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「ありがとうございました!」 三笠との対戦は、終盤のスピード勝負で千早が勝利を収めた。案の定三笠は不機嫌そうな顔で千早を睨み付けている。 「先輩との試合、すごく楽しかったです! また取って下さい! ……て言うか、私にも今度パワフルな札押しのコツ教えて欲しいです」 三笠の視線に全く臆さず、千早は額の汗もそのままに笑って言うと、周囲の部員の視線が二人に集中する。多分、三笠相手にそこまでストレートに物を言う相手はこれまで居なかったのだろう。 「……っ、……ふん。……十五分休憩」 無愛想に唸ると、三笠は畳を踏み抜きそうな勢いで練習場から出て行った。一気に場の空気が緩む。 「……千早、ちょっと聞いていいか? さっきの試合の事やけど」 「えっ? いいよ、何?」 休憩時間になり、早速新は三笠との対戦での「ちは」への反応について千早に尋ねた。 「……まだ『ちぎりき』残ってたのに、一字目で何で『ちは』やって分かったんや?」 「えっと……決まり字前の音って、高さ違うし……それに私、『ちは』の札は真っ赤に見えてるから、読まれれば分かるよ」 決まり字前の音の高低の聞き分けもかなり難しい話だが、新には千早が言った「真っ赤に見える」の方が興味深く、どういう意味かと更に問うた。 「高校の時に、かなちゃんが教えてくれたんだ。私ずっと、かるたとは『音』でしか繋がってなかった。だけどかなちゃんは歌の意味や背景をすごく大事にしてるの。……かるた部に誘った時にね、私が『ちは』好きなんだって言ったら、かなちゃんが『私にはこれが激しい恋の歌に思えます』って、『ちはやぶる』が詠まれた背景とかを教えてくれてね。……それからは私の目にも、あの札は綺麗な赤い色に見えるようになったんだ。近江神宮みたいな赤、って言えば分かりやすい?」 「歌の……意味と、背景の……色……」 取りのイメージなら新も常に心に描いているが、詠まれる歌の音や背景のイメージを色彩化させるという答えは彼にとっても新鮮なものだった。 「千早は、他にも色で見えてる札ってあるんか?」 「読手さんにもよるけど……山城専任読手の読みだと特に色で見えやすいかも。例えば『なにわえ』『なにわが』も、かなちゃんに教わった通りに緑でも全然違う色に見えてくるんだよ」 (……前に村尾さんが言うてたの、やっと分かったわ……) 新の頭の中で、対富士崎戦の審判についていた村尾が話してくれた「千早と山城理音が二人とも、ただでさえ難しいその二枚の決まり字前に札を押さえに行った」という事と、千早が今言った「歌の色彩イメージ」がようやく一つの像となって結びついた。 「……ほやけど読手さんによって見える見えんがあるんでは試合には向かんなあ……」 毎試合必ず山城七段が詠むのであれば、千早が今言った「色で聞き分ける」は武器になるが、一試合ごとに読手が変わる大きな試合では安定した取りに繋がらないだろう。 「うん、だからいつもは『ちは』だけ。あれは私の特別な札だから、読まれなくても赤く見えるの」 「それを千早に教えてくれたんが、その『かなちゃん』て人なんか。凄いな。……おれも、会うてみたいわ」 千早の話を聞く限り、その「かなちゃん」はかるた部に入る以前から和歌に親しんでいるらしい。 (おれ中学の頃って、歌聞いても何字決まりやとか、誰それの得意札やぐらいしか考えてえんかったんでないやろか……ほんな頃から短歌に親しんでるって……凄いのぉ……) そう言えば祖父も西行法師が好きで、名人位を競い「二強」と謳われた佐藤清彦先生とよく和歌について話していた事を思い出す。あの頃佐藤先生からも西行をはじめ色々な歌人の話をされたが、今思うと自分は相当見当違いの受け答えをしていたのではないだろうか。 「じゃ、メールしておくね」 祖父の事を考えていた新は、千早が何を言っているのか一瞬分からなかった。 「新、かなちゃんに会ってみたいって言ったから、メールしてみるって言っただけだよ?」 「え……いいんか? ……ほんならお願いしていいやろか。もちろん都合に合わせるで」 「いいよ。じゃあ練習終わったらメールするね」 「ありがとう!」 新は千早の両手を掴んでぶんぶん振りながら礼を口にする。あまりの勢いに千早の頭ががくんがくんと前後に揺れた。 「うわ、ひゃっ……」 新が腕を揺さぶるたびに妙な声が千早の口から飛び出し、それでようやく新は自分がエキサイトして力加減を忘れていたと気付く。 「びっ、くりしたー……新って、かるた絡むとホント性格変わるよね」 「ごめん……って、性格変わるのは千早かって人の事言えんやろ……そろそろ次の対戦やし、もう行く」 すたすたと畳へ歩いて行く。その後ろを千早の弾むような足音が追っていった。 部での練習が終わった後、千早は早速奏の携帯に宛てて「かなちゃんが高校で話してくれた百人一首の歌の話を、新も聞きたいそうなんだけど、構わないかな」とメールを送った。奏の大学でのスケジュールが分からないため、二人は自販機で適当に飲み物を買って、合格発表の時と同じベンチに腰掛けてしばらくメールの返事を待つ事にした。 「──あっ、返事来たよ、新!」 千早は自分の携帯を新の前に差し出し、一緒に返事を読んだ。 「えっと……『六時半過ぎなら店番しています。……でも私なんかの話でいいんですか? 綿谷さん凄く強い方なのに』……だって」 「いいに決まってるが。ほんなら図々しいけどお邪魔させてもらうって返事してくれるか? 手間掛けさせてごめんの。……あ、なんか手土産買うとかんと失礼やな……千早、どっかお菓子屋さんとか知らんか?」 千早は再度メールを送ると、新に向かって苦笑する。 「かなちゃんち行く途中でお店あるから。大体まだ五時過ぎたばっかりだよ?」 その猪突猛進な性格をよく知っているだけに、逆に千早から窘められるのはかなり珍しい事なのだが、確かに少々慌てすぎたと新はベンチに深く座り直した。 「ん……ほやの。ちょっと浮き足だってもた。……さっきの話とかから考えると、千早の代の瑞沢ってかるたのスタイルが誰も被ってえんのやの。太一と千早もそれぞれ違うかるたやし、西田くんは流れ読むの凄いし。ほんで、えーと……大江さんやったっけ、は……意味重視。あと一人……ごめん、名前分からんけど」 頭を掻いて新は詫びる。よくよく考えたら瑞沢の部員とは試合場で何度か会っているのに名前をちゃんと聞いた事がなかった。 「机くん? ……じゃなかった、駒野くんはデータ集めたり分析したりがホント凄いんだよ。机くんが書いたノート、部室にこーんなに積んであるんだよ」 そう言いながら千早は両手でノートが積まれた高さを示す。大学ノートなら軽く数十冊分はありそうな感じだった。 「凄いんやのぉ……ほやけど、机くん? ……って渾名なんか?」 千早のプレースタイルは白波会で教わった攻めがるただが、そんな所まで師匠に似なくてもいいだろうにと新はつい思ってしまう。 「あー、また言っちゃった? ……直そうとはしてるんだけど、つい……」 「直そうとしてるだけ、原田先生よりマシな気はするけど。……おれと太一、未だに『メガネくん』『まつげくん』て呼ばれるまんまやし。おれのメガネはまだ分かるけど、太一のは凄すぎるやろ」 隣で千早が可笑しそうに笑うのを見ながら、新は原田が自分達を未だに渾名呼びする事をもう少し掘り下げて考えた。自分の渾名も太一のそれも、白波会を訪れた小学校の時に付けられたものだ。つまり原田にとって自分達はまだまだ子供同然と思われていると言えないだろうか。 (……決定戦の時、千早が言うてた通りや。おれらにとって原田先生はどこまで行っても先生なんや。……おれがおれのままで先生に勝つまで、きっと) 自分が自分のまま勝つために武器を増やす事。今日こうして話を聞きに行くのもその一つだ。そう思った瞬間、血液が全身をくまなく駆けめぐるような感覚が身体の中に沸いてくる。 「……そろそろ行こうか、新」 はっとして前を見ると千早はすでにベンチから立ち上がって新を待っている。 「あ、そうやな」 ベンチから立ち上がった新は力強く最初の一歩を踏み出した。 |