Remorse
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優勝、と書かれた賞状がはらり、と床に落ちた。だがそれを新だけでなく、その場に居た誰一人気にとめられるだけの余裕はない。ある者は項垂れ、ある者は涙に暮れ、あるいは新本人のように呆然と、部屋の端にあるベッドの上を眺めていた。 (……じい、ちゃん……?) 目の前の光景を、新の脳はなかなか理解しようとしない。午前中、ベッドの主に厳しく叱られて福井大会に慌てて出かけたばかりだ。 『新。───イメージや』 そう言ってほんの数時間前、送り出してくれた祖父はベッドの上で目を閉じて横たわったままぴくりとも動かない。 (じいちゃん、嘘、やろ……?) 会場から自転車を必死に漕いで帰って来た新の額から汗が流れ、一滴が目に入り咄嗟に目を閉じてまた開く。それでもベッドに横たわる祖父は微動だにしていなかった。 (じいちゃん、嘘や! ……おれ、じいちゃんに『かるた教えてくれてありがとう』って言うんや、って思って飛んで帰ってきたんやざ。とうとうA級んなったって知らせたいって。ほやで起きてや、じいちゃん起きてや! ……のぉ、起きねって……お願い、やで……) 否定しようのない現実が徐々に頭と心に染み込んできて、がくりと新の膝が崩れた。 それから二、三日の間の事について、新の記憶は酷く曖昧で飛び飛びにしか残っていない。いつの間にか両親と南雲会の人が何かを話していたり、普段は県外の大会がある時に顔を合わせる程度の親戚が自宅に居たり、家の玄関に鯨幕が張られたりしている。だが新にはそれらがまるでスクリーン越しの映像のようにしか感じられない。見てはいるが意識に残らないのだ。 「新……」 母の手伝いに綿谷家に来ていた幼馴染みの由宇がそっと呼び掛けるが、新は何も答えないまま祖父の通夜が行われている光景を眺めているだけだった。 「今はそっとしといたげて……ごめんの、由宇ちゃん。気ぃ遣わせてもて」 「……いえ、私こそ。新がショック受けてるって分かってた筈やのに、ごめんなさい」 新の母と言葉を交わし、由宇は夜が更けるまで通夜の手伝いに没頭した。新の祖父は由宇にとっても、かつてのかるたの先生であると同時に、優しいお隣のおじいちゃんでもあったから、自分に出来る事は何でもして見送りたかった。 祖父の告別式は県内のかるた会からの申し入れもあり、大きな会場で執り行われる事になった。立派な祭壇の上に、以前新聞社がインタビューの際撮った写真が掲げられ、斎場の前には全日本かるた協会や各地のかるた会、若い頃勤めていた役所などからの花輪が所狭しと飾られて、往年の祖父の偉業が偲ばれるものとなっていた。 「この度はご愁傷様でした。……新。……気を落とさんようにの」 葬儀に駆けつけた兄弟子の村尾は焼香を済ませて両親に挨拶した後、親族席に俯いたまま座る新にそっと声を掛ける。 「……」 村尾の声にも新はまるで反応を示さない。泣く訳でもなく、抜け殻のようにそこに座っている。元来多情なはずの新が何も言わず俯き続けているのは、それだけ心が受けたダメージが大きいのだと言葉以上に伝わり、村尾の心がしくしく痛む。 「……何か話したい事とか出来たら、いつでもうち来ればいいでの」 今の新にそれ以上は何を言っても心に響かないだろう、と村尾は両親に一礼して次の会葬者に列を譲った。 会葬者が順に焼香を行っている中、新の思考はずっとある一点で止まっていた。 (何で……父ちゃんも母ちゃんも……他のもんも、何でおれを責めんのや……? じいちゃん家に一人で残して、大会出たのおれやのに。……何で、誰も何も言わんと、元気出せとか気ぃ落とすなとか、ほんな事ばっか言うてくるんや……) 実の所、父は喪主としての務めがあり、母は通夜以来親戚や会葬者の応対で手一杯なのだが、今の新にそこまで気を回す余裕はない。ただ試合会場から大急ぎで帰ってきた時の、両親やヘルパーさん、由宇の家族の悲痛な目が忘れられなかった。 (いっそ誰かおれを怒鳴りつけて欲しい……病気のじいちゃん放ったらかしにして、何かるたの大会なんか出てるんや、何で由宇んとこのおばちゃんにでも一言お願いして行かんかったんや、って……。お前のせいや、って何で誰も言うてくれんのや……?!) 由宇も村尾も、A級に上がった事を真っ先に祖父に知らせたかったろうに残念だ、という目ばかりを新に向けてくる。 (……誰かに責められたい、って思う事自体、おれが甘えてるだけなんか? ……怒られる方が気が楽やから……? ほやけど、じいちゃんが死んだのは、おれのせいや……おれが、一人にさせてもたでや……おれの、せいなんや) 膝の上に置いた拳を爪の跡が残るぐらいにきつく握りしめながら、新の考えは徐々に自罰的な方向に変化していった。誰も自分を責めないなら、せめて自分で自分を罰するべきだ。そんな感情が新の心に渦を巻き始めた。 「───どうぞ皆様、最後のお別れを」 葬儀場の係員が白い菊を近親者や南雲会の関係者などに手渡していく。 「どうぞ」 新の手にも一輪の菊が差し出されるが、その花は新の手をすり抜けて床に落ちてしまう。見かねた由宇が素早くそれを拾い、新の背中を押して棺の側まで連れて行き、由宇は自分の手を新の手に添えて自分の分と合わせて二輪の菊を棺にそっと置いた。南雲会の栗山会長は、菊の花と一緒に祖父が愛用していたかるたの取り札をそっと棺の中に納める。 「……それでは、出棺です」 棺の蓋が閉められ霊柩車へと運ばれる。火葬場へ向かう車の中でも新は項垂れたまま、何故あの時祖父を一人で家に残してしまったのかとそればかり考え、古いレコードのようにぐるぐる同じ事を考え続ける中、大好きな祖父は荼毘に付されていく。 「新、あんたもお骨拾わんと……」 母に促されて全く現実感のないまま、骨壺の中に今は小さな欠片となってしまった祖父を納めていく。一杯になった骨壺に銀糸で刺繍が施された白絹が被せられた時、初めて新の目から涙がこぼれ落ちた。 「じい、ちゃん……じいちゃん……」 いくら呼ぼうとも、白木の箱は何も答えてはくれない。精進落としの席についた頃には涙こそ乾いていたものの、新は一言も口を利かず、両親や親戚などが祖父の思い出話をしている様子を虚ろな表情で眺めているだけだった。 ◇ ◇ ◇ 「……新、母ちゃんら仕事やでもう行くけど、お昼とか台所にあるで、ちゃんと食べるんやざ?」 両親の弔休が学校の忌引きより二日ほど先に終わり、母は新にちゃんと食事を摂るよう何度も念を押してから家を出たが、門の所で一度立ち止まり、隣家のチャイムを鳴らした。 「はーい。……あ、おばさん。おはようございます」 「朝早くにごめんの、由宇ちゃん。実は新の事なんやけど……」 母は由宇に、新が相変わらず塞ぎ込んでいると手短に話す。 「悪いんやけど、放課後の暇な時だけでいいで、ちょっと新の側についててあげてもらえんやろか。ご飯だけでもちゃんと食べとかんと、あの子今に病気んなってまうかも知れんし……」 「分かりました。どっちにしても休みの間の授業のノート持ってくし、様子見てみますね」 「ごめんの。由宇ちゃんかって高校受験前の大事な時やのに……」 新の母は何度も詫び、半ば由宇に急き立てられる格好で職場に向かった。 「当たり前やけど、新……相当堪えてもてるんやの。……ほやけど、一番可愛がってた新がいつまでも悲しい顔してたら、綿谷先生かって向こうで心配してまうやろうに。放課後に顔出してみるかの」 由宇は登校の支度をして玄関を出る。ちらり、と隣の家に視線をやったが新の部屋のカーテンはこの時間になっても閉め切っている。小さく溜め息を一つ漏らして学校へと向かった。 学校に着いた由宇はクラスメートや学校のかるた部に所属している生徒に頼んでノートを借り、自分が授業中取ったノートの抜けや漏れを埋めていった。 「のぉ、芦野……あいつ、どんな感じなんや? 今……」 以前、新に絡んで校内で殴り合いの喧嘩になった河内翔二が、流石に大人しい口調で由宇に新の様子を尋ねてきた。 「どんな、って言われてもの……落ち込んでるとしか言えんけど」 「……早よ、気持ち落ち着くといいの。あんだけ誇りに思ってたじいちゃんやで、ほんな簡単でないやろけど」 翔二に短く礼を述べて、由宇はノートの整理に戻る。その後もかるた部員やクラスメートが何度か新の様子を聞いてきたが、由宇が言える返事は翔二へのそれと同じだった。 (……新、みんな心配してるざ、あんたの事。……元通り、は難しいやろけど、少しでも浮上してきて欲しいわ……) 教室の窓から見えるのは、まるで今の新の心持ちのような灰色の梅雨空だ。雲が通り過ぎればまた太陽が顔を覗かせるだろう。新にも早く雲が晴れる日が来て欲しいと願わずにいられなかった。 |