保湿系トライアルセット

 40

新と千早の大学生活



 学食のカウンターは毎度の事ながら長い列が出来ている。
「近江神宮の食堂も結構混んでたけど、うちの方が凄くない? ……お腹空いたなぁ」
 待ちくたびれたのか千早が力の入らない声で話し掛けてきた。
「勧学館の食堂か? ……おれ試合の合間にあんま物食わんし、よう分からんなあ。千早かってチョコぐらいやろ?」
「うん。ただ肉まんくんがよく食堂に居たから、混み具合は知ってるの」
 それを聞いて新も納得する。そうこうしているうちに自分達の番が来、二人は昼食を載せたトレイを手に空席を探す。
「よおっす、お二人さん。一緒しねえ?」
 食堂の一画から突然大声で呼び止められる。見れば野球部の山部が手を振っていた。向かいには浅司の姿もある。
「あ、山部先輩。……横、失礼します」
 軽く頭を下げてから山部達の隣の席につき、食事を始める。

 「学食の競争倍率は相変わらずだよなあ。……ところでさ、二人の方はあれから何もなし?」
 どうやら山部は先日かるた部の練習場を伊勢が飛び出して行ってから後、何も問題はなかったのかを聞くつもりもあって、二人を隣に招いたらしかった。
「はい、今の所は特に。うちの先輩達が色々手助けしてくれてるんで、おれらも大分楽になってます」
「それを聞いて安心したよ。俺としても他人事じゃなかった事だしな。……綿谷達も忙しいだろうけど、良かったらウチの試合も見に来てくれると嬉しい」
 浅司はすっかり元気を取り戻している。空になった食器を見れば、やはりスポーツマンらしくなかなかの健啖家っぷりを見せていた。
「ありがとうございます! でも私、野球のルールって細かい所よく分かんないんですけど」
 千早がそう答えると、山部はルールブックを貸そうかと言ってからかうように笑い、千早は分厚い本は勘弁して欲しいと逃げ腰になる。
「そう言うたら、先輩の方はあれから大丈夫やったんですか?」
 浅司が今更相手にするとも思えなかったが、かるた部員の起こした事だけに気になって新は尋ねた。
「……一度電話があったが、すぐ切ったよ。俺番号消してたからさ、誰か分かんなくてつい出たんだけどな」
「伊勢も頭悪いっスねえ。俺らと綿谷達知り合いだから事情知ってんのに臆面もなくっつうか」
 山部が呆れたように言う。

 「あの、お話中ごめんなさい。横、いいですか?」
 四人に話し掛けてきた声があり、千早が振り返る。
「あ、小野先輩! どうぞ」
「ありがとう、綾瀬さん。……ごめんなさいね、ちょっと聞こえちゃったから割り込ませてもらったの」
 小野は千早の隣に腰を下ろす。見学の帰りに届いたメールで名前だけは知っていた山部がへえ、という顔で小野を見ていた。
「あ、こちら野球部の浅司先輩と山部先輩です。……で、こちらが……」
 そこで千早は声を落とした。いいのよ、と小野が千早に笑いかける。
「今の話してたって事は、私達が綿谷くんと綾瀬さんに言いがかりつけちゃった事も知ってるだろうし。伊勢さんと同じゼミ生の小野さくらです。……正直に言うと、実は私達もちょっと驚いてるのよ。普通に考えたら、もう浅司さんに相手にされない事ぐらい分かりそうなものなのに、やけに形振り構わないっていうか……何でそこまで、って思ってしまって」

 小野の言葉を聞いた新は腕組みをして考え込む。伊勢が一旦浅司へのアプローチを止めたのは、三笠に何か吹き込まれたせいらしいという推測は出水達としていた。
(ほうすっと、今浅司さんに電話したりとかしてんのは伊勢先輩個人の意志って事なんやろか……?)
 一人で考えるのには限界がある、と新は携帯電話を取り出した。
「あ、綿谷です。出水先輩、今どちらですか? ……はい、ほんなら詳しい事は部活ん時に。失礼します」
 電話を切った新は浅司達に顔を向ける。
「あの、先輩方近いうちにちょっと時間作ってもろて構いませんか。さっきの話の細かい事、うちの先輩も交えて話しておく方がいいかも知れんと思ったんで」
 部の内情もかなり話す事になってしまうだろうが、どこへ飛び火するか分からないだけにある程度情報は共有しておくべきだろう。そう話すと浅司と小野は構わないと頷いてくれた。
「まあさあ、飯が不味くなる話はその時でいいだろ。綿谷達なんかまだ箸付けたばっかだし、食っちまおうぜ」
 山部の気遣いに新は礼を述べて再び箸を手にした。

 「……あれ? あそこに居るの三室くんじゃない? おーい! こっち、おいでよ!」
 学食の隅でトレイを手に空席を探す三室の姿を見つけた千早が立ち上がって手を振る。目立つ容姿の千早がそんな風に呼び止めたせいで周囲の視線が気になったのか、三室は相変わらず額に汗を滲ませてやって来た。
「あ、綾瀬さんそんな大声で……す、済みません、失礼します……」
 千早が空席を手でパンパンと叩いて座るよう促すと、三室は浅司達に頭を下げてから席に着いた。講義や教授の話などを上級生達から聞きながら、昼食は進んでいく。やはり自分達より長く在学しているだけあって、三人にとっては初耳の興味深い話がいくつも飛び出した。

 「あ、そうだ新。肉まんくんが近いうちに試合のDVD私んちに郵送してくれるって」
 千早が思い出したように口を開いた。
「ほやった、ビデオおれらにもくれるって言ってたな。西田くんも頑張ってるんかな」
 明るい話題に、新の顔がぱっと晴れた。
「すごい張り切ってたよ。ほら、二試合目私が勝ったじゃん? あれで『綾瀬に出来ておれに出来ねー訳がねー』って思ったって」
「……あー……何か微妙に喜べんけど、個人戦で当たるの楽しみやな。瑞沢の他の人らは級違ったんやっけ」
 彼らとも早くA級の試合で対戦してみたい、と新は待ち遠しそうに言った。

 「綿谷さ、今A級って言ったけど……かるたの試合って級別なのか?」
 問うたのは浅司だった。先日見学に来た時も、彼は真面目にかるたを知ろうと色々新に質問を投げかけていた。
「個人戦はそうです。他の個人競技でも体重別とかありますけど、かるたも実力近いもん同士当たるようになってるんで」
 新はざっと、競技かるたの級と段位、昇級条件について浅司に話す。
「で、二人とも最高レベルのA級って事なんだろ? 優勝が条件だってのに、大したもんだよなあ」
「……B級やった頃は早よ上がりたいとは思ってましたけど。名人戦はA級でないと挑戦出来んし」
「だよねえ。私C級だった時、AB級とは会場違うから会えないなーって思ってた事もあったし」
 新と千早は揃ってけろりと答えている。

 「新となかなか試合場で会えなかったしさ、高校選手権の個人戦、やっと同じ畳の上だって思って嬉しかった。それに決勝凄かったよねえ。後で秘訣聞くまで、何であんな落ち着いて……って言うか試合中でも笑えるの不思議だった。……詩暢ちゃん『ニコニコメガネ』って呼んでたみたいだけど」
 終わりに付け足された渾名には新も苦笑するしかない。
「それ言うんやったら千早の方が凄かったやろ。前の日の団体戦ケガしたのに優勝して、ほんで個人戦も出て。……しかも左で取ってんのにベストエイトまで残ったが? 大体おれより短期間でA級まで上がってるやろ」
「短期間ってそれ、小学生の時にもう新はB級だったからじゃん」
 千早も新も相手の方が凄いと言って譲らない。公式戦でどういう訳か対戦できなかったのは残念なんだけど、と千早はそこだけ愚痴っぽく言った。
「あー、公式戦はおれも同感や。……まあ言うてもしゃあないし、次出る大会で決勝残ろ」
「決勝なら嫌でも当たるもんね。いや別に当たりたくないって意味じゃないけど」

 「お前らってさ……いちゃつくのもかるたの話しかねえの?」
 頬杖をついた山部が少し呆れ気味に言葉を挟んでくると、三室が突然サンドイッチを喉に詰まらせて咽せ込んだ。
「だ、大丈夫……ちょっと、昨日の出水先輩の一言思い出しちゃって」
 何とか喉に詰まったサンドイッチを飲み下した三室の一言で、新と千早が揃って顔を赤らめた。
「おやぁ? 何か面白そうな雰囲気じゃん。三室、学科の先輩命令だ、バラせ!」
 即座に食い付いた山部が、三室と同じ建築学科だという事を口実にもっと詳しく言えと迫ってきた。
「えっ?! ……あ、あの……その、部の先輩が、ふ、二人を……か、『かるたバカップル』って……」
 テーブルが一瞬静まりかえった後、上級生三人が堪えきれないと揃って吹き出した。

 「笑っちゃってごめんなさい。でも凄く二人にぴったりな気がしたものだから……」
 小野が真っ先に笑いを収めたが、それでも時々苦しいのか下を向いたりしながら言ってきた。
「いえっ、あの……別に、いいんです。その、出水先輩の呼び方は確かにちょっとアレなんですけど、私『かるたバカ』はよく言われてましたし。新もそうじゃなかったっけ?」
 千早の頬はまだ朱く染まっているが、それでも普段通りの笑顔を向ける。
「ほやの、似たような事言われてたわ。まあどっちにしたかって、おれら止める気ないですし。かるたも付き合いも」
「わ、綿谷くん達って、何でそんな堂々と言えるんだろう……や、暴露しちゃった僕が言うのも変だけど」
 驚いたような目で見てくる三室に、新は小さく笑って答えた。
「まあ、かるた好きなんは昔っからやし……千早に好きやって言うたのも人前やったし」

 あの決定戦後の告白は、自分の中にあった想いが本当に素直に口をついて出たもので、千早に返事を求める事さえ頭になく、ただ伝えたくて告げた。だから新はその事を全く後悔していない。そう話すと三室だけでなく浅司や山部までもが驚いた顔を見せた。
「我、事において後悔せず、か?」
 浅司が口にしたのは宮本武蔵の言葉だった。
「……ほんな立派なもんでもないです」
 今の自分が好きなものを好きと言えるのは、きっと千早の率直さに影響を受けたせいだと新は考えている。試合で対戦相手の誠意には誠意で応えるように、千早の真っ直ぐさに同じように応えたいと思っているうちに、自分はどんどん変われたのだろう。

 「そろそろ昼休み終わりだよ、新」
 千早が左腕を差し出して腕時計の文字盤を見せてきた。確かにそろそろ移動しないと午後の講義が始まってしまう。
「あ、ほんとやな。次の講義って一緒やったな。……先輩方、さっきの話後でメールしますんでお願いします。ほんならお先です」
「失礼しまーす」
 トレイを片付けて学食を後にする二人の背中を、上級生三人と三室がどことなく呆然と見送る。
「不思議な二人ね。しっかりしてる所もあるのに子供みたいに素直で」
「だから応援したくなるんじゃないか?」
 小野の呟きに浅司が答える。
「……そうですね。すごく素敵で羨ましい気分。見ていて気持ちがいいから、あのままで居て欲しいって思ってしまいますね」
 上級生達も次の講義のため学食を出て行った。
「……」
 一人残った三室は、空になったトレイを見つめて何事か考えているようだった。






Next


written by Hiiro Makishima