降れる白雪 2
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「えっと、ごめん。おれ、布団一組しか持ってえんで……、今日の晩って、おれと一緒んなってまうけど……勘弁しての」 「えっ? ……えと、……うん」 向かい合って真っ赤になっていると、浴室の水音が変化したのが耳に届いた。 「あ、風呂の湯一杯んなった。止めてこよ」 新はそそくさと立ち上がって浴室の蛇口を閉めに行く。 「千早、先入りね。……これパジャマの代わりと、バスタオル」 「あ、う、うん……じゃ、じゃあ……お先、いただきます」 まだ顔を赤らめたままの千早がぱたぱたと浴室に向かうと、新の口から長々と息が吐き出される。 「はー……なんか落ち着かん。……素振りでもしよ」 本棚の隅から札を取り出して手早く床に並べると、新は裸足になってその前に腰を下ろし、配置をざっと眺めてから構えた。 「よし、やるかの」 一枚目を払い、手の平が畳を打つ。その音を聞いていると上擦っていた気分がすっと静まるのが自分でも分かった。 和室と台所や浴室を隔てている襖が静かに開き、まだ濡れている髪をバスタオルで巻いた千早が遠慮がちに部屋へ戻ってきた。 「お風呂、お先いただきました」 新の素振りが一段落付いた所でようやく口を開く。 「……え、あ。素振り終わるの待っててくれたんか。ありがとの」 額の汗を手の甲で拭い、新は礼を口にした。 「暑う……おれも、風呂入ってこよ」 「あ、新。その札私も借りていい?」 「うん、構わんざ」 新は鷹揚に頷き、衣装ケースから着替えとバスタオルを取り出して風呂場に向かった。 「……あれ? 札貸せって、千早……今から素振りするんか? ……風呂入った後やのに」 もしもそうなら練習も手を抜かない千早の事だ、また汗を掻くに違いない。 「湯、落とさん方が良さそうやな」 独りごちて新は湯船に身体を沈めた。 「……雪かぁ。福井も積もったんかの。去年まではおれ雪かきしてたけど、父ちゃんら大丈夫なんやろか」 風呂から出たら一度電話してみようか、と新は考える。もっとも両親も長年暮らしている土地だから、雪で身動きが取れない事はないだろうが。 (帰りたいとか、そういうんとはちょっと違うけど……やっぱ雪降ると福井の事考えてまうな) 東京に出て来てまだ一年にも満たないというのに、自分の中で福井の光景が既に「懐かしい」ものに変わってきているという事に初めて気付いた気がする。 「って、のぼせてまうわ、ほんな事考えとったら」 湯船から出て手早く身体を洗い、風呂から上がる。 和室に続く襖を開けると、中から暖かい空気が流れ出てふわりと新の顔を撫でた。耳の良い千早は新の足音を聞き取っていたのだろう、新が襖を開けた時にはもう、手元の札から顔を上げて部屋に入ってくるのを待っていた。 「あ、新。……さっき携帯にメール来てさ、明日午前中休講だって。新のとこもかな?」 千早とは学部が違うため、新も床に置いた鞄から自分の携帯を出してきてチェックする。 「……こっちもやわ。明日電車動いてるといいけどの。休講はともかく、千早が帰られんやろ」 携帯を出したついでに天気予報を見てみるが、まだ何とも言えない感じらしい。 「まあ今考えてもしゃあないか。……布団暖めとこ」 新は押し入れから畳んだ布団を出してきた。 「冬場の布団って冷たくって、眠気一瞬飛んじゃうよね」 千早の言葉に「分かる」と新も小さく笑う。 穏やかな笑いが収まると、今度は一転してぎこちない沈黙が二人の上に落ちてきた。 (……この状況、なんか……どうしていいか分からんくなるな。……変な意味に取られんといいんやけど……って、何考えてるんや、おれ) 決して広くない和室に二人きりで、しかも客用の布団など用意がないから仕方がないとは言え、今夜一晩、千早と同じ布団で眠るのだ。意識するなという方が無理な注文かも知れなかった。 「……くしゅんっ!」 居心地の悪い沈黙を破ったのは、千早の小さなくしゃみだった。 「湯冷めしたんでないんか? ちょお待って」 新は手早く布団を広げ、掛け布団を半分めくり上げた。 「もう寝とこ。風邪引くとあかんし」 そう言って暖房をオフにすると、千早に布団に入るよう促した。 「う、うん」 流石に千早も素直に従い、畳の上を膝で這って布団の上に乗る。 「……千早、電気どうする? 全部消してもて大丈夫か?」 新は天井から下がっている蛍光灯の紐を手に持って尋ねた。 「あ、消していいよ」 千早が答えた途端、部屋の中が真っ暗になった。音と気配で新が隣に移動してきたのが分かる。耳慣れない軽く澄んだ音は、新が眼鏡を外した音だろうか。 「千早、ほら中入んねって」 「え、あ、うん」 そろそろと身体を横たえると、新が掛け布団を首元まで引き上げてくれた。布団の暖かみより、隣にいる新から伝わる体温が心地良い。 「……寒くないか?」 「平気だよ。新、あったかいし」 隣で新が身じろいだ気配がした。 「またそういう、返しに困る事言うし……千早は……」 溜め息混じりの声が呟くと、千早の身体が抱き寄せられた。 ◇ ◇ ◇ _ 「……外、凄く静かだね……」 新の腕の中で、千早が呟く。 「雪の夜やしの……いつか、千早にも見せたいけどの、福井の冬景色」 どことなく懐かしそうな声音で新が言葉を返してきた。 「うん。私も知りたい。新が育った所。新が……見てたもの」 「……ほやの。いつんなるか分からんけど、連れてく」 答えながら新は千早を抱く腕に力を込める。 「新の、心臓の音……聞こえる。……すごく、安心……できて……」 言い終わるより先に規則的な寝息が新の耳に届く。 「……おやすみ」 千早の額にそっと口付けて、新も目を閉じた。 ◇ ◇ ◇ 「……ん……」 朝の光がカーテンの隙間から差し込み、新は重い目蓋を持ち上げる。かなり深く寝入っていたのかと思いながら、片手を伸ばして枕元の眼鏡を探った。 「ふわぁ、よう寝た……」 いつも通りに眼鏡を掛けて身体を起こそうとした新の動作が固まる。 「あ、おはよ。新」 すぐ隣からとうに目覚めていたらしい、すっきりした声が新の名を呼ぶ。ようやくそれで昨日の雪で電車が動かず、千早を部屋に泊めたのだと思い出した。 「……お、おはよ。もう起きてたんか千早」 「ついさっきだけど。……せっかくだし、新の寝顔見てた」 「おれの寝顔なんか見たかって面白ないやろに……」 ぶつぶつと文句を言いながら腕時計を嵌めて時間を確かめる。いつもの起床時間よりむしろ少し早いぐらいの時刻だった。 (千早が横に居って、布団も暖かかったでいつもより良う寝た感じするんかな……って言うか、千早泊めた事まで一瞬忘れる位寝てるって、どんなんや……) 「千早、いつもこんな早よ起きるんか?」 「そうでもないかな。試合の日とか、合宿とか行く時は早く起きるけど。新は?」 つまり何か特別な理由があって早起きするのは困らないという事らしい。そう言えば昔も、新聞が届くのを朝早く起きて待っていたと新は懐かしい記憶を甦らせた。 「おれは……あ、目覚まし鳴った。……つまりこの時間や」 出しゃばりな腕時計に苦笑しながら、新はアラームを止めて布団から出る。 「……さてと、朝飯作らな」 今日は二人とも午前中が休講だから、そう慌てる事もない。新は冷蔵庫の中身を確かめて居間に向かって呼び掛けた。 「千早ぁ、目玉焼き何個いけそうやー?」 |