逢ひみての 2
|
千早にお茶を勧め、自分も喉を潤す。……ふと、千早の右手が視界に入った。 「それか? 前に手術したの」 千早の右手人差し指にうっすら残る傷跡を指して新は尋ねた。 「そう。あ、そっか。手術してすぐは電話だったし、吉野会大会じゃ詳しい事話す暇なかったもんね」 ほらここ、と千早は右手の甲を上にして、新の近くに差し出した。 「もう今は、何ともないんやったら良かった……」 内軟骨腫という聞き慣れない病名だった事は入院中の千早から電話で聞いてはいたが、判明するきっかけとなった高校選手権の団体戦決勝を、千早は痛みを隠して勝ち切った。 (すごいな。富士崎は強豪やのに。怪我しても諦めんと取り切って……。次の日の個人戦まで左手で頑張って……) その気持ちが、新の背中を押した。 「……おれ、千早に頼みがあるんや」 居ずまいを正し、新が口を開いた。 「え? 何?」 新につられ、千早も背筋をぴんと伸ばして目を見開く。 「おれと、かるた取って欲しいんや。……おれの部屋で」 「……新……?」 目の前に座る新の表情に、どこか思い詰めたような物を感じて千早は首を傾げた。かるたを取ろうと言えば千早が断る筈がない事ぐらい、新もよく知っている筈なのだ。それなのに何故わざわざ願い出てきたのか、それが分からなかった。 「新。私、新となら、いつでも取るよ。……でも、何で? 何で新、そんな顔してるの? 詩暢ちゃんみたいな強い人相手でも笑ってかるた取れる新が、何で?」 高校選手権の個人戦決勝。現クイーンである若宮詩暢との対戦でさえ、新は試合中でも笑みを浮かべられる程のメンタルの強さを見せていた。それなのに今の新の表情はまるで、自分が詩暢と対戦した時のような余裕のないものに思える。 「……」 千早の言葉に新が少し目を伏せる。だが思い直したように再び千早と視線を合わせてきた。 「千早が入院してた時、おれ、電話で話したやろ。……『試合する時はあの部屋に戻る』んやって」 「うん」 それを聞いた時、千早の目の前にも同じ光景が見えたのをよく覚えている。 そこで一度言葉を切って、新は試合中に気合いを入れる時のように、拳で胸をどんと叩いた。 「……吉野会大会で千早と太一が決勝で戦ってるのを見た時、おれ……思っつんた(思ってしまった)んや。『なんで千早と戦ってんのがおれでない?』って。……その時から、試合前にあの部屋を思い浮かべても、おれが座ってなアカン場所に太一が居て、おれは二人の試合を見てるだけになっつんたんや。ほやで今日、おれが千早に試合してくれって頼むのは、完璧おれのワガママや。自分が強くなりたいってだけの身勝手な頼みなんや。……ほやけど、それを頼みたい相手は、やっぱ千早しかえん(いない)のや」 一息にそこまで言って、新は口を噤んだ。居間の掛け時計の音だけがカチコチと聞こえてくる。 「新、やろう! かるた、やろう!」 新がはっと顔を上げると、千早のきらきらした大きな瞳が新の顔に真っ直ぐ向けられていた。 「ワガママって言うなら私もだよ! ずっとずっと思ってた。新とまた、かるたがしたいって。全力でぶつかっていきたいって! だから勝手なお願いなんかじゃないんだよ!」 「……うん」 新が短く答えるや否や、千早はすっくと立ち上がった。 「じゃあ、始めよう! 私どこで着替えればいい?」 「え、あ……と、ほんならここか隣の仏間使って。おれ部屋で着替えたら呼ぶし」 廊下に続く襖に手を掛けたところで新は振り返った。 「千早、ありがとう」 新の足音が遠ざかる。それを聞きながら千早はお気に入りのダディベアTシャツに着替え、長い髪をポニーテールに纏めた。 (新……新とまた、かるたが取れる。全力で……やる) 自室の襖を閉め、新はふうっと長い息を吐いた。千早の真っ直ぐさは、胸の裡でモヤモヤしていたものを消し去ってくれる。そんな千早に返すものがあるとすれば、自分に出来る最高のかるたしかない。 「……とにかく着替えんと……」 引き出しから南雲会のTシャツとジャージを取り出して着替える。畳んで仕舞おうと脱いだジーンズを手にした時、ポケットから薄い包みが少し顔を出している事に気がついた。 「あ、しもた……忘れてた! ……と、とにかくコレどっかに隠さんと……どこ入れとこう……」 きょろきょろと部屋の中を見回す。ポケットにそのまま隠しておいて、母親が洗濯物を片付けて見つけられても困る。とは言え、気の利いた隠し場所も思いつかない。 「千早待ってるし……しゃあない」 かるたを取る間だけでも凌げれば、次のバイトの日に突き返す事も出来るだろうと、新は自分のベッドの敷き布団の下に店長から押しつけられた避妊具を滑り込ませ、念入りにシーツの皺を直して痕跡を隠し終えた。たったそれだけの事で何か大仕事を終えたような気分になり、新はふうっと大きく息を吐き出して頭を切り換える。 棚から札を出し、百人一首の朗読CDとデッキを床に置く。練習場とは違う狭い場所と、読手代わりのデッキ。千早と初めてかるたを取ったあの日と似ているな、と新はふっと笑い、笑えた自分に少し驚いた。 「千早ぁー、上がってきてー」 階段の上から呼ぶと、待ち構えていたのだろうか千早はもの凄いスピードで階段を駆け上がってきた。 「足速いなぁ、千早」 そう言えば中学時代は陸上部に居たんだったな、と新は千早がくれた手紙の内容を思い出す。 「だってだって! 早く新とかるたしたいもん!」 このまま部屋の入口で立ったまま話していたら、新を引きずってでもかるたを始めそうな勢いで千早は答える。 (別に、おれ逃げたりせんのに) 言おうかと思ったが、新はその一言を飲み込んだ。 「……ほやな」 |