保湿系トライアルセット

 15

新と千早の大学生活



 「吉岡先生、お久しぶりです」
 翌日、新は千早を伴って高等学校文化連盟のかるた専門部に所属する吉岡の元を訪れた。大学に入った今、高校の連盟とは直接繋がる機会は少ないが、去年まで大会では必ず顔を合わせていた人でもある。
「やあ、綿谷くん。大学はもう慣れたかな」
 新の腕と言わず肩と言わず、どこでも掴んで揺さぶりながら話すのは相変わらずのようだ。
「はい、お陰様で。……千早が同じ大学ですし」
「こんにちは、綾瀬です」
 どうやら言われて初めて千早が一緒に来たと気付いたらしく、吉岡は目を丸くしてから大きく笑った。
「そうかそうか。頑張ってるんだね。きっと綿谷先生も喜んでるだろう」
 新はそうだといいんですが、と小さく笑って吉岡の大きなリアクションを躱す。

 「実は今度、うちの大学祭があるんですが、その時二人で三試合取る事になったのを、先生にもお知らせしときたくて寄らせてもろたんです」
 新がそう切り出すと、吉岡はにっこり笑う。
「確か───大だったね。ここ数年残念ながら振るわないようだし、君らがまたもり立ててくれるといいねえ。……大会と重ならなければ、見に行かせてもらうよ」
「ありがとうございます。いい試合お見せできるよう頑張ります。……お忙しい時に失礼しました」
 揃って椅子から立ち上がり、頭を下げて吉岡の元を辞去する。建物の外に出ると、千早がはあっと大きく息を吐き出した。

 「あー……緊張したあ……」
「……お疲れさん。今日、色々大変やったしの」
 新が口にした「大変」。打ち合わせた通り学食前で新と待ち合わせたが、新が到着したとき千早が一緒に居たのは部の先輩ではなく同じ学部生達で、お互いに下の名前を呼び捨てにしていると知るやいなや、馴れ初めから何から質問攻めに合ってしまったのだ。
「他の男の子も呼んで一緒にカラオケ行こうって言った時、新すごかったよね。バッサリ」
「……空気悪くしつんてごめんの。……ほやけどおれ歌なんかよう知らんし」
 少し決まり悪そうに新は頭を掻く。カラオケで歌う曲を聴く暇があったら百人一首の朗詠CDを聴いていたいという理由もあったが、何よりあの大音量で耳を痛めたくなかった。
「あはは。実は私もそうなんだけどね」
 千早は明るく笑って、中学時代専任読手の朗詠CDを学校で聴いていたら先生に取り上げられたと話す。
(昔来た手紙には書いてなんだな、ほんな事)
 当時の手紙には、試合に負けた悔しさを除けば何一つネガティヴな事は書かれていなかった。天然だと周囲から言われる千早だが、手紙の内容一つ取ってみても読んだ新を心配させないよう気を遣っているのが分かる。
「……どしたの、新?」
 千早に訝しまれ、新は手紙の回想を慌てて打ち切った。
「や、どうもせんよ。……白波会行くにはちょっと早いし、どうする?」
「うーん……バーガーショップで何か飲もうよ。時間潰せるし椅子あるし」
「ん、ほんならそうしよか」
 千早に先導される格好で、瑞沢高校からそう遠くないファストフード店へと向かう事にした。

 バーガーショップの店内は学校帰りの一団でごった返している。何人かは千早がこの春まで着ていたのと同じ制服のようだ。
「……あれ、瑞沢の制服? なんか見覚えあるんやけど」
 新は目立たないようにそっと指で示す。
「あ、ほんとだ。……って、あれ? ……菫ちゃん?」
 長い髪をトップでお団子にしている少女に千早が呼びかける。振り向いたのは間違いなく千早の後輩、花野菫だった。
「あれっ、綾瀬先輩! お久しぶりです。……あっちに筑波も居ますよ?」
 菫はレジの方を指さした。もう一人の後輩、筑波秋博がトレイを手に立っている。千早に気付いたのか彼は急ぎ足で千早達の席にやってきた。
「綾瀬先輩! あ、綿谷さんも。珍しいですね、こんな所で。ご一緒していいですか?」
 筑波の一言に菫は邪魔しちゃダメだと難色を示すが、千早と新が揃って頷くのを見て向かいの席に腰を下ろした。

 「二人とも元気そうだねー。私達後で白波会行くけど、菫ちゃん達は?」
 二人が席に着くやいなや、千早が口を開く。
「実は試験前なんでどうしようかって思ったんですけど、先輩達居るんなら、おれ行こうかなー」
「筑波ぁ、あんたそんな余裕かましてる場合? 女帝からヤバいって言われてんでしょ、志望校」
 筑波の答えに菫がすかさず突っ込んできた。何のかんの言いながら、仲は悪くなさそうだと新は穏やかに笑んだ。
「でも先輩達がこういう所に居るのって、確かに珍しいですよね。どこかお出かけだったんですか?」
「うん。連盟の先生のとこに挨拶と、大学祭で私たち二人、デモ試合やるからって話をね」
 千早は二人とも良かったら来てねとしっかり付け加える。
「え、お二人で試合ですか? すげー、おれ見たいです!」
 目を輝かせる筑波とは対照的に、菫は何故か千早と新へ交互に視線を走らせている。

 「菫ちゃん、どうかしたの?」
 千早が尋ねると、菫は少しだけ言葉を探すように黙った後、ゆっくり口を開いた。
「お二人って、かるた関係ないデートとか、しないんですか? ……お付き合いされてるんですよね?」
 入部時から恋愛体質と言われた菫らしい問いだが、千早は赤くなって固まってしまう。少し前に須藤や小石川の質問に答えた分、新は自分の方がやや気持ちに余裕が持てている自覚があった。
「まだ東京に越して、そんな経ってえんし。……まあそういう余裕ないの、おれのせいや」
「あ、新のせいじゃないよ。……大学入ってからは、一緒に居られる時間増えたんだし、そ、そんなわざわざ、デ、デートとかさ……」
 まだ何か口の中でもごもごと言っている千早に、新はふっと笑って言葉を継いだ。
「こっちの生活慣れたら、してみるのもいいかもの、デート。……千早、どう思う?」
「あ、あ、あのあのあの……その、……う、うん」
 千早は俯いて、両手の指先をくっつけたり離したりを繰り返しながら、辛うじて頷いた。そこで新はふと真顔になって菫に向き直る。
「気にかけてくれて、ありがとう。……ほやけど、おれらは自分らのペースでやって行きたいって思ってる。傍から見たら焦れったいかも知れんけど」
 途中から千早も顔を上げて、口元に微笑を湛えて新の顔を見ていた。
「ごめんなさい、綿谷さん。もう言いません。綾瀬先輩も済みませんでした」
 菫は「確かに交際のペースは本人たちが決める事でした」と晴れやかな顔で二人に詫びた。

 「気にしてないよ。……あれ、電話だ。……新、これ……」
 はっと息を飲んだ千早が呼び出しを続けている携帯の画面を新に見せてきた。十一桁の番号だけが表示されているという事は、千早が名前を登録していない相手だ。新の目が見る見る鋭くなる。
「……おれも横で聞くで、少し音上げて出てみて」
 千早が頷き「通話」ボタンに指をかける。新の耳と千早の耳で携帯電話を挟むようにして受話器からの音に神経を集中させた。
「……も、もしもし」
 千早の声が少し固い。
『あー、えっとー綾瀬さん? 実は伝言頼まれてんだけどさー』
 男の作ったような声が受話器から聞こえてくる。少なくとも部活や授業で聞いた記憶はないが、その横柄な口調が新の神経を逆撫でした。
「……伝言ですか?」
『なんか綿谷くんがさー、急用があるから綾瀬さん連れて来てー、って……』
「え?」
 新は人差し指を唇に当てて返事をするなと示した後、千早の手から携帯を取り上げた。
「もしもし、代わりました、綿谷です。……あ、切られた」
 千早に携帯を返しながら、やはりこの手で来たかと新は奥歯をぐっと噛む。

 「あ、ごめん驚いたやろ。……最近イタズラ電話増えてての。男のおれが出る方が追い払えるやろうでさ」
 筑波と菫に滅多な事は言えない、と新は今の通話をそんな風に言い繕った。
「そ、そうなんですか……」
 二人も釈然とはしていないようだが、それ以上は聞いてこなかった。
「まあ二人も知らん番号は出んようにの。……千早、そろそろ練習行こっさ」
「あ、うん。……じゃあ、またね」
 千早が立ち上がるのを待って、二人連れ立って店を出た。
「……新……」
 実際に電話が来た事で、千早はやはり不安になったのか周囲を見回している。新は宥めるように千早と手を繋いで口を開いた。
「落ち着きね。隣に居るのに、おれの名前で呼び出そうとしたんやから、少なくとも電話の相手は近くにえんし、失敗したんやでその番号からはもう掛けてこん。他の知らん番号から掛かっても、もう出んでいいざ」
「……うん」
 新の手の温かさは千早をほっとさせてくれる。新は反対の手でポケットを探り、目当ての物を手の中に握り込んで千早の前に差し出した。
「これ、念のためや。……持ってて」
 新が差し出してきたのは銀色に光る鍵だった。
「もし学校近くで何か変やって思ったら、取り敢えずおれの部屋入って、鍵閉めてからおれに連絡しての」
 千早が施錠したドアを開け閉め出来るのは部屋の主である新だけだ。室内からは、それで扉の外に居るのが誰か判別出来る。そう告げた後、本音を言えばもっとマシな理由で合鍵は渡したかった、と新は少し愚痴めいた口調で言葉を続けた。
「……大学祭まであと数日や。万全にして、いい試合しよっさ」
「うん。頑張ろうね」
 新が繋いでくれている手を、千早はきゅっと握り返した。






Next


written by Hiiro Makishima