保湿系トライアルセット

むらさめの 3

昨今は敷地内には入れないですが…



 「うわー、変わってない! 懐かしー!」
 東大里小の正門からあちこちに視線を送っていた千早は何か見つけたのか、グラウンドへと走っていく。新もその後を追うが流石に元陸上部だけあって、実に軽やかに走る彼女に追いつくのはかなり大変だった。
(……スカートやって忘れてるんでないやろか……)
 長い脚が地面を蹴り上げる度に、丈の短いプリーツスカートの裾がひらりと舞い、正直心臓に悪い。他に誰も居ないのは救いだが、同時に新を困惑させる。
「見て見て新! 授業でやったじゃんバスケ! ……あれ?」
 バスケットボールのシュートを打つように千早が手を伸ばすと、指先があっさりゴールネットに触れてしまった。
「……バスケのゴールって、こんな低かったっけ?」
「ミニバスやし、そんなもんやろ。……て言うか、おれらの背が伸びたで低く感じるんやろ」
 新は軽く膝を曲げ、腕を伸ばして垂直に飛び上がると、ゴールリングを指先で軽く叩く。この小学校に通っていた頃は随分高く感じたものだが。
「そっかー……卒業してから五年ちょっと経ってるんだもんね……なんかついこの間の事みたいな気もするのに」
 感慨深そうに千早が呟いた。

 (……おれは福井帰ったりで何べんか環境変わったでかなあ……ついこの間って言うより、もうそんな前かって気もするなあ)
 感じる懐かしさにはそう大きな違いはないのかも知れないが、一度かるたから離れ、また戻った事で自分の内面が色々変化したのかも知れないと新はふと思った。だが額に冷たいものを感じたせいでその思索は断ち切られる。
「あかん、降ってきた。千早、屋根あるとこ移動しよ」
「あ、うん」
 正面玄関前に着いたのとほぼ同時に雨足が強まった。大きな屋根が張り出しているから濡れる事はないが、代わりにそこで足止めを食ってしまう。
「この近くにコンビニか何かないか? あるんやったら場所だけ教えて。おれ一走りしてビニール傘買ってくるし」
「え、それだと新だけずぶ濡れになるじゃん。いいよ、一緒に行こうよ」
「ほんな訳にいかんって」
 一緒に行く行かないの言い合いは、一気に強まった雨足が問答無用で決着を付けてしまった。

 「……どっちにしても今は動けんなあ。雨弱なるの待つしかないわ。ここ吹き込むで、もうちょっと奥行って、千早」
 実際新が立っている場所もそこまで雨が吹き込んでいる訳ではないが、奥の方が風が入らないだろう。とは言えさっきの傘の一件を思えば、また譲り合いになってしまいかねない。そこで新は自分が濡れるからと言って千早を玄関ポーチの奥へ押しやった。
「新、もう少し小降りになったら、うちに傘取りに行こ。濡れてもタオルあるんだしさ」
「……んー……ほんなら、甘えさせてもらって、いいか?」
 おうともよ、と威勢良く返事をした次の瞬間、千早が小さなくしゃみをする。

 「やっぱスカートやと、寒いんやろ……ちょっとそこ、座って」
 言われた通りに千早が壁で背中を支えながらしゃがみ込む。新はスーツの上着を脱いで千早の膝にかけた。
「わ、あったかい……」
 それなら良かった、と言いかけた新の腕が掴まれる。
「え? ……わっ」
 試合場などで千早にTシャツの裾をいきなり引っ張られてバランスを崩す事は何度かあったが、その癖は健在のようだった。腕を引っ張られた新がつんのめるようにしゃがみ込むと、千早は掛けてもらったスーツのジャケットを「半分こ」と言って持ち上げてみせる。
「……分かったって」
 やれやれと小さく笑い、千早の隣に座った新の膝にもジャケットが半分掛けられた。

 「少し雨足弱なってきたんかな……思い切って出るか?」
 言いながら新は腕時計にちらりと目をやる。雨宿りとはいえあまり遅くなると千早が家の者に怒られるかも知れない。本当なら止むまで待ちたい所だが、それが気になった新はさっきよりは雨が静かになった今のうちに千早を送り届けておきたくての一言だった。
「そうだね。私けっこう丈夫だから、これくらい平気だよ」
「ん、ほんなら少し急ごか」
 新は膝からスーツの上着を拾い上げ、立ち上がった所でそれを千早の頭に被せると彼女が何か言うより先に雨の中へと駆け出した。学校から千早の家までの道順なら、太一と一緒にチームTシャツを渡しに行ったから覚えている。
「新ぁー! これ、いいってばー!」
 千早も負けていない。被せてもらったジャケットを手に持ち直し、全速力で新に追いついてきた。辺りは暗くなってきて、時折通る車のヘッドライトが濡れた路面に反射してぎらついている。

 「……千早っ!」
 いきなり新が鋭く名を呼び、腕の中に千早を抱えると、身体を半回転させて背中を車道側に向けた。その瞬間、その脇を車が通り抜け、路肩に溜まった水を派手に飛び散らせる。車が二人を追い越すのを見届けて腕を解くと、千早が新の背後に回り込んだ。
「新、背中びしょ濡れになっちゃってるじゃん! ……と、とにかく急ごう!」
 そう言うと新に上着を返し、新の手をしっかり掴んで自宅へ向かって走り出す。状況がここに至っては、新はもう千早に手を引かれるまま一緒に走る以外出来ない。ブーツと革靴が立てる二つの靴音はやがて綺麗に揃ったリズムで住宅街の奥へと消えていった。

 「ただいまー! お母さーん、バスタオル持って来てー! 二枚ー!」
 玄関ドアを開けるやいなや、千早は台所に居る筈の母に向かって大きな声で呼びかけた。
「もう、千早。そんな大きな声……って、あらやだ。ずぶ濡れじゃないの」
 千早の母がパタパタと奥から顔を出すが、隣に立っている少年の方が自分の娘よりずぶ濡れな事に、つい驚いた声を上げる。
「すみません、こんな格好で……小学校の時の友人で綿谷と言います」
 頭を下げる新の髪から雫が滴り落ちて玄関タイルに丸い染みを作っていく。
「やっぱり私取ってくる! 新、待ってて」
 千恵子が止める間もなく、千早はブーツを脱いでバタバタと家の中に入る。その床の上に点々と水滴が落ちていった。






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written by Hiiro Makishima