保湿系トライアルセット

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新と千早の大学生活:茶室



 部活を終えた新と千早は先日出水に連れられてきた、近くの幼稚園にある茶室へとやって来た。一足先に出水はこちらへ来て警備員に話を通しておいてくれたらしく、学生証を見せるとすぐに中へ通してもらえた。
「出水先輩、綿谷です」
 にじり口の外から一声掛けて中に入る。今日は炉に火が入れてあるのか、中から暖かい空気が漏れてきた。
「よう」
 二人を出迎えたのは出水と巽、それに顔だけは覚えがある二年生だった。
「まあ座ってくれ。昨日言ったけど、巽がちっと声出しづらくなってるから、そこは勘弁な」
 出水が言うと、巽は片手を上げて詫びるような仕草を見せてきた。
「いえ……巽先輩こそ、ありがとうございました」
「ありがとうございました!」
 新たちはきちんと正座になって頭を下げる。巽が無理をしてくれたおかげで奥山のとんでもない行状が明らかになり、更衣スペースの安全が確保出来たのだ。
「いやいいって。……出水先輩、何とか言って下さいよ」
 照れ臭いのか巽はひどい掠れ声で出水に助けを求めるが、出水は「いい事したんだから威張っとけ」と笑い飛ばす。

 「……で、だ。まずコイツ二年の吉野な。学祭の試合中物音立ててた奴だけど、お前が練習で井出をこっぴどく叩いたの見て俺んとこに泣き入れてきたんだよな。ただまあコイツも元から一枚噛んでたって訳じゃないらしい。学祭前に声かけられたんだっけ?」
 茶室の中で一人だけ固くなって座っていた男が出水に問われて人形のようにぎこちなく頷いた。
「はい……そ、その……生意気な一年に、試合でちょっと恥かかせるだけだ、って……こ、断ってもいいけど、そしたらお前が部で微妙な立場になるけど、って……言われて……。けど、去年の試合と違って何か色んな所から人見に来てるし、巽が綿谷は協会の偉い人にもよく知られてるって言ってたし……」
「……相変わらずお前って言い訳多いなあ。その前に言わなきゃならん事があるだろ、吉野」
 出水が厳しい口調で話を遮った。
「ご、ごめんなさい!」
 吉野が深々と下げた頭が畳とぶつかって鈍い音がする。だが誰も笑う者はいなかった。出水が新と千早に目を向けてくる。どうする? と問いたいのだろう。
「二度としないって約束して貰えれば、それでいいです。だよね、新?」
「は、はい! 約束します! 絶対、二度とやりません!」
 千早の問い掛けに被せるように、すかさず吉野が声を張り上げた。先刻の言い訳を聞いた感じでは、強い者に流されやすい性格なのだろう。

 「でも、教えてください。誰が先輩にその話を持ちかけたんですか。それが分からない限り、さっきの約束、私達二人とも取り消します」
 小野たちの時とは違い、かるたに関する話だから、毅然とした声で千早は問うた。必要なら井出と同じに試合で手酷く叩く事も辞さない、と言葉を継ぐ。新は口を挟まなかったが、思う事は同じだ。
「お、俺は……井出から。何かの時には揉み消してくれる人が居るから大丈夫だ、試合で失敗して落ち込んだ綾瀬を上手く慰めてやれば、いいムードになって、もしかしたら、みたいな……ぐッ?!」
 言い終わるより早く、新の右手が吉野の頬を力一杯張っていた。
「新っ?! 新がそんな事しなくていいってば!」
 千早が素早く新の腕に飛び付いてきた。暴力反対と言うより、手を上げるだけの価値がないと言いたいようだった。とは言え常人離れした加速を繰り出せる新が利き手で打ったのだから、前者の意味も十二分に含んではいるが。吉野は脳震盪を起こしたように頭を振っている。

 「ムカつくわ……千早に堂々と好きやとも言えん癖に、試合の邪魔はするわ、下らん事企むわ……ほんな程度で気持ち動くようないい加減な奴とちゃうぞ、千早は!」
 ここ最近のゴタゴタでの鬱憤もあったのか、新は珍しく感情的に怒鳴った。千早は新の腕から手を離すと、膝立ちになって新の頭をしっかり抱え込む。
「新、落ち着いてったら!」
「……腹立つ……すげえ腹立つ……。千早は、違う……ほんなんで、ない……っ」
 いつの間にか新は涙声になっていた。
「うん。新はちゃんと分かってくれてる。新が分かってるって事、私、知ってるから」
 新の頭を抱きかかえたまま、千早は宥めるように声を掛ける。巽が無言で吉野の腕を掴んで立たせると、茶室の外へ連れ出した。

 「……ごめん、千早。……出水先輩も、申し訳ありませんでした。こんな場所で騒いでもて……」
 新の感情が落ち着いたのを見て千早が腕を解いて隣に座り直す。今更のように人前で千早に抱きかかえられていた事を思い出したが、普段のように照れたりは出来なかった。
「ま、いいさ。気持ちは分かるしな。……おーい、巽。もういいぞ」
 出水が外に向けて声を掛ける。入ってきたのは巽一人だった。
「吉野、逃げてっちゃいましたよ」
 相変わらずの掠れ声で巽が言って寄越し、新の申し訳なさが倍加する。
「本当に済みませんでした。先輩が呼んどいてくれたのに、おれ……」
 新は深く頭を下げる。今は自分一人が感情を爆発させていい場ではない。
「だからいいって。吉野の口から必要な事は聞けてるしな。それに本題はここからだ。綿谷。───頭切り替えろ」

 出水の口調がぐっと厳しいものに変わり、頭を上げた新は頷いて試合前のように深呼吸を始めた。腹の底から絞り出すように息を全て吐き切り、空っぽにしてからぐっと胸を反らすと新鮮な空気が肺を満たす。何度か繰り返すうちに、さっきまで新を支配していた怒りが薄紙を剥がすように意識から抜けていくのが実感できた。
(……あ、千早も横で深呼吸、してるんや……)
 怒りに囚われると視野が狭くなる。気分が落ち着くにつれて、隣に座る千早の息づかいや自分達を見守っている二人の先輩の様子がはっきり分かるようになっていった。

 「大丈夫そうだな。奥山だけどな、巽から連絡貰った後に俺、すっとぼけて聞いてみたんだよ。なに顔腫らしてんだーって。まあカメラ仕掛けたなんて事は流石に言いやしないが、もう退部するからって面白い事言ったぞ。こんな事なら伊勢の口車に乗るんじゃなかった、だとさ」
「……え? 三笠先輩じゃなくて、伊勢先輩ですか?」
 意外な名前が出てきて千早は目を丸くする。新も正直同じ気持ちだった。
「伊勢と利害の一致って事で結託してるって白状してきた。前にお前が見せてきたメモの電話番号な、伊勢が適当に引っかけた奴から自分のが水没したとか何とか理由付けて借りたのを使ったらしい」
「……あれ? 時期が変でないですか? それ。あの電話って大学祭より前やのに」
 伊勢が妙な事を言い出したのはつい最近だ。奥山と結託しているとしたら、その前から自分に目を付けていなければ携帯も用意出来ないだろう。
「それに、ほうなると伊勢先輩が野球部の浅司さんにアプローチしてたって言うのと話が合わん気するんですけど」
 新がそう言うと、出水は暫く呆気に取られ、それから急に笑い出した。

 「ぶ、わっははは! ああそっか、綿谷……お前綾瀬一筋だから、分かんなくて当然か、はははっ! お前らってホント、可愛らしいよなあ。綾瀬は? 今の話分かったか?」
「へっ? 私ですか? ……ご、ごめんなさい、私も良く意味が……」
 千早の答えに出水は笑いを大きくする。ふと横を見ると、巽も声が出ないのをいい事に肩を震わせて笑っていた。新と千早は置いてきぼりにされたまま固まっているしかない。
「ああ、いや爆笑して悪かった。ま、要するに二股って事だよ、んなモン」
「……あ」
 ようやく先輩二人の笑いの意味が分かり、新と千早は今度は顔を赤くして固まる。
「お前らも今は伊勢のやり方知ってるだろうけど。だからまあ、あいつ野球部の浅司の事は元から狙ってたんだと思う。そこに三笠が綿谷に鞍替えしろとでも言ったんだろうな。で、同時に奥山が綾瀬に目を付けてる事も言った。三笠の狙いはお前らがかるたを嫌になるか、部に居たくなくなるかだろ。……標的はどっちでもいいって事だ」

 出水の言葉は明快だった。新と千早が交際している事は入部当初から周知の事実だ。例えば新が伊勢の話に乗れば千早は傷つき、かるたにも影響が出るだろう。逆もまた然りだ。
「確かにそうですけど、ほんでも、おれと浅司さんとでは、その……釣り合いが取れてえん気するんですけど。浅司さんは自分の力が認められてプロからも声掛けられてる人やけど、おれは単にじいちゃんの孫ってだけやし、それも知ってるのはかるたやってる人間の中だけです」
 ましてまだ名人位にも就いていないのだ。浅司と自分を等価だとはどうしても思えない。

 「あのな、綿谷。伊勢の視点で考えてみろ。そんなの大した問題じゃないって分かるぞ。……色仕掛けでも何でも、とにかく綿谷を『落として』綾瀬がしたたかに傷ついた所で、『用済み』になったお前を捨てる。その後じっくり浅司にまた接近するなり、別の相手探すなりすりゃ済む事だろうが」
 それから言いづらそうに咳払いをして、出水は再び話し始めた。
「我ながら吐き気がする話だが、視点で言やあ、奥山の方がもっと問題がある。カメラの一件だけでも一大事だが、その画像で綾瀬を脅す手もあった訳だからな。……さっき綿谷が吉野を張り倒した時の話と考え合わせりゃ、一応見当は付くだろ」
 出水は自分でも吐き気がすると言ったが、聞いている新や千早も気分が悪くなってくる。井出が吉野を煽った「いいチャンス」。奥山が吉野と同じ事を考えている可能性は以前も話していた事だ。画像を楯に千早に迫る事も出来たから出水は「問題がある」と告げたのだ。

 「……まあ、あくまで最悪を想定しての話だけどな。実情はそこまで悪くねえよ。そこは三笠の読み違いだ」
「読み違い?」
 千早が鸚鵡返しに問うと、出水は頷く。
「味方に付く人間が増えたってのもあるが、突き詰めりゃ綿谷と綾瀬の『本気度』が三笠の予測を超えてたって事だろうな。かるたに対してだけじゃなくて、二人のお互いへの気持ちとかも。この前、綿谷が伊勢を振った時の台詞、凄かったしなぁ」
 最後の一言で新の顔は耳まで赤くなる。
(……って言うか、あれ千早だけでのうて、先輩らかって聞いてたんやった……うわ、何かもの凄く恥ずかしなってもた……)
「まあ、これで大体繋がりも見えたし、後は本丸を残すのみだ」

 出水の言う「本丸」。当然三笠の事だが、これが一番根深いのは確かだ。そして調べる事も相当難しい。
「あの、出水先輩。三笠先輩のファーストネームって何でしたっけ」
「え? えーと……暁(あきら)、だったかな」
 なら以前の名は「柏木暁」だろう。原田に聞けるかどうかやってみると新は言い、千早と共に茶室を後にした。
「……新、帰りにちょっと寄っていい? 新のとこ」
 原田の所に向かおうと駅へ行く途中、千早が真剣な眼差しを新に向けて言い出した。白波会から自分の部屋までは結構距離があるが、その意図は分かる。
「うん、おいでや」
 頷きながら短く答えた。






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written by Hiiro Makishima