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「のお、千早」 取り札の箱をカラーボックスから取り出して新は口を開いた。 「前にちょっと聞いたんやけど……千早、挑戦者決定戦の前に、周防さんの配置で取ったんやって?」 「えっ? ……うん。原田先生の練習用にね」 けろりと答える千早を見て、新は嘆息するしかない。あの名人の強さは「一字決まりが二十七枚」と言うほどの常人離れした「感じ」の良さだ。配置は真似できても、名人と同じように取れるかどうかは別の問題なのに、千早はその事を全く意識していないように見える。 「……おれとも、その配置で取ってもらえんやろか」 「今? ……いいけど」 何故か千早はきょろきょろと新の部屋の中を見回した。 「あ、何か都合悪いんやったら今度でも構わんけど……」 「都合は悪くないよ? ……ねえ新、和菓子どっかにない?」 「……え、和菓子?」 確かに名人の和菓子配りは名物として知られているが、新が知りたいのは周防名人の取り方だ。呆気に取られる新を尻目に、千早はこれでいいや、と鞄の中から和菓子に見立てた消しゴムを手のひらに乗せて、いきなり半眼になる。 「……きみ、A級のひと?」 とても千早の喉から出たとは思えない小さな声でそう言いながら消しゴムを乗せた手を差し出してくる。訳が分からないまま新が頷くと、千早は「はい」、と和菓子のつもりの消しゴムを新の手の上に乗せた。 「ち、千早……そこも真似なあかんのか?」 そう聞くと千早はいつもの表情に戻る。 「えー? でもでも、太一も新の配置で取ったけど『かるたしよっさ』って言ってきたんだよ?」 「……太一が? 喋ったんか、福井弁で? ……意外やなあ」 (ほやけど、楽しそうや。おれも見たかったなあ、そのなりきり戦……) うち一人が自分の物真似をしていると分かっていても、素直にその対戦を見てみたいと思うのも不思議な気分だが、きっとその場に居ても楽しかっただろうと思えてしまう。 「あー、えっと、ほんなら『名人』、よろしくお願いします」 一礼して札を並べ始める。千早は再び半眼になり、新の正面に腰を下ろして手札を開き始めた。 (……配置が違うのは当たり前やけど……なんや、千早のこの雰囲気……) なり切っているだけと分かっていても、ほとんど変わる事のない表情からは心理や狙いが読みづらく、目の前に居るのが千早だという事さえ信じられなくなってくる。 手持ちのCDデッキが一首目を読み始めるが、一音目が形作られるより早く千早の──周防名人の指が札を押さえている。千早の「音への感応」の良さを知っている新でさえ、今の速さに驚きを隠せずにいた。 (あかん、物真似やからってナメて掛かれん……名人を真似た千早がこの速さやって事は、それが自分の本来のかるたやったら、もっと迷わんと動けるって事やぞ……) 新の目が見る間に鋭く変わる。神経を集中させ、「同じくらいの感じを手に入れるのは難しくとも、相手より早く取る方法ならいくらでもある」という祖父の教えを心に留める。デッキのスピーカーから聞こえる「一音目の前」、それを捕まえて逃さない事。それだけを考える。 「───」 微かな音の揺らぎを感じ取った瞬間、新の右手は素早く動き敵陣二カ所の札を払いに行く。だがそれでも二枚目の札に指が掛かったのは同時だった。「周防久志」は眉一つ動かさず、無言で当たり札を脇に積んでいる。 (渡っても間に合わんのやったら……) 再びデッキから最初の音の「その前」が微かな空気の振動となって伝わる。 (S音……どっちや?!) 歯擦音に続く抑揚に大きな変化がない。『す』だ、と新は驚異的なスピードで札を払う。今度は千早の指の下に新の指が滑り込んだ。 (届いたけど……ギリギリや。もっと磨かな……) イメージをいくら積み重ねても、実際に身体を動かさなければ自分がそのイメージをちゃんと再現出来ているかどうかは分からない。千早は理屈抜きでそれを実行出来ているように新には感じられた。つまり札を抜かれたというのは、自分と千早で「イメージの具現化」に差があったという事だ。この対戦から、自分に対する課題が一つ一つ明確に見えてきた。それを詳らかにしたのは、千早の「感じ」と反射速度───才能があったればこそだ、と新は実感する。 (千早がかるたを好きで、強いって事が……こんな嬉しい事なんやって……改めて分かったような気するわ……) いつの間にか新の口元には微笑みが浮かんでいた。 「……新?」 訝しんだのか、デッキを止めて千早は首を傾げて新の顔を覗き込んでくる。 「……な、なんや千早? おれの顔に何かついてるんか?」 「そうじゃなくて……新、笑ってるから」 指摘されて初めて、自分が笑っていた事に気付く。新は片手で口元を押さえて表情をどうにか戻した。 「いや……今こうやって取ってもろて、自分に足りんもんがよう分かったんや。ほやけど千早……人のスタイルでほんだけ早よ取れるって、普通出来んざ。……ほんとに、凄いな」 新の賛辞が面映ゆかったのか、千早は困ったように指先で頬を少し掻く。 「や、ほら私はさ? ……早いしか取り柄ないし。新みたいな取りって出来ないし」 「……ほんな簡単に真似られたら、おれかってショックや」 何しろ物心ついて以来祖父に教え込まれ、自らも一心に磨いてきた新だけのスタイルだ。いくら千早にでも、そう簡単に真似られてたまるかという思いはある。 (ああ、そうかあ……おれ、千早とかるたしたいけど、一番負けたくないのもやっぱり千早なんや。他のもんに真似されてもあんま気にならんし、ほんな簡単に真似出来るとも思ってえんけど……) 「───千早」 居ずまいを正して新が呼びかけてきた。 「なに、新?」 千早もきちんと正座し直して新と向き合った。静かな緊張感が二人の間に流れていく。 「おれ、公式戦で千早と当たったら全力で勝ちに行くで。……おれの持ってるもん全部で勝負する。……覚悟、しといてな」 新の鋭い視線を千早は真正面から受け止め、それから勝ち気な瞳に闘志を漲らせたまま、挑むような笑みを浮かべた。 「今更覚悟なんか、する必要ないよ。……私だってずっと同じ事思ってたし。私にかるたの楽しさを教えてくれたのは新だから、そんな新に私が返せるものがあるとしたら、全力で自分のかるたで戦って……そして、勝つ事だと思うの」 これだから千早とかるたを取るのは心が躍るのだ。新の視線がふっと柔らかくなる。 「……面白なりそうやの、大学のかるた部」 「うん。……頑張ろうね、新」 |