Remorse 8
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「はー、今日なんかバタバタしたなぁ……早よ帰ろ」 勝義書店でのバイトを終えた新はまだ新しい自転車に跨り、自宅に向かう。四月もそろそろ終わりだと、桜の花が教えてくれているようだ。ふわりと風が吹くたびに淡いピンク色の花びらが雪のように舞う。 (……ん?) 道の向こうから、普段見かけない男女二人がこちらに向かって歩いて来た。その服装だけでも地元の人間ではないと新にも分かる。 (旅行かの。観光にはちょっと時期ずれてるけど……って、おれとほんな年違わんのかの?) すれ違った時、二人の年格好は新自身とそう変わらないように見えて内心驚く。 (……まあ、人の事や。どうでもいいわの……) そう思い直してペダルをまた踏み込み出し、少しずつ自転車の速度を上げだした途端、着ているパーカーの背中を力一杯誰かに掴まれて、新はバランスを崩した。 「わあっ?!」 背中を掴んだ誰かや自転車ごと、桜並木の土手を滑り落ちる。田んぼまで突っ込まなかったのは幸いだった。 「……」 目を開けると、腕立て伏せのような体勢の新の下に、さっきすれ違った二人連れの、髪の長い少女が大きな目を新にまっすぐ向けて横たわっていた。急いで新は身体を起こす。 (うわ、凄い別嬪さんやけど……怪我とか、ないやろか……?) 多分この少女が自分の服をいきなり掴んできたのだろう。 (ほやけど、何でや? ……自転車でこの子の荷物とか、引っかけた覚えもないけど……) 「───大丈夫か、千早?!」 土手の上から聞こえた声に新は弾かれたように顔を上げ、声のした方を見る。連れの少年が土手を下りながら、横たわったままの少女に向かってもう一度「千早」とその名を呼んだ。 「……千早?」 すると上の道から下りてきたのは太一なのか。新はもう一度少女の顔を見る。記憶の中の千早と比べて髪が随分長くなり、顔立ちも大人っぽくなっているが、あの黒目がちの大きな瞳には確かに昔の面影が残っていた。 「……たかった。……会いたかった」 声を聞いた千早も、それで間違いなく目の前に居るのが新だと分かったのだろう。大きな目が見る間に涙で滲んでいった。 「……はぁ。とにかくお茶、持ってくか……」 土手での出来事を無理矢理頭から追い出して新はお盆に湯飲みを二つ乗せて居間へ戻る。 「……新も、身長伸びたな。今何センチだ?」 少し照れ臭そうに太一が口を開いた。無愛想に「百七十三」と数字だけを新が答えると、「偶然! おれも百七十三」と何か妙に引きつった顔で言葉を継いでくる。 (……相変わらず物事、勝ち負けで考えてるとこあるんやな……) コタツに足を突っ込みながら新は素早く考えを巡らせた。太一を怒らせればきっと、千早を連れて帰ろうとしてくれるだろう。 「ふーん……サバ読んでえん? ……おまえ、卑怯なやつやったもんな」 この一言なら太一をの古傷を的確に抉るだろうと、新はほとんど一本調子の口調で返す。言われた太一が唇を曲げているのが視野の端にちらりと見えた。だが彼が口を開く前に廊下側の襖がガラリと音を立てて開き、話が中断してしまった。 「お、お風呂いただきました……」 由宇が置いていった着替えは案の定、背の高い千早には色々丈が足りていない。 「なんで髪まで洗ってんだよ」 風呂から出てきた千早に、早速太一が突っ込んだ。 「だって後頭部もどろんこで! ……でもパンツは大丈夫だったよ」 「パンツとか言うな! 小学生か!」 記憶にある小学生だった頃の太一と千早そのままのようなやり取りが目の前で繰り広げられ、新の胸に懐かしさと苦しさが同じだけわき上がる。 (……やっぱあかん、これ以上一緒に居たら……) 「……服は着てっていいで、髪乾いたら帰って」 これ以上一緒に居たら、の後自分は一体何を考えそうになったのか、新自身よく分からない。ただ、最近ようやくこれでいいと思うようになった物が揺るがされそうな事は確かだった。 「待って太一。私、新に手紙書いてきたの」 新の素っ気ない態度に腹を立てたのか、帰ろうと腕を掴んだ太一を振り解き、千早は持ってきた鞄の中を探す。会えてもちゃんと話せるか分からないからと言う千早に、太一はテレビの再会番組かとまた突っ込んでいた。 「あった、これ……」 封筒を見つけたらしい千早の声が聞こえる。その手紙をどこかに置いて帰ってくれればと願う新の耳に届いたのは予想外の一言だった。 「かるたしようよ。また、三人で」 新や太一が何か言うより先に、千早は隣の仏間に入って札をかき混ぜ始める。 「私、かるたで一番好きなのはね。手札を二十五枚に分けて、開く直前」 (千早、やめれや……そういう事、言うの……) 「……ドキドキして、いい想像しか出来ないの。……勝つ想像」 (言わんといてや、もう……。言われたら言われた分だけ、おれはまた酷い事千早に言わなあかんくなる……) 「……新も、同じでしょ?」 (同じな訳ないやろ……同じであって、いい筈ない。……おれには、そんな資格ねえんやで……) 限界だ、と新は顔を強ばらせて立ち上がり、ものの数歩で仏間に入り込む。 (ゴメン、千早!) 新は片足を振り上げ、千早が混ぜていたかるたの札を生まれて初めて蹴飛ばした。 「日本語が……分からんの? ……もう、かるたはやってない。……やらない」 札を蹴られた千早が驚いて顔を上げているのは分かるが、その視線を受け止める勇気は持てなかった。 「ざけんなよ、お前!」 太一に目一杯突き飛ばされ、新の身体は仏間の壁まで綺麗に吹っ飛ぶ。 「千早、もう帰ろう。話しても仕方ねえよ。もう昔の新じゃねえんだよ」 (……ほや、太一の言う通りや。……もう、昔のおれでない。かるたが大好きやったおれは、もう……えんのや) 壁際に力なく座り込んだまま、新は心の中で太一の言葉を繰り返す。 「そんな事ないよ! 何かあるんだよ、きっと。私、信じてるもん!」 千早のまっすぐな言葉はかえって新の胸に痛く突き刺さる。電話でも言い、今目の前でかるたの札を蹴ってまで言ったのに、千早は「かるたをやめた」という新の言葉を認める気がないようだった。 「信じるとか言って、新に押しつけんな!」 太一の一喝が和室に響く。千早が息を飲む気配が伝わったが、驚いたのは新も同じだった。 (……太一にも、あったんやろか。そういう真っ直ぐな気持ちが却って心苦しくなる事……) 昔の太一なら、そういう叱り方はしなかったように思う。やはり三年という月日はお互いを変えるのに十分だったのだろう。 「かるた蹴る新なんか見に来たんじゃねえ。……もう来ねえよ」 襖が音高く閉められた。新は一瞬太一と千早の方を見上げようとしたが、彼らの背中より先に仏壇の前に散らばった札が視界に入り、再び項垂れた。 着替えを届けた後、成り行きが気になっていた由宇は自宅の勝手口の側に佇んでいたが、新の家の玄関扉の音が聞こえてそちらに目を向けると、さっきの「たいち」と言う少年が由宇の服を着た少女の腕を掴んで、引きずるように綿谷家から出て行くのが見えた。少女は何か気になる事でもあるのか、腕を引く力に全力で抗っている。それでも力の差なのか少しずつズルズルと新の家から遠ざかっていった。 (……何かあったんやな……) 律儀な性格の新が見送りもせず、またあの少年も何かに酷く腹を立てているように見え、由宇は早足で新の家の勝手口から様子を見に行った。 「……新?」 仏間に続く襖が開いていて、その奥にべたりと座り込んでいる新の姿が由宇の目に飛び込んできた。どうしたの、と問うより先に仏壇の前に散らばっているかるたの札に気が付き、多分これが理由だろうと見当が付く。 「この札、あの子のか?」 新はうずくまったまま何も言わないが、否定もしない。いずれにせよ二人のうちどちらかが持ってきた物には違いない、と由宇は散らばった札を手早くかき集めて外へ出た。 「の、あんたら。さっきこの家から出てきた人ら、どっちの道行った?」 門の側にまだ残っていた小学生達が「あっち」と指差した方の道を、由宇はサンダル履きに両手でかるた札百枚を抱えたままの不自由な状態をものともせず全力で駆け出した。 |