28
|
三笠の事情も気になるが、すぐに明らかになるような事でもない。それよりも新は出水が例え話として挙げた奥山の「動機」の方が気に掛かっていた。 (……出水先輩は単なる例えって言うたけど、おれには見過ごせん。仮に奥山先輩が本気で千早を好きになってても、おれ自身それで千早を諦める気はないんやけど、遊びとかやったら尚更許せんわ) 「いたた……新、手……痛いよ」 ふと我に返ると千早が眉を顰めて繋いだ手を解こうとしていた。奥山の事を考えていたせいで、千早と手を繋いだまま無意識に自分の手を強く握り込もうとしていたらしい。 「ごっ、ごめん! ……ああ、どうしよ。赤なってもてる……ほんとにごめん」 慌てて手を離し、握り込んで赤くなった千早の手を必死に擦る。 「え、あ……だ、大丈夫。ちょっとびっくりしただけ」 ほら、と千早は左手を新の目の前でひらひら動かして見せた。新は安堵の溜め息を漏らす。 「なんかすっごい怖い顔してたけど、新さっき、何考えてたの?」 千早は軽く上体を倒して、新の顔を見上げながら尋ねてきた。 「ん……奥山先輩の事。電話の事もやし、出水先輩が言(ゆ)った事とか」 千早の手をきつく握りすぎて痛い思いをさせた後だけに、新は正直に答える。 「もし本気やったとしても嫌やけど、千早が美人やで箔が付くとか、ちょっと遊びでそういう事したいとか思ってたらもっとムカつくわ」 「そういう事って……えっと、その……え、えっちな事って、意味……?」 新が頷くと、千早は猛然と怒り出した。 「やだ! 絶っ対、やだ! 好きな人と……新とじゃなきゃ、イヤだよ!」 「ちょっ、千早、声大きいって!」 新は慌てて自分の手で千早の口を塞ぐ。落ち着いたのを見計らって手を離したが、まだ心臓の音が耳元で鳴っているように喧しい。 「はー……。時々心臓に悪いなぁ、千早……」 「ご、ごめん、つい……」 眉尻を下げておろおろしている千早に、新はふっと笑う。 「まあ、その……おれも千早とでなかったら嫌や」 そう言いながら新は内心、他の男に千早を触れさせたくない分、自分の方が欲張りだろうと思ってはいた。 「……さてっと。少し遅なったけど、部活行こか」 「うん。今日も頑張ろう!」 急ぎ足で大学に戻る道すがら、千早は独り言のように呟いた。 「新入部員、来るといいなあ。それでみんなで団体戦出て、勝つの」 「……ほやの。欲張りたいの」 それも大事な目標だ。 「出水先輩も頼んだら団体戦出てくれるかなあ。そしたら巽先輩入れて一応四人確保だし」 「それはそうなんやけど、先輩三年生やでの。就職の事とかそろそろ本腰入れなあかんかも知れんし、あんまり無理は言えんの。……部の事でおれらの味方になってくれてるだけでも有り難いって思わな」 あからさまにガックリと肩を落とす千早を宥めるような笑みで新が言葉を返す。 「今度の選手権は個人戦しか出れんかも知れんけど、そこで結果出せばまた追い風にもなるやろ。……行こっさ」 「うんっ!」 正門を通り抜け、メインストリートから植え込みを回って練習場へと向かう。 (とにかく今は出来る事を一つずつや……) 新は力強く扉を開いた。 「すみません、遅くなりました」 先輩達がすでに練習場に顔を出していた。うち何人の顔には覚えがある。 (……一試合目で咳き込んどった人や。ちょうどいいわ、全力でいかせてもらお) 「珍しいな、お前らが遅れるって」 出水達との話は気取られる訳にいかない、と新は黙って頭を下げ、練習着に着替えようと更衣スペースに入った。 「ねえねえ、綾瀬。昨日休憩時間に一緒に居た人ってお友達?」 新が更衣スペースに入ると、数少ない女性の先輩が三人ばかり連れ立って、順番を待つ千早に話し掛けてきた。 「はい、高校の時のかるた部メンバーです。……あ、途中で話し掛けてきた、こんな感じに目の細ーい人は違いますけど」 千早は両手の指先で自分の目尻をきゅっとつり上げ、須藤について説明する。 「じゃなくて、一人超イケメンいたじゃん! 背も高くって」 千早はしばらく首を傾げていたが、彼女らが口々に言う人相風体の話で誰の事かやっと飲み込めた。 「あ、分かりました! 太一ですよね?」 長く友達付き合いをしていた分その容貌を見慣れていて、「イケメン」かどうかという基準で太一を判断した事がない千早が、普段通りの呼び名で答えると、彼女たちが途端にざわめいた。 「え、何で呼び捨て? ……あんた確か綿谷と付き合ってんでしょ?」 「はい、大学入る前からですけど」 「あり得なくない? 一年で彼氏持ちの上に、あんなイケメンキープしてんの?」 淀みない千早の答えに尚更周囲はエキサイトしてしまうようだった。更衣スペースの中にもその会話は筒抜けになっていて、着替え終わった新はわざと足音を響かせて中から出てきた。 「千早、空いたし着替えてきね。……ちょっと聞こえてもたんですけど、先輩らが仰ってたのってK大の真島太一ですか? 実はおれら小学校の時からの友達で、その頃からお互い名前で呼び捨てなんです。急に苗字で呼び直すと、なんか三人とも調子狂ってまうんで、勘弁してもらえませんか」 「へえ……そうなんだ。……ねえ綿谷ぁ、彼って合コンとか呼べない?」 幼馴染みと聞いた途端、彼女らの口調が急に阿るものに変わる。千早以外との恋愛経験がない新でも、それが意味する所は理解できた。 「ってかメアド知りたいなぁ。……教えてくれたりとかってダメかなあ?」 (またそういう話か……もう、ほんと何回目やこれ……) 自分達がカタログモデルになった時にしろ、トラブル対策に学食前で待ち合わせた時にしろ、この手の話ばかりで新は内心うんざりしていた。メールアドレスは本人が承知しなければ教えられないと答え、そのまま言葉を継ぐ。 「……詳しい事は分かりませんけど、医学部入って白波会に行く時間も滅多に取れんって、こないだ愚痴ってました。ほやけど今度の大会は出れたら出たいって言うとったし、出たら会えるんでないですかね」 しれっとした顔で言うと、太一と接点は持ちたいが大会に出てまでという意欲はないのか、彼女らが目に見えて引いていく。新はそれ以上は何も話さず、着替えを終えて出てきた千早とそのまま畳の方へ歩いていった。 「はぁ、めんどくさい話ばっかしや。……ま、いいわ練習や練習」 新は首を回して先刻の話を頭から追い出した。今なら面倒事に関わりたくないと言っていた出水の気持ちがよく分かる。 「昨日が学祭だったから、来れない者も多い。対戦表はないから各自で相手見つけてー」 (……願ったりや) 千早が自分と取りたがっているのは何となく気付いていたが、呼び止められる前に新は昨日の試合で咳き込んでいた二年生の前に歩み寄った。 「井出先輩、一試合目おれとお願いします」 「え……俺? ……えっと、いや、……けど、俺B級だし……」 「お願いします」 新は敢えてそれ以外を口にしなかった。普段のかるたでは決してモメないという祖父譲りの姿勢を貫いているが、主張を変えず一歩も引かないというモメ方の基本は心得ている。 「……う、……わ、分かった……」 押し切られてついに井出は折れる。新は相手の気が変わる暇を与えまいと素早く席につき、札を混ぜ始めた。 暗記時間に入り、千早はちらりと斜め前に座っている新へ視線を投げた。練習とはいえ新にしては押しの強い試合の申し入れは初めて見る。 「暗記時間、残り二分」 自分も目の前の試合に集中しなければと思った瞬間、畳を叩く大きな音が響いてきた。 (……新が、試合前に素振り?) もう一度新の方を見ると、どういう訳か敵陣下段への力強い素振りを繰り返している。腕が振り抜かれる度に畳を打つ音が練習場の空気を揺るがせ、何人かが背中を竦めていた。 何度か相手を威嚇するような素振りをする選手は千早も目にした事があるが、B級の選手相手にA級の、しかもトップクラスの新が一体何を威嚇する必要があるのか疑問に思っていると、素振りを終えた新と一瞬視線が合った。 (もしかして……部の誰かが試合の邪魔したなら、かるたで一度徹底的に凹んでもらうって言う……あれ?!) 新が普段と違うスタイルを取る理由を、千早は他に思いつけない。とは言うものの、試合中の詠みへの妨害は千早にとっても腹立たしい出来事だっただけに、不謹慎だが新が一体どう相手を凹ませるのかという興味の方が大きかった。 「始めます」 (あっと……私も集中しないと) 休憩に入ったら、聞けばどんなかるたを取ったのか教えてくれるだろうからと、千早は一旦他の事全てを意識から追いやって目の前にある五十枚の札に向き合った。 「十五分休憩ー」 その声を聞いた途端、千早は新の側に駆け寄るとスポーツドリンクを買いに行こうとせっついた。 「……ん、そうしよか」 (今の試合の事、聞きとてたまらん、って思いっきり顔に書いてあるなぁ) 新の対戦相手だった二年生の井出は今の試合が余程堪えたのか、礼が終わった後もその場に座り込んだままで居る。視野の隅でそれを捉えたが、敢えて新は何も声を掛けずに立ち上がり、千早に腕を引かれるまま自販機スペースへと歩き去った。 「新、さっきの試合さ、一体どんな事したの?」 ペットボトルの蓋を開けながら待ちきれないと千早が問うてきた。 「ん? まあ試合前の素振りは普段やらんけど、他はいつも通り取っただけやよ?」 「……え? 何か特別な事したとかじゃないの?」 新はかぶりを振る。 「最初はそれも少し考えてたんやけど。……試合始まる前にもう飲まれてたやろ。ほやでちょっと方針変更した」 「って言うと?」 新はスポーツドリンクを一口飲み下してから、珍しく悪戯っぽい表情で笑って答えた。 「目の前に居るのが名人とか原田先生とか、おれが全力で倒したい相手との決勝戦や、ってイメージして取っただけや」 「……」 千早は何故か呆気に取られた顔で新を見ている。 「どしたんやし?」 「……ぷっ、あっははははは! 新、凄いすごーい! あはははははっ!」 堪えきれなくなったのか、今度は両手をお腹に当ててケラケラと笑い転げだした。 「そ、そうだよ、そうだよねぇ。……考えてみたら、そうだよねえ、あはははっ!」 A級選手の中でもトップクラスの実力を持つ新が、相手を「格上」と設定して全力で試合をしたのだから、実際に試合をしたB級の井出にとっては堪ったものではなかっただろう。 実際イヤなタイミングで柔軟に札を動かし、あるいは渡り手で決まり字前に取ってしまったり、先日のデモ試合で明かしてしまった「超加速」で敵陣の一字を抜いたりと、新は札に触る隙を井出に与えなかった。 「れ、練習でも手抜きしないってだけだもんねぇ、あははは、お腹痛い……苦しいー!」 笑いすぎて千早の目に涙が浮かんでいる。 「……ほんな泣くまで笑わんでもいいやろに。明日、腹筋が筋肉痛なったかって知らんざ?」 呆れたように新は手のひらで千早の頭を軽くはたく。まだ暫く千早は肩を震わせていたが、ようやく笑いの発作が治まったのか、指先で涙を拭って呼吸を整えていた。 「こんな事言うとアレだけどさ……私、今それ聞いて、実はちょっと面白そうだなあって思った。……真似していい? それ」 千早は決して練習に手を抜かない。だから真似るというのは「全力で倒したい相手だと思って取る」部分だ。 「うん、もちろん。……ちなみに聞かせてや。千早が全力で倒したい相手って誰や?」 新に聞かれ、千早は頭の中にこれまで試合で当たった強敵を順に思い浮かべながら指を折る。 「えっと……詩暢ちゃんはもちろんだし、恵夢ちゃんに猪熊さん、山ちゃんでしょ、由美さん」 「またようけ居るなあ。ほやけどイメージするの女の人だけなんや?」 「あ、男の選手も数えていいの? なら周防さんと原田先生と……でもやっぱり、新」 最後に自分の名を挙げられ、新はぷっと吹き出した。 「千早、目の前に居るの誰やし?」 「……あ」 今挙げた中にたった一人、対戦をイメージする必要のない相手が居た事に気がつき、千早はきゅっと肩を竦めて照れ臭そうに笑う。 「さて、そろそろ戻ろか?」 空になったペットボトルをゴミ箱に捨て、二人は練習場へと戻っていった。 |