Remorse 9
|
小学生に教えられた道を走って行くと、道の向こうからもこちらに走ってくる人影が見えた。背中まで伸びた髪と、すらりとした手足───東京で新と最初に友達になった、千早という少女だ。 (……新を心配して戻って来たんか? ……ほやけど、新はあんな項垂れてもてる! ……かるたの事、思い出させたらアカンかった!) 「こんなの置いてかんといて! 持って帰ってや!」 由宇は千早の胸元にかるた札を突きつける。千早が反射的に両手で受け止めようとしたが、バラバラになった札は足元の水溜まりに次々と落ちていった。 「……私、ずっと取り柄とか夢とか持ってなくて……」 どこか呆然とした顔で水溜まりに散らばる札を見たまま、千早がぽつりと口を開く。もしも新を傷つけるつもりじゃなかった、と言い訳めいた事を言ってくる気なら、そうやって昔を思い出させる事自体が新を追い込むと言うつもりだった由宇は気勢を削がれてしまった。 「だけど、新が言ったの。『日本で一番は世界で一番』って。私なんかでも世界一になれるものがあるんなら、なってみたいと思ったの」 しゃがみ込み、水溜まりから札を拾い上げながら、千早は言葉を継ぐ。その札の扱い方を見て、由宇は気付いた。 (……この子は本気でかるたが好きなんや。落ちた札を、こんな優しい拾い方……。前の新みたいな……) 何故、新はかるたをやめたのかと詰め寄る姿を見て、由宇はさらに確信を深める。 「……何があったの?! ねえっ!」 (新、あんた……、何でこの子にはちゃんと言わんかったんや、綿谷先生や新自身の事……。この子、分かってるがし。新がどんだけ本気でかるたを好きやったんか……。……私には、もう、黙っとく事出来ん……) 両目に涙を貯めて聞いてくる千早と相対しているうちに、由宇の両目からも涙がこぼれ出す。せめて、あの頃の新がどういう日々を送っていたのか、祖父との約束のために毎日どれだけ頑張っていたのか、そして本気だったからこそ今の新はかるたが出来ないと分かって欲しくて、由宇はぼろぼろ涙を流しながらこの三年間について話した。 「……ほやけど、新が留守番してる筈の日に、綿谷先生、発作起こして……一人で亡くなった。……新はそん時、……っ、……A級に上がるための試合に出てたんや……」 後はもう言葉にならない。由宇は両手で顔を覆い、うずくまって泣いた。 「千早、札おれ預かるから。……ええと、その、お隣さんにも無理に話させちまって……ごめん。おれ達、新のお祖父さんが倒れたって事までしか聞いてなかったから……」 それまで由宇と千早の話に口を挟まなかった太一が、初めて会話に加わった。 「いえ……。新も二人には話せんかったって言うてた事、あったんで……。誉めてもらいたい訳じゃねえ、愚痴零すんは恥や、って言って。でも多分、ほんとの事話したら二人が酷く心配するやろうって思ったんでないかって……今はほんな気してます」 太一はそんな大変な事情だったなら、簡単に話せなくても仕方ないと静かに答え、それから千早を立たせると由宇に軽く会釈を残して駅へと歩き出した。 ───柱時計の振り子の音がひどく耳につく。太一に突き飛ばされたまま蹲っていた姿勢を変えようとした時、居間の床の上に落ちている一通の封筒が新の目に留まった。 『私、新に手紙書いたの』 かるたの札を出してくる前、確か千早がそんな事を言っていた。一体何を書いて来たのかと、ようやく新は身体を起こして封筒を拾い上げ、フラップを開く。 「……わっ?」 妙に厚みのある封筒から、まんじゅうの包み紙がどっと溢れて床に散らばる。千早は一体何故こんなゴミまで同封したのかが不可解だが、折りたたまれた便箋が指先に触れ、新はまずそちらを開いて読み始めた。 「……っ?! ……おれが、何で……っ!」 便箋にしたためられた「かるたの神様」という一言。新にとってそれは祖父とイコールであり、その神様を死なせてしまった原因は自分にあるのだ。千早に「神様」と呼ばれていい筈がない、と新は激した感情のままその便箋を細かく破り捨てる。切れっ端がはらりと床に落ち、何気なくそれを目で追った新は、さっき雪崩落ちたまんじゅうの包み紙が何枚か裏返っていて、そこに千早の筆跡で何か書いてある事に初めて気付いた。 『新が携帯持ってたら、必ず番号ゲットする!』 拾い上げた一枚にはそう書かれ、重要! という部分を何度も丸で囲んで強調してあった。 「なんや、これ……メモ? ……何でこんなとこに……」 他の包み紙の裏にも、短い文章がつづられている。『今年の私の年賀状はちゃんと届いたか聞く。干支を間違えたやつ』『原田先生が、新の写メ送れって言ってた』『京都大会に出たら、新に会える?』ここへ来るまでの間、電車の中で思いつく限りを書き留めておいたのだろうか。新の脳裏に、メモに使うため饅頭を必死に頬張りながら、包み紙にあれこれと書き込んでいる千早の姿が鮮やかに浮かび上がった。 新は床に座り直して、その短いメモを一枚ずつ読み直してみる。 『新が携帯持ってたら、絶対番号ゲットする!』 (……おれ、携帯持ってえん。って言うかメールもほとんどせんしの……) 『原田先生が、新の写メ送れって言ってた』 (原田先生、お変わりないみたいや……なんか、安心するわ……) まるで千早がそこに居て、新と一問一答を繰り広げているような錯覚に包まれる。その瞬間、さっき破り捨ててしまった千早の手紙の「一番大事な部分」が何だったのか、新の心が理解した。 『私は新をかるたの神様みたいに思ってます。”会えなければ会えないほど”神様になってくみたいです』 けれど電車の中で書いたらしいメモには千早自身も新を神様ではなく友達として見ていたいという気持ちが溢れている。その短い文章の山が新の背中をとうとう押した。 (……神様じゃなくて、友達でいたい。……千早、太一……! せめて見送って、謝らんと……!) 新は自転車に飛び乗り、ペダルを限界まで踏み込んでスピードを上げ、駅までの道を疾走する。線路と併走している細い道に入るのに減速する事さえもどかしかった。「しらさぎ」はまだホームに入っていたが、ドアが閉まるという駅のアナウンスが新の耳に届いた。 「……あかん、電車出てまう! ……千早ぁっ、太一!」 ゆっくり動き出した電車を自転車に乗ったまま追い、新は必死に声を張り上げて大切な二人の名前を呼ぶ。中程の車両の窓ガラスに両手をべったり付けて外を伺う人影がちらりと見えた。 「───千早あっ!」 その背後にもう一人、やはり必死に目をこらしてこちらを見ている姿も分かる。電車は徐々にスピードが上がっていく。それに懸命に食らいつきながら新は呼び掛け続けた。 「太一ぃっ!」 『新ーっ!』 電車の中の二人も自分の名を呼んでいる。他人が聞いたら気のせいだと笑うかも知れないが、新には二人の声が確かに聞こえた。ついに自転車で追い掛けられない速度になった特急は見る見る小さくなっていく。それでも二人の姿が映った窓が完全に見えなくなるまで、新はペダルをこぎ続け、追い掛けた。 「……新」 目を赤く泣き腫らしたまま新が帰宅すると、由宇が玄関先に佇んでいた。由宇の目も同じくらい赤いように見えて、新はどうしたのかと問うた。 「ごめん。……札返しに行った時、私あの子に話してもたんや。こっち帰ってきてからの、新と綿谷先生の事。……勝手に、ごめん」 「いや……お前が謝る事でないし。前に由宇に言われた事あったな、愚痴零される分だけ由宇のがまだホントの友達や、って。……や、千早と太一がホントの友達でないって意味でのうて、……おれが臆病やっただけやけど。今日、それが良う分かった」 とりあえず家の中に入って話そう、と新は由宇に居間へ上がるよう促した。 「……何でこんな紙くずだらけで……」 床に散乱した紙切れを一枚つまみ上げると、平行に引かれた線といくつかの文字が表に書かれていて、元は便箋だと由宇にも見当が付いた。由宇が札を拾い集めた時はなかったのだから、便箋を破ったのは新だという事になる。 「……うん。由宇が思ってる通りや。手紙破いたの、おれなんや」 「聞かせてもらえるんやろ? 何でなんか。……まあ、先にお茶入れ直してくるわ」 勝手知ったる他人の家、と由宇は手つかずのまま冷めてしまった湯飲みを回収して台所へ向かう。その間に新は散らばった便箋の破片を出来るだけかき集め、元の形になるようジグソーパズルのようにコタツの上で並べていく。かなり歪ではあるが一応長方形らしき形にはなった。 「ごめん、待ったやろ」 由宇が入れ直したお茶を持って戻って来た。礼を述べて湯飲みを受け取ると、由宇も自分の前に一つを置き、新の向かいにそっと腰を下ろして話を聞く体勢に入った。 |