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仮眠を取ったおかげで良いコンディションで迎えられた最終戦は、序盤からシーソーゲームが続いている。見ている観客でさえ、ともすれば呼吸を忘れそうな緊迫感が場内に満ちていた。 (二人とも、消耗してる筈なのに……緊張が、途切れてねえ……) (途切れるどころか、自分の気迫で相手を飲み込もうとして、ますます高まってきてる) 観戦していた須藤や小石川、どこかの会で話を聞きつけてやってきた高校選手権で彼らと対戦した選手達、そしてこの部の部員達はみな同じように感じている。 (けど、二人とも……楽しそうだ) 勿論、二人の表情は真剣そのものだが、それでもお互い一歩も引かず、取られては取り返すという厳しいこの試合を心から楽しんでいるのが何故か伝わるのだ。 巽の声を二試合目で掴んだ千早が速い取りを見せるのだが、思い通りに差を付けられない。千早のマークが薄い札を丁寧に拾い、すぐに枚数差をゼロに戻してしまう。 送り札にも新は変化を付けてきた。時間のかけ方だけでなく、普段なら終盤になって送るような札を早目に送ったりと、千早のペースを徹底的に崩しにかかっている。 (……さすがに、楽じゃない……けど、新がこんな送り札するのは、私を調子に乗せたくないから……それって、新も私の事を手強い相手って認めてくれてるからだよね) そう考えると少し気が楽になる。送られた札を自陣に配置し、千早は構え直した。 (残りはお互い六枚ずつか……そろそろ、やってみるかの) 新も畳に両手を付き、次の詠みを待つ。 「──あ」 一字目で新の上半身がぐっと敵陣にまで踏み込んだ。 「ひみての──」 身体で千早を牽制し、決まり字の瞬間に指先でポンと軽く札を弾く。 (……今のって、原田先生の……!) 千早の目が大きく開かれる。挑戦者決定戦で原田が見せた取りを、新はいつの間にか自分のものにしていた。 (はあ……出来た。ほやけどキツいなこれ……下手すると顔からコケてまいそうや。……あ、そう言うたら原田先生も試合で盛大にコケてたんやった) 札を拾いに行った新はプッと吹き出してしまう。この局面に来てもリラックス出来る新に、初めて新の試合を見た観客達は驚きを露わにしていた。 「……すみません、札、移動します」 新から札を送られた千早が宣言して札に手を触れる。新は片手を上げてその様子を眺めた。 (千早が札移動? ……迂闊に動かすと原田先生に怒られるって言うとったのに……?) 移動し終わった札を見て新もまた驚く。「つき」「つく」の同音札を隣り合わせに配置してきていた。確かに札押しで払いやすい並びだが、それは新にとっても当然取りやすい事ぐらい、千早には分かっている筈だ。訝しみながら手を下ろして構える。 「──」 微かな子音の響きを新の耳が捉え、二枚纏めて払いに行った新の手が触れたのは札ではなく、二枚の札を押さえた千早の手の甲だった。 (……周防名人の取り方なんか、よう試合中に再現出来るなあ……) その度胸と運動神経の良さに新は舌を巻く。これでまた共に五枚セイムだ。新はまだ詠まれていない札を頭の中でもう一度確認する。 (一字決まりが場に二枚……千早に『さ』、こっちに『む』、今千早が取って一字になったのが『つく』。『たか』『ひさ』と千早陣の『いに』も一字、『あふ』『しら』とおれの陣の『わすら』『おおえ』はまだ出てえん札がある) よし行こう、と新は自分を鼓舞させて構えを取った。 まだ一字決まりになっていなかった札のうち二枚を新は「超加速」を駆使して取り、自陣に残っていた「おおえ」を千早に送る。千早も負けじと一字決まりになった「つく」「たか」を目の覚めるような速さで取り、「ひさ」を送ってきた。 (残り、三枚……) 千早の頭の中に、もはや勝ち負けという意識はなかった。新とのこの試合を全力でやり抜くという思いだけが心を満たす。 新の方は全力でやり抜きたいという思いと同時に、あのボロアパートでの思い出のように、終わって欲しくないという思いも気持ちのどこかにあった。 (いや、ほうでないな。この先もずっと一緒に、千早とかるた続けていくんやで、終わりでない) その瞬間、何かに突き動かされたように新の手が千早の陣の札を音もなく押さえていた。 「……ありがとう、ございました」 目の前で千早が頭を下げている。まだどこか現実感覚が薄いまま、新も殆ど反射で礼を返していた。 (……おれ、取れてたんか……? 全然、意識してなんだけど……) 出水が中央に歩み出て、今日のデモンストレーションはこれで終了だと話しているが、どうしても上手く頭に入らない。ぼんやりと周囲に視線を巡らせると、千早が大きな目に涙を滲ませているのが見えた。 「……千早?」 どうした、と言おうとした瞬間、座っている畳の目が急に斜めに見えた。 「えっ、新?!」 千早の声でようやく、自分が畳の上に横倒しになっているのに気付く。 「……疲れたあ……」 試合だけでなく、今日まで色々あって神経を張っていたものが急に緩んだせいだろう。もちろん全てが解決した訳ではないが、少なくとも前進はしている。新は笑顔を浮かべてもう一度「クタクタや」と口にすると、腹の底から息を吐き出した。 「二人とも、本当にお疲れさん。……凄い試合だったな。いや、ほんと他に言い様がないぐらい凄かった。お前らと巽、着替えたら今日はもう帰っていいぞ」 やって来たのは出水だった。新は急いで身体を起こす。そんな新に出水は無理するなと笑いかけてきた。 「後の細々した事は明日にでもメール送るから、その時にな。……ゆっくり休めよ」 「あ、はい。お疲れ様でした」 じゃあな、と出水は出口へと向かった。戸口の所に固まっていた一団に、何かは知らないが話は明日と大声で告げていた。 「新、立てる? 出水先輩ああ言ってくれてるし、着替えちゃおうよ」 先に立ち上がった千早が手を差し伸べてくれた。 「そうやな。……ありがとう、大丈夫や。千早、更衣スペース先使いねの」 千早の差し出した手をそっと掴んで、新はほぼ自力で立つ。大丈夫そうだと見て取った千早は更衣スペースへと消えた。 「綿谷、お疲れ。……この後どうするんだ? 帰る?」 今度は巽が聞いてきた。まだ決めていないと新が答えると、巽は周囲に素早く視線を巡らせて、今度はぐっと声を落として口を開いた。 「一つだけ今のうちに話しとくな。……出水先輩、試合見てて考え変わったらしい。さっき先輩が言った『明日の細々した事』って、多分ここ暫くのゴタゴタ絡みだと思うけど、信頼していいと思うぞ」 「……え」 急な事で咄嗟に話が飲み込めなかった新を見て、巽が笑い出す。 「お前も、そんなポカーンとした顔する事ってあるんだな。……ま、一度に全部は無理だろうけどさ、一人ずつでも味方が増えりゃいつか大きく動き出すよ。……良かったな」 新の肩をポンと叩いて巽も練習場を後にしようとする。その背中に新は深々と頭を下げてから、千早と入れ替わりに更衣スペースへ入り洋服に着替えた。 「千早、この後どうするんや? どっか見て回るか?」 着物を畳みながら尋ねると、千早は珍しく迷ったような顔をする。 「焼きそば美味しそうだったから行きたいけど、荷物多いし凄く汗かいたし……」 「……おれんちに荷物置いて、風呂の後でここ戻ってもいいざ?」 もっともそれも体力次第だが。 「え、いいの? じゃあ……お願いしてもいい?」 千早に笑って頷き、連れ立って練習場の外へ出る。夕方の風が気持ちよかった。 「あ、そや。さっき千早が着替えてる間に巽先輩から聞いたんやけど……」 新のアパートへの道を歩きながら、千早にさっき教えてもらった出水についての話を新は話した。 「……明日なんかメール来るって話やったやろ、巽先輩は多分ここ最近の妨害の事とかの話をしたいんやろって言うてて、おれらに出水先輩は信頼していいと思うって、そう言うてたわ。良かったの、って」 「あ、新……それ、ほんとに? ……ほんとに出水先輩が……?」 「うん。今日の試合見てて、考えが変わったっていう話やった」 千早は口元に手を当てて、驚きに目を見開いている。その大きな瞳が見る見る涙で潤み、頬へと伝い落ちた。 「……良かった。……よかったぁ……。頑張ってきて、良かった……新、新ぁ……うっく……う、嬉しいよう……新」 「ほやの。分かってくれるって、嬉しい事やの。……さ、早いとこ戻って、風呂入って、大学祭見てこっさ」 「……うん」 千早は不器用に涙を拭い、再び新と同じ歩調で歩き出した。 |