ずっと笑っていて 9
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「……う、ん……」 腕の中で千早が身じろいだ。 「目、覚めた?」 この病室に入った時と同じ問いを新は口に上らせる。 「……まだ、ちょっと……ぼーっと、してる……」 「無理に起きんでいいざ。……千早のパジャマとか、あるんかな、ここ」 「わかんない……」 少し幼い口調で答えてきた。 「……しばらく、身体離してても平気? さっき脱いだもん拾ってくるで」 「ちょっと、だけだよ……」 甘える千早に同じ言葉を返し、新は床から千早の病院着と自分の服を拾い上げる。着せるのが少し勿体ないが、後の事を考えたら着せない訳にもいかない。 「お待たせ。……もうじき、ご飯とかやろ? 着せとくでの」 新は手早く自分の服を身に着け、千早の病院着をざっと着せた。 「……えっとな、千早。家の人に、千早が不安に思ってる事だけ、話さなあかんのや。おれが控室行くか、入ってもらうかするけど、大丈夫か?」 千早はしばらく考えて口を開く。 「入ってきてもらう。でも……」 「でも?」 「話の間、新に手を繋いでてほしい……」 新はふっと笑んで千早の髪をくしゃりと撫でた。 「……お安いご用や」 それから病室の内鍵を外し、控室で待っていた千早の家族を病室へ入ってもらう。何しろ病院最上階にある特別室だ。ちょっとしたキッチンに応接セット、さっき太一にノートパソコンを持ってきてもらったが、有線LANまで備わっている。そのソファを勧めると、千早の両親は不安げに身体を沈めた。 「新……手」 千早が片手を差し出し、新はその手を優しく包む。それから千早ごと、その向かいに腰を下ろした。 「行儀悪い格好で申し訳ありません。……ええと、千早の着替え……パジャマとかってありますか。着慣れてるもんの方が落ち着けるんでないかって思いますし」 それは持っていると千早の母が赤い目をしたまま答えてくれる。 「……それで、本題なんですけど。さっきちょっと話聞かせてくれた中で、いくつか千早が不安……ていうか、怖いって思ってる事があるって言ってたんです。……その、ええと……その、事、とは……別で。いや全く別って事でもないんですけど……」 苦しすぎる単語を避けようとすると、上手く言葉にならない。けれど「輪姦」などという単語は決して使いたくない。 「言いたい事は……分かるから、大丈夫よ……」 千恵子が力なく言った。 「すみません。……千早が気にしてる一つ目は、裁判で証言する事、やそうです。男のおれが聞いても、何でやって思うんですけど……事細かに話さなあかんのが辛い、って」 「……」 千早の両親は辛そうに顔を顰めるが、新は話を続ける。 「……それ聞いてさっきちょっと調べ物したら、警察が事情聞くのも、裁判所でも、ちゃんと配慮してくれるって事でした」 事情聴取は警察署でなく、家族や弁護士など誰かに付き添ってもらって自宅ででも構わない。頼めば普通の車で来てくれる。裁判でもビデオリンク方式といって、加害者と一切顔を合わせる必要がなく、不安なら付き添いも認められる、と新は簡潔に話した。 「新、それ……ほんとなの? 私、人前で言わなくて、いいの? 新に付き添ってもらっても、いいの?」 現実の距離はともかく、新はその問いに一つ一つ頷き返した。 「おれ、これが一番腹立つんですけど、連中口止め用に、千早の……写真を……」 千早と繋いでいない方の手がきつく握り込まれた。あのケダモノどもが画像を流す時にどういう文言を付けるか、千早が苦しそうに話してくれていたが、新はそれを伏せた。 「……ほやから普通の車で、千早の家で、普通のお客さん装って来てもらうべきやって。それが旅行の記念写真みたいに何でもないような写真とかやったとしても、いっぺんネットに出たもんは……完全には、消せんもんなんです。……それ防ぐ手だては、たった一つしかありません。さっき言ったみたいに目立たんように警察に話して、連中を逮捕してまう事です。証拠としては使われるかも知れんのですけど、ネットに……」 その後に続く言葉を新は必死に飲み込んだ。「そっちの方がマシ」かも知れないが、傷付いた千早にとって、また両親にとってはどちらにしろ辛く苦しい事に変わりはない。 「……言い方悪くて申し訳ありません。千早が怖い、辛いって感じてるもう一つは……妊娠、やそうです」 弾かれたように千早の両親が新を見る。 「千早には、おれに全部押しつけていい、って言いました。おれら今、言ったら遠距離恋愛ですから。……久しぶりに顔見たおれががっついて、そうなった。そういう話にしろって。必要なら病院にも一緒に行きます」 「そんな。いくら表向きの理由って言っても、それじゃ綿谷くん一人が悪者じゃないの」 「そうです。おれを悪者にしてください」 新は言い切った。 「……千早、ごめんな。千早が最初におれ見た時の話、少し蒸し返してまうけど……平気か?」 「平気。今はもう、平気」 ありがとう、と繋いだ手に軽く力を込めて両親の顔を見た。 「……さっき、パニック起こして言っとったんです。汚れた私なんか見るな、って。ほやからおれが『悪者』なんです」 それと少し絡みますが、と新は言葉を継ぐ。 「おれはさっき、千早を抱きました」 千早の父がぎょっとして新の顔を見た。 「もっとはっきり言っても構いません。避妊はしましたが、千早とセックスしました。けどそれを謝るつもりは、ありません」 「どう……して」 「怖い、苦しいって記憶を持っていて欲しくないからです。千早は汚れてなんかない、千早のことを好きな男やったら、望まん事はせん、それを千早に分かってもらいたかったんです。抱いた事の責任を取れって仰るなら、おれは結婚って形で、喜んで取らせて頂きます」 言った後、千早がおずおずと口を開く。 「新は言ってくれた。私が泣くなら一緒に泣く。辛いなら半分背負う。……そしてもし……私が、あの男たちを許せないなら……」 俯いた千早の言葉を新が引き取る。 「許せんのやったら、おれが殺す。そう、言いました」 穏和な外見から飛び出した「殺す」という物騒な単語。千早の両親は絶句した。 「……気持ちは、同じだ。あれだけいつも表情がくるくる変わる娘が、呆然とした目で……」 「それは、もう仰らないでください。今の千早が浮かべてる表情を、その記憶に置き換えてください」 千早の父は娘の顔を見る。新の手をしっかり握り、全幅の信頼を寄せている落ち着いた表情。無理に言わんでいいよ、と新が告げた時の、小さな笑み。 「……お母さん、ここって完全看護なの?」 「え? そう、だったと思うけど……」 千早のいきなりさに千恵子は付いていけない。 「どしたんやし、急に」 「……今夜だけでも、新に付いてて欲しい。見たい訳じゃないけど、うなされたら起こして欲しい。ただの夢だよって、ぎゅってして欲しい」 千早の気持ちは分かるが、病院にそこまで無理を通していいものかと千恵子は少し困惑する。 ちょっと失礼します、と新は席を立って病室のドアから首だけ出して太一を呼んだ。控室から見えていたのだろう、太一はすぐにドアの前に来てくれた。 「何つー顔の出し方だよ」 呆れ返ったように言ってくれる。 「いいがし、ほんなもん。どうやった? 頼み事」 それだけで太一には通じるから、親父に付き添いの許可と付き添い用の食事も頼んでおいたぜ、とサラっと言ってくれる。新は一度、身体も廊下に出して太一と向き合った。 「本当に、どうもありがとう、太一。連絡くれた事も、色々手配してくれた事も」 教えてくれなかったら、千早の身に起きた事も知れないまま、態度が変わった事を問い糾し無思慮に傷つけたかも知れない。移動の手配をしてくれなかったら、災禍に見舞われた事を知っても電話を貰った時のように、遠くにいる事を嘆いたままだったかも知れない。それら全てに考えを巡らせてくれたおかげで、千早の傷をほんの少しだけでも軽く出来た。 「やーめろって! ったく大袈裟な……」 わざと怒って太一は電話を掛けに廊下の向こうに消える。その背中に新はもう一度「ありがとう」と呟いた。 |