むらさめの 4
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「もう、千早! ……ごめんなさいね、落ち着きのない子で……」 「いえ、そんな事は……」 頭からずぶ濡れになっている新は玄関の土間に立ったままでいる。かなり酷く水をかぶったらしく、ワイシャツが肌に貼り付いていて気持ちが悪い筈だが、家人に勧められないうちはその場で待っている姿勢や、さっきの挨拶なども随分きちんとした子だと千恵子は思った。 (あら、この子……) 眼鏡をかけた面差しに、何となく見覚えがあるような気がした。あれはちょうど、娘がかるたを始めた頃ではなかっただろうか。 「綿谷くん、だったわね。……もしかして、前に一度うちに来てくれた事がなかったかしら。真島くんと一緒に」 「あ、はい。チームTシャツを届けに太一とお伺いさせてもろた事が……っくしゅっ!」 新が堪えきれずに大きなくしゃみをする。それと同時に千早が両手一杯にバスタオルを抱えて戻ってきた。 「新、はいタオル! ちゃんと拭かないと風邪ひいちゃうよ!」 そう言う千早も着替えもせずに濡れたままだ。 「え、あ、どうもありがとう。……て言うか千早こそ早よ着替えんとあかんやろ。……すみません、タオルお借りします」 洗ってお返しします、と言いかけた新を千恵子は手振りで制して早く身体を拭くよう告げ、千早にも早く着替えて来るように言い渡す。 「雨、そんなに酷い降りだったの?」 黙って立っているのでは間が持たないと、借り受けたタオルで顔を拭っている新に千恵子が尋ねる。 「いえ……横通った車が水はねて……」 「あらまあ……災難だったわね。あ、上着そこに掛けていいわよ」 新は礼を言ってスーツの上着をコートハンガーに掛けさせてもらう。その上着を見た千恵子は、新が着ている物が略礼服だと気が付いた。 (そう言えばさっき、千早が『新』って……。確か千早がかるたの話をする時、よく口にしてた名前だけど……) 「何か、お祝い事でもあったのかしら、今日」 「え、僕ですか? ……親戚の結婚式がこっちであったもんで……」 「まあ。それじゃ今日はご家族でどこかにお泊まり?」 「……あ、はい。……式あったホテルに、今日は」 考えてみたら、かるたをしていない大人と東京で話すのは数年ぶりで、新は少し口ごもった。 (……て言うか、この質問……いや、分かるわ。太一はずっと小学校同じやったけど、おれは他所から来た人間や。千早の家の人が『こいつはどこの何モンや』って思うやろう……) そろそろ辞去した方がいいだろうと、借りたタオルを畳み直していると、着替えを済ませた千早が階段をどたばたと降りてきた。 「新、お待たせ! 着替え持って来たよ!」 「……え? ……いや、いいって。タオル貸してもろたし、おれそろそろ……っくしゅっ!」 暇乞いを、と言いかけた新を他でもない新自身の身体が裏切ってしまう。 「だめだめだめ! そのまま帰ったら新、風邪引くじゃん! ほら、こっち来て、早く!」 「……え、ちょっ?!」 千早の両腕が新の片腕をがっちり抱えて、そのまま奥に引きずっていこうとする。目の前に千早の母親が居るのに、図々しく上がり込む訳にいかないと両足を踏ん張るが、思いの外千早の引っ張る力が強くてバランスを崩しそうだった。 「お母さん、お風呂貸していいよね? 私も福井行った時、新んちのお風呂貸してもらったし!」 「あ、あれと今とは全然別の話やろ……す、すいません。おれ、もう失礼します」 とは言うものの、千早が腕を掴んだままでは帰れない。助けを求めるように千恵子の方を見ると、彼女は苦笑を浮かべて新の手からタオルをそっと取り上げた。 「千早、連れて行ってあげなさい。……綿谷くん、濡れたままじゃホテルに帰るのも大変よ?」 「え、あの……あ、ありがとう、ございます……」 千早に腕を取られたまま、新は深々と頭を下げた。 「……なんか、変な成り行きになってもたなぁ……」 湯気で霞む天井を見上げ、新は独りごちる。親戚の結婚式に出るついでに千早の顔が見られたらと思っただけだったものが、まさか千早の家で風呂を借りる事になろうとは思わなかった。 とは言えずぶ濡れの身には有り難い。冷えていた手足にじんわりと体温が戻ってくる。湯の温かさは新を心地良くリラックスさせてくれていた。ふうっと息を吐き出した時、風呂場と扉一枚で繋がっている脱衣所のドアが開く音がし、新は慌てて湯船の中で手足を小さく折り曲げた。 『新、着替えここに置いておくね。シャンプーとかも好きに使っていいよ』 ノックの後に千早の声が聞こえてくる。入ってきたのが気心の知れた千早で良かったと思う反面、こういう状況下で一番意識してしまう千早が呼びかけてくるのは困ってしまうという思いもあった。 「あ、えっと、ありがとう。……千早のお母さんにも、お礼言っといて」 風呂場の扉越しに千早のまた後でねという声が聞こえてきた。 「何にしたかって、風呂借りてる身でもたもたは出来んしな」 落ち着きを取り戻した新は、早い所身体を温め切ってしまおうと湯船に首まで潜り込んだ。 |