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降れる白雪 



 「うわあ、雪だ!」
 講義を終えてかるた部の練習に向かおうと建物を出たところで千早が空を仰いだ。新が同じように空を見上げると、低くたれ込めた灰色の雲から牡丹雪が渦を巻くように降っていた。
「……これ、積もりそうやな……」
 新は冬空を見上げて呟いた。東京の大学に出てきて半年ちょっと。こちらでこんな空模様を見るとは思わなかったが、福井で生まれ育った経験からこの雪は積もりそうだと何となく分かる。
「新、分かるの?」
「福井は冬やと毎年こんな天気ばっかやし。……まあおれんちの辺りは県内でも雪少ない方やけど」
 もっとも東京育ちの千早とでは「雪が多いか少ないか」の基準がかなり違う。降雪量が少ない方と言っても一冬で数十センチから一メートル以上は大体毎年積もっている筈だ。そう話すと千早は大きな目をますます見開かせて驚いた。

 「千早、気ぃ付けて歩きねや。慣れてえんと転ぶし」
「うん。……けどほら昔さ、新と太一とで遊んだ事あったじゃん。あの時何ともなかったよ?」
 千早が言うのは小学生の頃東京に珍しく雪が降った時の事だ。あの時千早が履いていたのは溝がしっかりついているスニーカーだったが、今日は姉のお下がりだという少しヒール高があるブーツだ。雪道でのリスクがまるで違うと新は答えた。
「ほやけど懐かしいの」
 足元の雪を少し掬うと、新は百人一首の一句目を口にしながらその雪を千早の足元にぽんと投げた。千早も笑って新が口にした一首の下の句を答えながら、指先で掬い上げた雪を新の方に軽く放る。
「まあ思い出話は後でも出来るけど、練習遅れるとまずいし、行こ?」
「あ、うん」
 二人は笑いながら雪の中を急ぎ足で練習場へ向かった。

 「うっわあ……」
 練習を終え外に出た千早の口から感嘆の声が漏れる。新が言った通り、昼頃から降り出した雪は既に十センチ以上積もり、見慣れたメインストリートが真っ白に塗り替えられている。
「……千早、電車大丈夫なんか」
「あ、どうだろ……駅行ってみないと分かんない」
 毎年雪が降る福井で育った新には逆に驚きの対象なのが、東京ではほんの十センチ程度の積雪でも電車やバスが運休になる事だった。
「動いてるうちに帰らんとえらい事やな」
 二人は連れ立って駅へと歩き始めた。途中、何人もの人がバランスを崩してガードレールにしがみついたりしている姿があった。
「新は全然何ともないね」
 運動神経のいい千早でさえ、時々靴が横滑りしたりしているのに、新はそれすらもなく、平然と普段通り歩けている。
「……まあ、慣れてるしの」
 小さく笑って新は答えた。

 「あー……電車止まっちゃってる!」
 やはり千早の乗る路線は既に全面運休のアナウンスがなされていた。
「うわ、ほんとや。……歩ける距離でもないし、困ったの……」
 駅の構内は運休が解除になるまでここで待つ覚悟を決めた人達でごった返している。こんな所に千早を置いて帰る訳にもいかない。
「しゃあないな。……千早、うち泊まるか? ……家の人がいいって言うたらやけど」
「新のとこに? ……えっと、うん……聞いてみるね」
(あかんって言われたら、ファミレスかどっかで一緒に夜明かし、やな。駅よりマシやろし……)
 千早は携帯を取り出して母に掛ける。何とか帰って来れないのかという母の言葉はもっともだが、帰るための手段が全て運休ではどうにもならない。千恵子はついに折れ、新に迷惑を掛けないようにと言って電話を切った。
「オッケー出たよ、新」
「ほんならちょっと買い物してから帰ろさ」
「うん。……晩ご飯、何にするの?」
「まだ決めてえんけど、身体あったまる物の方がいいやろ?」
 そんな事を言いながら二人は新のアパート近くのスーパーに立ち寄った。

 ぐるりと食品売り場を眺め、棚に水炊き用の材料セットがあるのを見つけ、もう少しボリュームが欲しいから、と鶏肉や魚の切り身も一緒にカゴに入れる。
「野菜は白菜送ってきてたのがまだあるし、米もあるし大丈夫やな。……ああ歯ブラシ買わんとあかんか」
「……買い換え?」
「いや千早の分。ないと明日の朝困るやろ」
「あ……」
(な、なんか……ドキドキしてきた……そっか、明日の朝まで、一緒なんだ……あ、新の部屋で……)
 何となく合宿のような感覚でいたが、歯ブラシの話で「恋人の部屋に泊まる」という実感が急に沸き、高鳴った鼓動を新に気取られやしないかと気にし始める。
「千早、いつもどれ使こてるんや? 同じやつの方がいいやろ」
「え? あ、べ、別にどれでも……えっと、じゃあ……これ」
 油が切れたような固い動作で手を伸ばし、目に付いた歯ブラシを一本カゴに入れた。
「……どしたんや? 何か急に変やざ、千早。……なんか気になる事でもあるんか?」
 千早の返答が急にぎくしゃくした事を訝しんだ新が尋ねてきた。
「いやっ、あの、えっと……。あ、新のとこ泊まるって思ったら、何かドキドキしてきちゃった……から……」
「……あ、ほ、ほうなんか……変な事聞いて、ごめん」
(ヤバ……おれの方まで何か変に意識しそうや……雪で電車動かんで泊めるんや、大雪やでや。要らん事考えたらあかん)
 新は頭の中で必死にその言葉を繰り返す。自分の耳が赤くなるのを千早に見つからないかと気になってしまった。

 「レジ行こ。新聞も要るし」
 新はそそくさとレジの列に向かい、千早は慌てて後を追い掛けた。
「あれ、新聞って取ってたっけ?」
「……読むんでのうて、靴の水気取り。千早のブーツ、そんなに防水効いてえんみたいやし。部屋戻ったら乾かさんとあかんやろ? ……流石に靴はおれの貸すって無理やしな」
 古新聞で十分なのだが、手元にない時はとことんない物だ。この雪では古紙回収用に束ねてある物も濡れてしまっているだろうから、コンビニかどこかで一部買うしかない。
「新、あれじゃダメかな」
 千早が指さしたのは無料配布している求人誌やタウン誌の棚だった。新は一部手に取ってみて、中の紙がどんなものかを確かめた。
「……うん、これでいいわ。ありがと、千早」
 これでまっすぐ帰る事が出来る。新はフリーマガジンを二、三冊レジ袋の中に押し込んでスーパーを出た。

 「気温下がるし、まだしばらく降るやろな。……上がんね」
「うん、お邪魔しまーす。……爪先冷たいー」
 千早が履いていたブーツはやはり爪先の方から水が染みてきている。新はレジ袋からフリーマガジンを取り出し、水を吸いやすいページを破り取ると適当に丸めて靴の中へ押し込む。残ったページは靴を置くために使おうと、暖房から少し離れた所に敷いてブーツをその上に乗せた。
「さて飯作るか。……まあ鍋やし材料切るだけやけど。千早、壁に立ててあるテーブル出しといてー」
「はぁいっ。あ、布巾これ使えばいい?」
 新の手から布巾を受け取り、千早は和室に折り畳みのテーブルを出して天板を拭く。その間に新は鍋セットのパックを皿に移し、追加で買った肉や、福井の実家から送られていた白菜を適当に切り分けた。
「よ……っと」
 天袋から土鍋とカセット式コンロを取り出す。越してくる前、荷物になるし多分使わないと言った新に、両親が念のため持って行けと引っ越し荷物に追加した物だったが、こうして見ると親の考えの方が当たっていたと言うしかない。新は土鍋に具材に付いていた出汁を注いでテーブルへ持って行った。
「要るもん、こっち持って来るで火付けといてくれるか?」
「うん」

 千早にコンロを任せて新は具材や炊飯器、食器を何度かに分けて和室へ運び入れる。全部が和室に収まった頃、土鍋の中からふつふつと音が聞こえ始めた。蓋を開けて肉や貝、飾り切りが施されている人参などをまず土鍋に入れる。
「さてと。ほんなら食べよっか。……千早、ご飯どの位よそったらいいんや?」
「あ、そんなの私やるよ。お邪魔させてもらってるんだし」
 千早は新の手からシャモジを奪い取り、新の茶碗に白飯を盛る。
「はい、新」
「ありがとう、いただきます」
 まるで小学校の給食のように声を揃えて「いただきます」と言って、二人の夕食が始まる。
「あったかいよね。こういうご飯。終わった後で雑炊にするのも好きだけど」
「人多いんなら雑炊もいいんやけど、二人やと流石に余ってまうかの。……明日の朝飯にしてもいいけど」
 少しだけくすぐったいようなお喋りを交わしながらの夕食が進んでいった。

 「ご馳走さまでした! ……ふう、お腹一杯ー」
「お粗末様でした。……千早も結構、しっかり食べる方やの」
「え、そんなに量食べてた?!」
「……違うって。まあ美味そうに食うなあ、とは思ったけど」
 台所の流しに鍋や食器を下げる間も話は尽きない。洗い物を手早く済ませると、新は風呂の用意をしに浴室へ移動する。
「千早のお父さんとかお姉ちゃん、帰れたんやろか」
 和室に戻り、新はふと気になって聞いてみた。
「お父さんは大丈夫。会社から運休になる前に帰るよう指示あったって。お姉ちゃんは事務所の人がホテル取ってくれたらしいから、そこ泊まるみたい」
「へー……そういうの聞くと、やっぱ芸能人なんやって思うのぉ。何か凄いな」
 答えながら新は押し入れの衣装ケースを開けて、千早がパジャマ代わりに着られそうなスウェットスーツを出す。その隣に畳んで仕舞ってある自分の布団が目に入り、今更のように思い出した。
(あー……ほやった。おれお客さん用の布団なんか持ってえんがし。……前に千早が熱出した時、普通におれの布団使わせてたで、コロッと忘れとった……)
 とは言え他に代わりになるような物も持っていない。新は一度押し入れを閉め、千早の側に膝を付いた。




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written by Hiiro Makishima