保湿系トライアルセット

Remorse 3



 新の家を後にした由宇は、自宅と隣家の勝手口の行き来にいつも利用する細い隙間から、一度綿谷家の二階を肩越しに見上げた。
「ああ、話の持っていき方、完璧失敗してもたわ……世話焼き、鬱陶しいでイライラする、か……」
 普段の新なら、多少意固地な所はあっても気分が落ち着けばちゃんと話してくれる。だがさっき新が感情のままに怒鳴った内容は単にお節介を嫌がるというものではなかった。
「……何で誰も責めんのやって……誰が責められるんやし、あんたの事。綿谷先生の介護ようけ頑張ってたって、みんな知ってるがの。綿谷先生が『左手でもかるた取れるようになる』って言うたんや、って嬉しそうに言うてたのも、新の顔さえ分からんようになってもた後も、『おれの姿でじいちゃんを畳の上に蘇らすんや』って一所懸命やったのも、みんな……分かってるでよう言わんのやろに……」
 呟きながら自分の部屋に戻る。新が望む通りに「どうして祖父を一人置いて大会に出た」と責めたとしても、新の気持ちがそれで治まる訳ではないし、結局は新自身が乗り越えなければならない事だ。
「……私に出来るのは、新を責めもせんけど、変に慰めもせん……普通の友達で居る事ぐらい、かもの」
 消極的な協力しか出来ない事を少し残念に感じながら、由宇は自分の家に入っていった。

 由宇が立ち去った後、泣き疲れた新は重い動作で立ち上がり、一階の居間にある電話の前に立った。受話器を取り上げて短縮番号を押すと、耳慣れた呼び出し音が聞こえる。
『はい、もしもし。栗山です』
「……あ、の……。栗山先生……」
『ああ、新くんか。……その後どうや?』
「……まあ、普通です。あの……先生。……おれ、いや、僕……南雲会を辞めさして欲しいんです」
 新が思い切ったように言うと、受話器の向こうで栗山はうーんと唸っている。
『……ほうかぁ……。まあ、強制は出来んしの。気が向いたら顔でも見せに来てくれたら、わしも嬉しいわ』
 栗山は理由を問わず、気が変わって戻って来たくなったらいつでも南雲会に帰って来ればいいと言って通話を終えた。新の心の一部は何故と問わない栗山の態度に安堵を覚え、別の一部は栗山が言う「気が変わる」日はきっと来ないと冷めていた。
「どうせうちのモン、誰も文句は言わん。……忌引き明けたら、もう普通の中学生でいいやろ……」
 特に父は、かるたを巡って祖父と大喧嘩した挙げ句、一家で東京への引っ越しをしたぐらいだから、何も言う訳がない。
「……あかん、考えたらあかん」
 引っ越しという言葉から連想してしまいそうになった東京での日々を新は力ずくで頭から追いやった。あの日々は確かに自分の宝物だが、今のこんな自分にそれを慈しむ資格はない。隣の仏間には祖父の遺影が飾られているが、新はとうとう一度もそこに目を向ける事なく階段を駆け上がった。

 忌引きが明け、新はおよそ一週間ぶりに教室の扉を開いた。席に着くまでの間、クラス中が自分を見ているようでどうにも落ち着かない。
「新、貸したノート写し終わってるんやったら、返して欲しいんやけど」
 席が近い由宇が新の席の脇に立ち、右手の平を上に向けて差し出しながら言ってきた。
「ああ、写してはえんけど一通り読んだ。……ありがと、助かった」
 新は自分の鞄から数冊のノートを引き抜いて由宇に渡す。由宇はその場でパラパラと数ページ捲った後、ありがと、と短く言って自分の席に戻った。
「……由宇ちゃん、ちょっとアッサリしすぎやろ。綿谷くん落ち込んでるやろうに」
「元気出しねとか言うもんでないんかの。可哀想やが」
 口さがないクラスメート達がひそひそと話しているのが新の耳にも届くが、言い返す気はなかった。
(同情も慰めも要らん。……おれはただ放っといて欲しいんや。由宇みたいに普通な方が全然マシや……)
 新が「気の毒だ」という話は、結局担任のホームルームまで終わらず、背中に重しを括り付けられたような気分で教科書を開いた。

 「あ、のぉ、新ぁ。ちょっといいかー?」
 忌引き明けから一週間ほど経ち、校内の「祖父を亡くした新は可哀想」という空気がようやく薄れた頃、学校の玄関で由宇が一枚の紙切れを手に新を呼び止めた。
「何やし?」
 足を止めると由宇は小走りにやって来て、手にしていた紙を新に見せる。
「……アルバイト?」
 駅前の勝義書店がバイトを募集しているというチラシだった。その本屋なら新も時々利用しているから知っている。
「あんた部活やってる訳でもないし、家でぼさーっとしてるよりか有意義なんでないかって思ったで、持って来てみたんや。まあ新次第やけど、一応渡しとくわ。ほんならの」
 言うだけ言って由宇は早足で歩き去ってしまう。
「……何なんや、言いたい事だけ言うて……」
 ぶつくさ文句を言いながらも、手渡されたチラシを新は一応鞄の中に押し込んで外履きに履き替え下校する。確かに由宇の言う通り、南雲会を辞めてからは放課後も何をするでもなく部屋で過ごす事が多い。
「ほやけど、おれかって一応受験生やのに。由宇、分かってるんやろか?」
 志望している藤岡東高は県内の高校としては大学進学率が高く、滑り止めの私立受験をせず専願で受けるには、合格ラインが高い学校だ。今の所一応合格圏内には居るが、バイトに入って高校受験に失敗しては意味がない。
(……って、おれ何バイトする前提で物考えてるんやし……)
 帰ってからゆっくり考えようと新は家路についた。

 「私はいいと思うざ。社会勉強にもなるやろしぃ、新かってお小遣いとか貯めたいやろで。まあ勉強に差し支えたら困るけど。のぉ、父ちゃん?」
 夕食の席で由宇から貰ったチラシを見せると、母はあっさり頷く。
「ほやなあ。大学進学希望、つったかって別に東大行くとかでねぇんやし。まだ募集してるかだけでも聞いてみればいいやろ」
「……ん、ほやの。聞いてみるわ」
 父に「思い立ったが吉日」と言われ、新は勝義書店に電話を入れてみた。
『はい、勝義書店でございます』
「あ、すみません。バイト募集のチラシを見た綿谷と言いますが、店長さんはおいででしょうか」
『綿谷くんって、かるたの綿谷先生のお孫さんか? ……あ、僕が店長やけど。ほんならいっぺん来てもらえるかの。一応面接するで』
 新の苗字を聞いた店長は急にくだけた口調になる。曜日と時間を確認して、新は電話を置いた。
「……明日の放課後に面接やと。おれ宿題あるし上行くわ」
 居間の両親にそれだけ話して新は部屋に引き上げた。

 翌日の放課後、制服のまま駅前の本屋に向かうと、レジの中に居たエプロン姿の男性が「綿谷くんか?」と問うてきた。新が頷くと男性は店内を整頓しているスタッフにレジを頼むと言って、新に付いてくるよう言ってきた。
(あ、この人店長さんやったんか……何か勝手に、もっと年いってる人なんやろなって思ってたな)
 奥の事務所で勧められるままに椅子に腰を下ろす。
「えーと、ほんならまあ……形だけんたなモンやけど、面接さして貰うでぇ、まずこれに記入しての」
「あ、はい」
 受け取った用紙はアルバイト申し込み用の簡単な履歴書のようなものらしい。新は住所や氏名、連絡先を書き込んだが、その下の「学歴・職歴」欄はどう書けばいいか一瞬躊躇した。
「あの……学歴って……。おれ、まだ中学なんですけど……」
「ん、ほやったら卒業した小学校と、今の中学だけ書いといて。正社員の面接でないで、ほんな細かく気にせんでもいいざ」
 最初の行に「東京都府中市立東大里小学校」と書き込んだ。自分で書いたその文字さえ、見ていると胸が苦しくなる。新は軽く頭を振って、次の行に今通っているあわら市の中学校名を記入した。

 「書けました。これでいいですか」
 店長は新の手から履歴書を受け取り、しばらく眺めていた。
「はー……新くん綺麗な字書くんやのぉ。えーっとの、一応募集してんのは土日も入れる子なんやけど、そこら辺は大丈夫なんか?」
「……はい」
 少し前までなら日曜日と言われれば南雲会の練習日だから無理だと即答していた。その癖が一瞬出そうになったが、もう自分は南雲会を辞めた身だと思い出して新は頷いた。
「んー。ほやけど今、受験生やもんなあ。シフト入れるの日曜だけにしとこ。バイトで成績落ちたとか言われたらかなわんし。高校入ったらシフト増やすんでいいかの。……いつから来れるやろ」
「あ、えっと……次の日曜からでも大丈夫です。よろしくお願いします」
(バイトの面接って、こんなんや? ……こんな簡単なんで、いいんやろか?)
 あまりにもあっさり話が決まってしまい、逆に新は心配になってしまった。

 「あの、店長。……おれが言うのも変ですけど、面接ってこんなんでいいんですか?」
 店長は新の問いにあっさり頷き返した。
「よそから来た人やったら別やけど、新くんは地元の子やで、元々どこの誰とか知ってるし。……さて、ほんならバイト中のエプロンはここにあるで、入ったらこれ着ての。タイムカードは日曜までに作っとくで、開店時間の十分前には来てての」
「はい、分かりました」
 それで話は終わり、店長は新を連れてレジに戻り、さっきのスタッフに次の日曜から新もシフトに入ると簡単に紹介してくれた。
「綿谷です。よろしくお願いします」
 きちんと頭を下げるとスタッフからは「さすが綿谷先生んとこのお孫さんやの」と言われて新の胸がズキンと痛む。だがその痛みは当然自分が背負わなければならない罰だ、と新は自分に言い聞かせた。
「お先に失礼します」
 バイトが決まった以上、二人は上司と先輩だ。新は礼儀正しく挨拶をして勝義書店を後にした。





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written by Hiiro Makishima