっとした」
 そういうつもりは無かったが、と前置きして新は話を続ける。
「卒業した後続けていけるんかな、っていうのはこの頃少し思ってた。……おれはまだ、千早に付いて来いとか、迎えに行くの待っててって言えるだけの生活基盤がなんもないのは事実やでさ」
 そして生活基盤、という事について新は別の懸念も持っていた。
「そういう基盤が出来る頃って、千早かって夢叶えて高校の先生になって何年か経つって事やろ」
 新の目線で考える時、千早に付いて来いと言うのは同時に、福井でもう一度高校の教員資格を取り直せと言うに等しい。試験自体はともかく、その数年で千早が培うだろう「東京での高校かるた部顧問」としての経験や実績を振り出しに戻すようで、軽々に言っていい事ではないという思いがあった。
「……千早がかるた大好きなんは、おれも良う分かってる。……知ってるで、なおさら言っていいもんかどうか迷ってまう話やったんや」
 その懸念のせいでよそよそしい態度を続けてしまった事は本当に申し訳ない、と新は話を終えた。

 「実は私もね、考えなかった訳じゃないんだ」
 千早は新の顔にまっすぐ視線を向けて口を開いた。
「新ほど細かく考えてはなかったけど、高校の先生になる採用試験の事は、同じような事思ってた。だけど……自分の努力で叶えられる夢なら、やってみようって思うんだ。瑞沢で部を作った時や、クイーンになるのと同じ」
 まだ決めた訳じゃないけど、と千早は言葉を継ぐ。
「……教員採用試験もね、初めっから福井で受けるっていうのも実は選択に入れてはいるの。ただ、まだうちの家族にも話してないし、それこそ新が言った『生活基盤』が全然見通し立ってないから、新に言うのはそこら辺はっきりしてからって思ってたの。黙っててごめんね」
 日本のどこで先生になっても自分の夢は叶うと千早自身は思うのだが、両親にとっては全く知らない土地で、しかもずっと実家暮らしだった娘がちゃんと自活出来ると信じてもらう必要がある、と千早は話を締めくくった。

 「謝らんくていいざ。……大事な事やから、じっくり考えなあかんのやし」
 まだそれなりに二人には時間がある。公務員試験や教員採用試験に本格的に取り組むまでに、お互いに色々話し合っていけばいいのだ。二人にとってのベストな道と、そのために必要な努力もそこから見えてくる筈だ。
「何も明日答え出せ、って話でないし。アホな思い付きでも何でも、話してみよっさ」
「うん、そうだね。……何だかさ、かるたの暗記中に『これ取ったらこれ送ろう』って色々考えるのと似てるかもって今ちょっと思ったかなあ」
 千早の例えを聞いた新がにっこり笑う。
「なんか、千早の話聞いてたら今のも団体戦する前の作戦会議みたいやなって思った、おれも」
「あ、それいいね! ……そう言えば新と詳しい作戦会議したのって、もしかして……」
 皆まで言わせず新は頷く。千早が正真正銘初心者だった白波会での源平戦の頃とは違い、お互い積み上げてきたA級選手としての経験と実績を信頼しているし、対戦相手もほとんど見知っている。周防久志のように、かるたを始めて間がないのにとんとん拍子に昇級した選手が相手に居れば話は別だが、大学で一緒にかるたをするようになってから千早とそこまで細かい情報交換を試合前に行ってはいない。

 「……まあ、かるたはそうやけど、今度の『作戦会議』は別やし」
 新の言葉に千早は「欲張っていきたいよね」と笑い返す。
「……さっきの『ながか』やけど。……今日こうやって話すまで、『ゆら』に近かったかもな、おれも。……『行方も知らず』って意味だけやったけど」
「でも新は梶をなくしてないよね?」
 千早の言葉に新は頷く。今日こうしてお互い考えていた事を話し、自分達の行方を決めていく「作戦会議」という梶を手に出来た。
「いつか周りの人に言いたいの。おれらはちゃんと漕ぎ出せたんやって」
 新がどの歌を引き合いに出したかすぐに気付き、千早は顔を綻ばせた。








written by Hiiro Makishima