保湿系トライアルセット

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新と千早の大学生活:大学祭当日



 朝。意外に早い時間に新の部屋の呼び鈴が押された。
「おはよ、千早。今洗い物済ませるで、上がって待ってて」
 千早を招き入れる新も早めに起床し、身支度は済ませている。試合の合間は量のある食事は摂りたくないが、朝食だけはちゃんと食べておかないと頭の働きも鈍ってしまう。
「あ、うん。……何か手伝おうか?」
 靴を揃えながら千早が聞いてきた。
「ん? 大丈夫や。ありがとう」
 千早が居間に向かうのを見て、新は手早く食器を洗って水切り籠に伏せた。

 「千早の袴の包み、そこに出してあるでの。……やっぱ女の着物は色とか柄が綺麗やの」
 聞いた話では千早の袴は母が奮発した物だという。吉野会大会に千早がその袴で出場したのを見た時、他の袴姿の選手よりよく似合っていたのを思い出す。
(……あんな小声で言うたのまで聞かれてもたけど……)
「ありがとう。新の着物だって渋いじゃん。……決定戦の時のとは色が違うんだね」
「あ、うん。じいちゃんのお気に入りやったやつや。今日の試合は特別やし、こっち着ようかなっての」
 祖父が愛用していた着物は何着か持ってきているが、新はその中でも祖父がかつて模範試合で着ていた着物と袴を今日の試合に選んだ。

 洗い物を終えた新が部屋に戻ると、千早は髪をポニーテールに結い上げてストレッチを入念に行っている所だった。
「あ、新。柔軟ちょっと手伝ってー?」
 かなり大きく開脚し、上体を前に倒そうと腕を伸ばしている。
「いいか? 押すざ?」
 新の手が千早の背中をゆっくり押していくと、千早の上体はぴたりと床につく。開脚状態の膝は綺麗に伸びたままだ。
「……身体柔らかいなあ。おれそこまで倒せんわ」
 短距離の記録では敵わなかったらしいが、身体能力的には元サッカー部で運動神経抜群の太一と肩を並べていたというのもよく分かる。
「よっし、今日も快調! ……そろそろ出ようか?」
「そうやな。……んーと、ガスの元栓閉めたし、窓の鍵も大丈夫やな。荷物は……大丈夫やな。千早も忘れもんとかないよな? ……ほんなら、ぼちぼち行こっか」
 二人はスポーツバッグを斜め掛けにして、風呂敷包みを抱えて玄関を出る。新はもう一度ドアの戸締まりを確認して歩き出した。

 「雨も降らなそうで良かったねえ。模擬店のテーブル、パラソルあったけど晴れてる方が気持ちいいだろうし」
 むしろ自分の隣を歩く千早の表情の方が快晴だと新はふっと笑う。
「ほやの。あんまり暑なると、合間に呼び込みすんのもキツいけど、……そこはまあ対策済みやし」
「対策って?」
「おれの鞄に、ぺたーっと貼るタイプの冷却シートあるでさ。暑かったら、一々断らんでも使えばいいでの?」
 そんな話をしながら歩いていくと、やがて大学の正門が見えてくる。今日の催しの準備で出てきている学生があちこちにいるが、一般の客はまだ大して居ないようだった。
「とにかく部室行かんと……ん?」
 かるた部練習場の前にきちんと和服を着込んだ男性が一人立っているのが見える。袴ではないところを見ると、どこか別の部の人だろうか、と思いながら歩を進めると、二人に気付いた男性が片手を上げてきた。

 「お、来たか二人とも。体調大丈夫か?」
 その声で誰だか分かった。
「え、い、出水先輩?!」
 顔の下半分を覆っていた濃い髭を綺麗に剃り落としていたから分からなかったが、今日の着付け担当の出水だった。髭のあるなしで印象が変わるという話はよく聞くが、出水の場合髭を剃って和服を着ると、大店の若旦那といった風に見えそうなぐらい見た目の印象が違っていた。
「お、おはようございます……。体調は、まあ……いつも通りですけど……」
「……けど、何だよ。……もしかして、髭剃ってあるから面食らってんのか?」
「えっと……はい。すみませんでした」
 千早が謝ると、出水はいつも通りからからと笑い飛ばす。
「まあせっかくの大学祭って事だよ。……んな話はいいから、お前ら早いとこ支度しろ。俺も一応横で見てっから」

 出水に押されるように練習場へと入る。普段の更衣スペースはそのままだが、練習場の一画に座布団が高く積まれている。
 新は着物の包みを解き、Tシャツを脱ぐと襦袢をざっと羽織り目隠しにしてからジーンズを脱いだ。そのまま襦袢の前を合わせて腰紐を結ぶ。脱いだ服を手早く畳んでから、祖父が愛用していた銀鼠色の着物に袖を通した。
(じいちゃん……おれ今日は、千早と三試合や。今からなんやワクワクしてまうわ)
 身頃の腰を合わせながら、心の中で祖父に話し掛ける。千早との試合が楽しみで、顔がつい緩みそうだった。
 襟を合わせて帯を締め、濃い茶の袴を履けば新の身支度は完成だ。襷がけ用の紐と汗拭きタオルを懐に入れ、最後に雪駄を取り出すと、風呂敷と脱いだ服をスポーツバッグの中にしまい込む。
 千早の方は帯で少し手間取ったのか、出水が所々手直しをしながら着付けをしている。手持ちぶさたになった新はそちらへ移動して、千早が脱いだ服をたたみ始めた。

 「新、そんな事いいってば……」
「暇なだけや。……ほんな事より早よ袴着けてまいねの」
 千早はまだ少し膨れているようだが、袴の着付けに取りかかる。
「なんか綿谷、綾瀬の嫁さんみたいだな、それ」
 服を畳んでいたからか、出水が面白そうに混ぜっ返してきた。
「い、出水先輩ー?!」
 千早は振り返って抗議しようとしたらしいが、新と出水に揃って「袴」と言われては大人しく着付けを続けるしかない。袴の紐を結び、身体の左前できちんと整えて千早の支度も終わる。千早は鞄から襷を取り出すと、手のひらでそっと紐を撫でた。

 「……高校の先生が縫ってくれたんやったっけ? 千早の宝物やの」
 新が言うと、千早はにっこりと頷く。
「あの……」
 練習場の扉が遠慮がちに開けられた。試合はまだですが、と言いかけた出水を千早の声が遮った。
「あ、お母さん!」
 戸口に居たのは千恵子だった。千早はぱたぱたと母に駆け寄り、新は一礼してからゆっくりその後を追った。
「あらまあ、二人ともすっかり見違えちゃうわねえ。……実は、お父さんに後で見せようと思って写真撮りに来たのよ」
 そう言いながら千恵子は自分の携帯を取り出して、千早の写真を何枚も撮り始めた。
「お母さん、新も一緒に撮って?」
「え、おれ? ……や、いいって……」
 あまり写真が好きではない新は脇へ退こうとしたが、一瞬早く千早に腕を掴まれて逃げられない。
「あら、新くんも似合うわねえ。ほら、並んでちょうだい? いーい?」
 パシャリと軽い音がして、千恵子の携帯画面には明るく笑う娘と照れたようなボーイフレンドの姿が収められた。






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written by Hiiro Makishima