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「ありがとうございました」 一礼して顔を上げると、四人の口から期せずしてはぁ、という息が漏れた。小石川と須藤相手にそれぞれ一試合、その後千早と新で一試合という、かなり密度の濃い練習ができた。特に「感じの良さ」を武器にかるたを取る千早は試合毎に神経を人一倍研ぎ澄ますため、合間の休憩時間は座ったまま床に突っ伏して寝てしまう事も多い。そして今も三試合終了して気が緩んだのか、バタンと俯せに倒れて眠ってしまった。 「あー……千早また寝てもた……」 新は自分のバッグからパーカージャケットを取り出して千早の肩に被せてやった。 「綿谷くん、ほいこれ」 小石川がスポーツドリンクのペットボトルを差し出してきた。 「え、あ……小石川さん。ありがとうございます」 新は礼を述べてドリンクを受け取り、喉を潤す。 「……で、綿谷。お前んとこの部のヤツが何だって?」 須藤が新の前に胡座をかいて尋ねてきた。何だかんだと人をからかいながらも用件はちゃんと覚えていてくれる辺りはいかにも彼らしい。新はペットボトルを置いて姿勢を正した。 「はい。うちの三年に三笠先輩って居るんですけど、須藤さんどっかの大会で当たったとか覚えてないですか?」 三笠が浪人や留年していないなら、須藤と同学年の筈だ。対戦している可能性が一番高そうだからと、千早に届いたメールの返事を利用して須藤に時間を作ってもらったのだ。 「……いや、記憶にねーな。全国大会出てねえんじゃね? 少なくともうちの大学とか北央で取ってた記録でんな名前見た覚えはねえし」 「おれも名前に聞き覚えはない、かなあ……ただ、───大のかるた部の噂は前にちょっと耳にした事はあるよ、おれ」 答えたのは小石川の方だった。 「噂ってどんな事ですか?」 新が問い返した時、ちょうど千早も目を覚ましたのか、新の隣に座る。新は小石川の話を遮らないよう、二人は三笠の名前を知らないそうだ、とだけ伝えた。 「あんまり楽しい話じゃないけど、いいの? おれが話して」 「小石川さん、お願いします。……おれ、何で先輩があんなかるた取るんか理由が知りたいんです」 新と千早が揃って頭を下げた。 「まあ、いいけど……『あんなかるた』ってのを取り敢えず教えてよ」 「え、あ……はい。……おれらが入部しに行った日、先輩らと試合したんですけど……」 新はその時の三笠のガードと言うよりもラフプレイと呼んだ方が近い取り方と、自分が受けた「三笠はかるたを憎んでいるのでは」という印象を簡潔にまとめて小石川と須藤に話す。 「……ほんで今度大学祭で、デモンストレーションの試合やるんですけど……気をつけろ、って他の先輩が言うてきたんです。ただ誰もそれ以上の事は言うてくれんし、デモ対戦かって千早が相手やし、何にどう気い付けていいんかもよう分からんままなんですけど……」 「……んー……」 それまで黙って新の話を聞いていた小石川の口から唸るような声が漏れた。 「おれがちらっと聞いたのは、ここ数年───大のかるた部に入った奴が、早くに退部するって話なんだけどさ」 「練習キツくてついてけねー、って感じとか? ……普通なら」 須藤が小石川に言葉を返す。 「辞めたのがA級ばっかりじゃなきゃ、おれもそう思うけどね」 B級優勝を果たすか準優勝の座に二回就かなければA級には上がれない。大会では多ければ一日に七試合取るという事もあり得るだけに、練習が厳しくて脱落するという線は薄い気がする。 「綿谷、綾瀬。大学での練習量って実際どんなもん?」 須藤が珍しく真顔で問うてきた。 「先輩の話では学部によっては実験やらで泊まり込みになるからって事やったんですけど……正直、全然足りてえんのが本音です」 「うん……白波会の練習にも出てカバーしてるけど、それでも足りないよね」 二人の答えを聞いて須藤は「なら練習が辛いからという理由はない」と言い切った。かるたにはプロという道がない。だから大学に進んだり社会人になっても取る者は皆「かるたが好きだから」続けられるのだ。 「……ほんなら、それ以外の理由で退部してるって事ですか……。怪我とか故障とか」 「いや、それもないと思うよ」 今度は小石川が新の言葉をあっさり否定した。何故、と問い返す新に彼は至ってシンプルな話だと言う。 「退部しなけりゃならない程の怪我人続出してたら、大学側が問題にしない訳がないだろ。本人が怪我のリスクを避けて退部、はあり得るけどさ」 彼の言葉も明快だった。 「あとは辞めた奴が揃って『部に居たくねー』って思いたくなる程の事があった、とかっすかね? 可能性ってさ」 須藤が小石川の方を向いて言う。小石川も特に異論は差し挟まなかった。 「……そういう、事なんやろか……」 何か思い当たる節があったのか、新は小声で呟いた。 「新、どういう事?」 「……小学校ん時さ、おれかって『福井帰りたい』って思った時はやっぱあったで……。それと似たような事なんやろかって、今ちょっと思ったんや」 小石川も須藤も、太一とは面識がある。本人が話さない限りいくら当事者の新でも軽々に話せず、千早にだけはこれで通じる筈だとかなりぼかした言い方で返した。 「え、じゃあ三笠先輩が……その、んーと昔、あったような事を私と新に?」 流石に千早もここでは詳細をうまく伏せてくれ、新は内心ほっとしながら言葉を継いだ。 「大学三年にもなって、あんなわらびしい(子供じみた)事は流石にせんやろけど……小石川さん、聞いた噂の中では辞めた人らって、いつ退部したとかって事は話に出てないですか」 「うーん、聞いたのは比較的早く辞めるって事ぐらいだなあ。夏休み前なのは間違いないけど、入学して早々、って程すぐでもないっぽいね」 小石川はがりがりと頭を掻き、それ以上はよく知らないと詫びてきた。 「……大学祭でうちの部がやる事、先輩は『例年通り』っつってた。……って事はデモ試合も毎年あったんや。ほやったら、毎年A級の新入生にデモと呼び込みやらせてて、ほん時に何かあったって事やろか」 考え込んでいると、須藤が不意に新と千早に札を並べろと言ってきた。 「小石川さん、札読みやってもらえます? ……で、……、……って感じかなーって」 須藤は何事かを小石川に耳打ちし、小石川もなるほどね、と頷いて読み札を手元に置いた。須藤の意図はまだよく分からないが、無意味に取らせる訳ではない筈だと新は言われた通り札をかき混ぜ始めた。 「あ、ごめん今行くね」 千早が少し遅れて位置に付き、一緒に取り札を混ぜて二十五枚ずつを並べる。 「……めんどくせーし、序歌下の句だけで行けよ。ってかもう始めちまえ」 随分な無茶振りだが、普段一緒に練習している分お互いの定位置は分かっている。五十枚の札をざっと見渡して、二人は普段通りに構えた。 序歌の下の句だけを二度繰り返し、一枚目の読み札を小石川が手に持って息を吸い込む。 「───みか」 二文字目が耳に届いたその時、携帯電話が大音量で着信を告げる。神経を集中させていた二人は予期せぬ音に全身がビクっと強ばってしまった。 「あ、ワリーワリー」 須藤が軽く詫びて携帯を切った。気が抜けた状態のまま、小石川が読む「みかきもり」を新は押さえ手で取る。いつもなら決まり字と同時に払いに出る札だが、着信音で中断されて三句目に差し掛かってからの取りとなってしまった。 「───なげ」 今度は和室の襖が音がガタンと大きな音を立てて開けられた。これでは「なげき」か「なげけ」か聞き取れない。 「……須藤さん、一体……」 何なんですか、と千早が聞こうとした時、その須藤がきちんと正座して頭を下げた。 「───失礼しました」 顔を上げた須藤の顔からは、いつもの笑みが消えている。 「論より証拠と思って小石川さんにだけさっき話しておいたが……綿谷、綾瀬。驚かせて悪かった」 「……もしかして、デモでこういう事起きる……起こすんでないか、って事ですか」 新の問いに須藤は黙って頷く。人をおちょくるような普段の口調も影を潜めていた。 |