20
|
「お、二人とももう準備出来てんだ。……出水先輩、済みません! 俺らの着付けお願いします」 次に練習場に現れたのは、読手を務める二年の巽と一般の観客に解説を行う三年の奥山の二人だった。二人は出水から自分達の着物を手渡され、更衣スペースに入る。 「先輩方も、今日はよろしくお願いします」 「……ん、よろしく」 先に着替える奥山が短く答えた。 「あーっ、スポーツドリンク買うの忘れてた! 新、ちょっと付き合ってもらっていい?」 突然千早が素っ頓狂な声を上げ、練習場の外へと新の腕をぐいぐい引っ張っていく。 「うわ、……先輩、すんませんすぐ戻ります!」 着付けの順番を待つ巽は苦笑いを浮かべながら頷いた。 「何や、千早。どうかしたんか?」 腕を引く強さで、新は千早が外で何か話したいのだという事には気付いていた。ただ何を言いたいのかまでは流石に分からない。 「新……。この前の電話、声覚えてる?」 「……千早の携帯に掛かってきたやつか? ……いや、おれ逆側から聞いてたで、ちょっと分からん。ごめんな」 一応音量を上げておいたとはいえ、あの雑音の中でしかも受話器を千早と半分分けで聞いていた新は、言われた内容は覚えていても声質の記憶は自信がなかった。だが今このタイミングで千早が自分を外に連れ出したという事は、声の主が練習場の中に居る可能性が高いという事ではないのか、と気付いた。 よく読手を務める巽や、昨日や今も話をした出水の声なら新もちゃんと覚えているのだから、千早が気にしたのは一人しかあり得ない。 「……奥山先輩が、こないだの……?」 「もちろん口調とか、声の高さは変えてるっぽいけど……音が」 千早は言葉を探すように少し口を閉じる。 「さっき先輩、『ん、よろしく』って言ったよね? ……それの鼻への抜け具合とか、子音の出し方が電話の声とそっくりに聞こえて……」 容易には聞き分けられない微かな音の揺らぎを捉える千早の聴力は天性のものだ。だから新はその言葉を疑う気はないが、現状では電話の主が彼だと断じる客観的な証拠もない。 「……おれは千早の耳を信じるけど、今の状況やと他の人納得させるだけの証拠がないで、とぼけられたらアウトやしなあ。……なんか方法考えんとあかんのは確かやわ」 スポーツドリンクを買いに出たという口実を嘘にしないために、新は自販機でペットボトル飲料を一本買って考えを巡らせる。 (先輩らの番号はおれも千早も登録済みや。……ほんならこないだのは誰の携帯やったんや? ……いや、ほんな事の前に、奥山先輩やったとして、荷担してる理由……いや、メリットは何なんや) そもそも三笠の乱暴な取りや受けた印象と、先日の怪電話が繋がりのある事なのかどうかもまだ分からない。 いずれにせよ、明らかに出来る事から一つずつやっていくしかない。新は顔を上げた。 「千早、こないだの番号って、まだ携帯に履歴残してあるやろ?」 「残ってると思うけど……先輩のとは番号違うよね?」 新は分かってる、と頷いた。 「先輩らに見られると面倒やし、後で書き写させて。いっぺんに何もかんも解決しようと思うで難しいんや。一個ずつはっきりさせてけば、最後にはちゃんと誰かに辿り着く筈や。……今は試合に集中せなあかんし、その話いっぺん忘れとこっさ」 新はさっき買ったペットボトルを千早の首筋にぺたりと押しつけた。 「ひゃあっ?! つ、冷たっ?!」 「……頭冷えるし、ちょうどいいが?」 今の話題を千早の頭から押し出してしまおうと、新はわざと意地悪に言った。千早は拳を握って新の背中を何度もぽかぽかと叩く。 「気分、切り替わったか? ……そろそろ人入らせる時間やろうし、戻ろっさ」 新は雪駄の金具をチャリっと鳴らして歩き出す。その後ろを千早のスニーカーの足音が追い掛けていった。 「千早ちゃあーん!」 構内のメインストリートから、千早を呼ぶ声がした。振り向くと奏が手を振っているのが見えた。 「あーっ、みんな来てくれたんだー!」 手を振りながら足早に練習場へやって来るのは、瑞沢高校かるた部の初代部員達だ。勉強で忙しいと言っていた太一の姿もある。 「太一、なんか顔見るの久しぶりやの。忙しいのに時間作って来てくれたんや。ありがとう」 「まあ……おれも別にかるた辞めた訳じゃねーし、小作……じゃねえや、小石川先輩も後で来るとかって言ってたぜ」 「あ、そっか。太一K大だから、小石川さんの後輩なんだよね」 千早は楽しそうに先日の練習がどうだったかを話している。 「西田くんも久しぶり。北野先生もお元気やろか」 西田に声を掛けると、何故か彼はぐっと握り拳を作った。 「綿谷、おれは嬉しい! ……おれの事『西田』って呼んでくれんの、真島とお前ぐらいなんだよー!」 西田が手にしたビデオカメラごと、新に飛びついてきた。 「いや……はは……、あれ、それビデオ?」 「そりゃーお前と綾瀬の試合なら、撮って損はねーだろ。……DVDに焼いたらお前にも渡そうか?」 「え、いいんか? ありがとう!」 新のストレートな礼に西田の方が照れて赤くなってしまった。 「そろそろ先輩らも着替え終わったやろし……中入ってよっさ。案内するわ」 新は皆を練習場に案内する。 「お、戻って来たか。綿谷と綾瀬、そろそろ支度しとけよ。……えーと、君らはうちの学生?」 入口で出迎えた出水が瑞沢の元部員の中で一番目立つ太一に声を掛けた。 「いえ、おれらは二人の友人で、大学も結構バラバラなんですが……」 「あ、そうなんだ。失礼。……どうぞ、前の方空いてるから好きに座って」 座布団を並べた辺りを指さして入るように勧める。 「……ほんならまた、後での」 「行ってくるねー!」 新と千早は裸足になると、自分達の荷物がある更衣スペース前へと向かう。 畳の上に正座して気を静めようとしていると、練習場の入口が勢いよくガラリと開けられた。 「おっ、いたいた。やあ千早ちゃん、メガネくん。今日はいい試合を期待してるよ? ……やあ、まつげくんじゃないか。K大医学部だっけ? 忙しいって聞いてたけど、都合ついたんだね。時間が取れたらまた白波会にもおいで。いつでも待ってるからね」 須藤に「熊」と揶揄される原田は、まさにそのイメージ通り重量感のある足取りで練習場に入り、試合を見に来ていた太一に気付くとその肩をばんばん叩いて話し掛けていた。その後ろから坪口がやって来て、千早達に軽く手を上げて挨拶すると太一の隣に腰を下ろす。新は一度立ち上がり、原田の側へ向かった。 「原田先生、来てくださってありがとうございます。……なんか、子供の頃思い出しますね。おれと太一と千早が居て、原田先生が居て」 原田は懐かしいねと大笑して坪口の側にどっかりと胡座をかいた。新が元の場所に戻ると、部員達もぽつぽつと練習場に集まり始めているのが見えた。 (……三笠先輩は、まだ来てえんか……ん? うちの先輩らの席の周りって……) 部員達の近くに見覚えのない顔がいくつかあった。単なる友人かも知れないが、須藤の忠告もある。一応覚えておこうと新は気取られない程度に彼らの顔を窺っておいた。 正面の時計が九時半を回る。腕のストレッチをしていた千早が入口の人影に気がついた。 「……新」 千早が早口で小さく言いながら戸口に視線だけを向けているのに気付き、新も軽く準備運動をしながら千早の視線を追うと腕組みをした三笠が立っていた。 「うん」 新も三笠の姿を視認した事を短く返した。 「失礼。詰めてもらえますか」 入口から聞き覚えのある声が聞こえ、その声に心当たりのある者が一斉に急速冷凍されたかのように固まる。顔を見るまでもなくその反応だけで須藤が来たのだと千早達も気付ける程、圧倒的な存在感だった。 「失礼します」 どうやら北央OBを引き連れてきたらしい。甘糟やヒョロの姿も一団の中にあった。須藤達に押し込まれるような形になり、三笠も座布団の上に座り込む。その様子を見た須藤が鋭い視線を新に送ってきた。 (今のが三笠先輩か、って聞いてきてるんやろか……) 新が視線のみで頷くと、ようやく須藤はいつもの不敵な笑みを浮かべて畳の上に視線を戻す。 「……ぼちぼち、時間やな」 正面の時計は九時四十分になろうとしている。解説役の奥山がまず読手席の脇に立って一礼した。 「えー……それでは競技かるた部のデモンストレーションマッチを開催します。試合開始に先立って、かるたの経験がない方もいらっしゃると思いますので簡単にルールを説明させて頂きます。……綿谷、綾瀬。席について」 「───はい」 千早はバネの利いた動作で、新はゆっくりと落ち着いた動きで立ち上がり、練習場の中央に積まれた札を挟んで向かい合わせに座って礼を交わす。 「試合は一対一で行い、使う札は百枚中五十枚です。残りは空札として仕舞いますが、詠みは百首全てが読まれます。おのおの二十五枚を自分の陣に配置した札を十五分で暗記し、先に自陣をゼロにした方の勝ちとなります」 奥山の説明に合わせて二人は札を混ぜ、取り札を開いて配置していく。渡り手が得意な新は元より友札を左右に分けて置くが、千早の配置も同音札をあまり固めてはいない。 「では正面の時計で十時ちょうどから試合開始です」 新の陣には一字決まりの「む」と「め」、そして祖父の現役時代、兄弟とからかわれた「わたのはらや」がある。まるで祖父が札を分けてくれたかのようで、新はふっと微笑んだ。 一方、千早の陣には彼女の得意札である「ふ」と「ちは」が揃っている。攻めがるたの彼女なら、送って絶対に狙ってくる。しかも千早は以前言っていた。「競技線の中で『ちは』が真っ赤に見える」と。だからこそ逆に抜いてやりたい札でもあった。 「───暗記、あと二分です」 千早は素振りを始め、袖が気になって思い出したのか袂から襷を取り出してきりりと締めた。 一方新は薄く目を閉じ、脳裏にあの懐かしいアパートの部屋を描き出す。狭い部屋に置かれた箪笥、くすぶるストーブ、端に寄せた卓袱台。窓際の畳に向かい合って座る、自分と千早。 (……のぉ、千早。……楽しいかるた、しよっさ。……おれと、しよっさ) 「──始めます」 互いに一礼し、読手役の巽に向かい、さらに一礼する。正面に向き直ったところで良く通る巽の声が「難波津」を詠み上げ始めた。 |