保湿系トライアルセット

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新と千早の大学生活



 授業が終わった二人は練習場へ直行する。まだ時間は早いが着替えて身体は温めておきたかった。
「あ、そうそう。私家からこんなの持ってきたんだけど」
 ジャージに着替え終わった千早が鞄からファイルを一部取り出した。中にプリントのような物が挟まっているのがダディベアの顔の向こうに透けて見える。
「ほら、これ」
 クリアファイルの中身は、百人一首の歌意と決まり字をプリントアウトしたものが綴られていた。
「……これ、作ったんか?」
「高校の時に、かなちゃんがね。新入部員の子たち百首覚えてなかったから、空き教室でこれ使って勉強してたの。……まあ残念ながら残ったの二人だけだったんだけどさ」

 熱意を損なわないように教えるって難しいね、と千早は少し寂しそうに笑う。
「北央とか富士崎みたいに伝統があるとこは教えるノウハウも部にあるやろけど、瑞沢の部は千早らが作ったで全部手探りやし大変やったやろ。……その手探り状態で全国優勝してるんやで、やっぱ凄いわ」
 新がかるたの事を話す時は嘘も誇張もない。だから素直に頷けた。
「ありがとう、新。……うん、元気出てきた」
「ほやったら、よかった。……さて、アップしとこっさ」
 一旦プリントを鞄の上に置き、新と千早は畳の上でストレッチを始める。千早の方が詳しく知っているようだったので新は教わりながらどこで学んだのかを聞いてみた。
「あ、これ? 富士崎の合宿に参加させてもらった時に覚えて帰ったんだ」
「なるほど……ってこれキツいわ……」
「意外な弱点発見?」
「か、かるたで勝てばいいだけや」
 意地になって言い返す新に、千早はいつもの明るい笑みを見せた。

 「あ、もう来てたのか。……入って」
 練習場に姿を現した巽が入部希望者の三室を連れてきたらしい。新たちはきちんと座り直して入ってくるのを待った。
「あ……し、失礼します……」
 遠慮がちに練習場に入ってきたのは、かなり小柄な男子だった。
「靴そこね。……で、着替えはここ。とりあえず動ける服装になってきてくれるかな」
 巽に教えられて三室は更衣スペースへと入り、新は一度立って取り札を手にしてから畳に戻ってきた。
「お疲れ様です、巽先輩」
「二人もお疲れ。えーと、今のが三室ね。確か建築学科だっけか」
 聞き覚えのある学科名に新と千早は目を丸くする。世の中は狭いと言うより他はない。その三室は更衣スペースから出てきて所在なさげに立ちつくしていた。
「三室くーん! こっち来て座ってー。早く早く!」
「あ、はい……」
 物怖じしない千早に促されて三室は三人の側に腰を下ろした。

 「ええっと……じゃあ、まずは自己紹介からかな? 巽先輩はもう知ってるんだったよね? 私、教育学部一年の綾瀬千早。一緒に頑張ろうね。……はい、次、新の番ね」
「あ、うん。……ええと、文学部一年の綿谷新です。よろしく」
 千早と新がそれぞれ挨拶をすると、三室はぺこん、と頭を下げる。
「あ、あの……えっと、け、建築学科一年の三室祐と言います。初心者ですがよろしくお願いします」
「たすく、ってどういう字書くんやろ?」
「えと……示偏(しめすへん)に右の祐です」
 相当緊張しているのか、それを答えるだけでも三室の額に汗が浮かんでいた。
「ええと、ほんなら三室くんは、百人一首は今まで授業とかで聞いたりはしてるんやろか?」
「あ、えっと……昔、ですけど。でも全部は覚えてなくて……す、済みません」
「謝らんでもいいって。……千早、さっきのプリント貸して」
 新が言うと千早は素早く百人一首のプリントを取って戻ってきた。

 「これね、私が高校の時かるた部で使ってたものなんだけど。……あ、持って帰っていいからね? 知ってる歌とか好きな歌があったら教えてくれる?」
 千早に手渡されたプリントを三室は何度もめくって読んでいる。
「あの……ぼ、僕の名前が三室なんで、『嵐吹く三室の山のもみぢ葉は竜田の川の錦なりけり』は覚えてるんです。へ、変ですよね、こんな理由……」
 新と千早は揃ってかぶりを振った。
「全然変でないざ? ……十一番のとこ見てくれるか? ……これ、決まり字だけ言うと『わたのはらや』なんやけど、長いで『わたや』って略する事も多いんや。……おれの苗字やろ?」
「私のはね、十七番。『ちはやぶる』……最初に教えてくれたの新だけど」
 二人の答えに三室が驚いたように顔を上げてくる。
「ほやったの。……名前と近い音の札って、普段から呼ばれてて、耳……って言うか全身が慣れてる分反応しやすいんや。他にも自分がよう覚えてる歌もそうやの。ほやで三室くんは『あらしふく』の札、誰にも取られんようにしていけばいいんや。これは自分の札なんやっての。……勿論他の好きな歌でも構わんし」
 実の所、新は自分の名に近い「あらし」「あらざ」も早く反応できる札だが、今は言わないでおいた。
「僕の、札……」
 千早がその通りだよと大きく頷く。

 「じゃあ取り敢えず、基本の構えとかルールからかな? 三室くん利き手はどっち?」
「あ、僕……左利きです」
 新は競技線の上下左右が分かるように手早く五十枚の札を並べた。
「ほんなら、おれ向かい側で右で構えるで、鏡やと思って真似してみての? ……千早、左で取った事あるんやし、三室くんの横付いて、一緒にやってみてや」
「うわあ、左って久しぶりなんだけど私。……ま、いっか。ちょっと素振りしてくるね」
 千早は一度少し離れた所に座り、左での素振りを行って感覚を思い出してから戻ってきた。教え出すと時間はあっという間に過ぎていく。気がつけば結構な時間になっていた。

 「……今日はここらにしとこ。三室くん、今日やってみてどうやったやろ。楽しめそうやろか」
 足を崩して車座になり、新が問うた。
「えっと、楽しいかはまだ分からないんですけど、……さっき好きな歌の話してた時、僕、嬉しかったです。変じゃないって言ってもらえたんで」
「良かったあ。そこからかるたを好きになっていってくれたら、嬉しいなあ」
 三室の答えに千早が相好を崩す。
「あ、あの……今日はありがとうございました。お二人は強い方だって聞いてたんで、僕じゃ練習の邪魔になるかって思ってたんですけど……」
「邪魔とか、ほんな事言うのやめね。むしろおれらがお礼言いたいんや。試合見て、かるた部入りたいって言うてくれて。本当に、どうもありがとう」
 きちんと居住まいを正して新が一礼すると、三室が大慌てで同じように返してきた。
「練習日の説明はここ来る前にした通りだ。三室、先に着替えてきていいぞ」
 巽が言うと、三室はぴょこんと頭を下げて更衣スペースへ向かった。

 「お疲れさん。結構二人とも教えるの上手いな」
「ほうやといいんですけど。……あ、そうやった。巽先輩に話しておかなあかん事あったんでした。……昨日の一件の続報っていうか、まあそんな感じの事なんですけど」
 新は手短に、千早が隣の教室からダッシュで出てきた時の事と、昼休みに野球部の山部から聞いた話を掻い摘んで巽に伝えた。
「ほんで野球部側も、詳しい事聞きたいって言うてるんですけど、話して問題ないですよね?」
「……まあそうだな。伊勢個人の行状だし、二人は当事者だから構わないんじゃないか?」
「ほんなら部活終わったらメールするように言われてるんで、予定合わせて話してきます」
 三室が着替えて出てきたので一旦話を打ち切り、千早が着替えに入る。

 「あの、綿谷さんと綾瀬さんの試合見た時、僕凄くびっくりしました。速さもなんですけど、お二人が凄く真剣で。なのに楽しそうで。僕もあんな風になれたらって……思いました」
「ありがとう。練習積んでいけば、なれるでさ」
 新は笑いながら答える。
「あの……お二人って、名前で呼び合ってましたけど、その……お付き合いされてるんですか?」
「え……あ、うん、大学入る前から。名前呼びは小学校の頃からやけど」
 話題が移ると新は急に照れてしまう。千早が着替えを済ませて戻って来たので、入れ違いに新が更衣スペースへと消えた。
「三室くんお疲れ様。強くなって、一緒に団体戦出ようね!」
「え、え……? そんな、まだ無理ですよ……」
 三室の額にまた汗が滲む。
「練習していけば、大丈夫だよ。もちろん練習では三室くんと当たっても、私達は手加減しない。強くなって欲しいから。強くなりたい、頑張りたいって気持ちが一番大事なんじゃないかな」
 着替えを終えた新が戻ってきて、千早の言葉に付け足すように言ってきた。
「三室くんが頑張り続ける限り、おれらもずっと一緒に頑張るし、手伝いもする。千早が言うた通り、手加減はせんし時には厳しい事言うかも知れんけど、乗り越えて欲しいって思う。おれらもそうやったし。……さて、ほんなら出よっか。巽先輩、お疲れ様でした。失礼します」
 四人は自分の荷物を持つと練習場を後にした。

 「千早、ちょっと待って。山部先輩にメールだけしとくわ」
 部活が終わった事を山部に知らせる。しばらくして山部から、野球部のスケジュールが送られてきた。これと自分達の予定を合わせられそうな日を教えろという事なのだろう。
「千早は明日、少し遅なっても大丈夫か?」
「え? うん」
「ほんなら明日、四講目終わった後で山部先輩と、さっきのベンチで待ち合わせるで一緒に来ね。まだ気は抜けんままやしさ」
 出来ればいい加減そういう神経の使い方は終わらせたいが。新はメールを送信し、千早と連れ立って家路についた。






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written by Hiiro Makishima