保湿系トライアルセット

むらさめの 2

福井弁特有の言い回しは括弧内に補足しています



 都心にあるホテルのロビーで、千早は所在なさげにソファに腰掛けていた。
(……でも、この格好ちょっと落ち着かないなあ……)
 普段の私服はパンツスタイルが多いが、今日は場所が場所だからと姉の千歳からきつく言われ、千歳が以前、雑誌の撮影で着たジャケットと合皮のミニスカートにショートブーツという出で立ちでやって来た。制服の時は気にならなかったスカート丈が今日はどうにも気になってしまう。
「新、まだかなぁ……」
 冷静に考えればそんな筈もないのだが、ロビーを行き交う人が皆こっちを見ているような気がして、意味もなく携帯を開いたり閉じたりを繰り返した。

 エレベーターホールの方から、黒い背広を着たグループがこちらに歩いてくるのが千早の目に留まった。
(あれかな? ……でもスーツじゃ違うかなあ……)
 同い年の新なら学校の制服ではないだろうかと思い、また視線をあちらこちらに彷徨わせてみる。
「……千早、ごめん、大分待ったか?」
 さっきエレベーター付近で見た黒いスーツが目の前にある。顔を上げた先には新の穏やかな笑みがあった。
「新……?」
「……どうかしたんか?」
 訝しむように新が問うてきた。
「あ、ううん。新のそういう格好って初めて見たから」
「……や、やっぱ何か変か?」
「ううん、似合ってる」
 千早は両手をひらひらさせて答えるが、事実、均整の取れた新の体型にダークスーツはよく似合っていて、胸がドキドキしているのを悟られまいと必死だった。
「千早も、よう似合うてるわ、その服。……ほんなら、出よか?」
 千早は頷いて席を立ち、新と並んでエントランスへ向かう。

 「なんや、そこに居たんか!」
 エレベーター近くに居た一団から、一人の男性が近づきながら、手にした携帯で驚いて立ち止まった新と千早を写真に収めた。
「とっ、父ちゃん何してるんやし……もう……」
 父がそんな事をしたのは自宅での会話が原因だろうが、千早に断りもなく写真を撮るのは失礼過ぎる、と顔を赤くした新が少しきつい口調で言う。
「……父ちゃん……て、新のお父さん?」
 千早が新に問うと、頬を朱くしたまま新は無言で頷き返す。それを見た彰がずかずかと千早の方へやってきた。
「新がお世話んなってます。これの父ですわ」
「あ、えっとその、初めまして……綾瀬千早です」
 高校選手権は見に来ていたと後で新から聞いたが、直接顔を合わせるのは初めてで、千早は身体を二つ折りにする勢いで頭を下げた。
「……はー、凄い別嬪さんやなあ。新ぁ、しっかり捕まえとかんと鳶に油揚げ攫われるんでないんか?」
「知らんわ、ほんなもん。……行こさ、千早」
 千早の手を引っ張るようにして新は建物を後にする。

 「ああもう……。ごめんな、千早。うちの父ちゃん時々空気読まんくて……」
 ホテルのエントランスが見えなくなった所で新はようやく手を離し、父親の茶化しを謝る。
「気にしてないよ。うちのお父さんも時々そんな感じだし」
 二年時の高校選手権は全国への出場権は得たものの、東京予選は二位通過だった。瑞沢のエースとしての責任感が足りなかったと落ち込んでいた時に、娘が載った記事のスクラップが生きがいと常日頃言っている父が、その試合記事を見せてきた事があった、と千早は新に話す。
「まあ負けた時にその記事見るのは確かにキツいかも知れんけど、優しいお父さんやが。そうやって記録残してくれて」
「ん、まあね。……って、今はその話じゃなくて、小学校行くんだったよね。行こ、新」
 夕方の街は雲が低くたれ込めている。ぼやぼやしていたら雨になるかも知れないと二人は少し急ぎ足で最寄り駅へと向かった。

 「ああ、この辺は覚えてるわ。……新聞配達でなんべんか通ったとこや」
 電車を降り、しばらく歩くと見えてきた町並みを新は懐かしそうに眺める。新聞配達、と耳にした千早の足運びはどうしても重くなり、それを訝しんだ新が振り返ると、俯いた千早がバッグのストラップをきつく握りしめていていた。
「ごめんね、新……。私が教室であんな風に言っちゃったから、給食とか机離されたりして……。ごめん、ごめんね……」
 「思った事をすぐ口に出しすぎ」という姉の言葉と、自分が深く考えず口にした言葉の結果をあの日初めて千早は痛感したのだ。せめて謝ろうと追い掛けたはずが、太一が新を水溜まりに突き飛ばしているのを見て、その事に抗議するあまり、新に謝る事は有耶無耶になってしまっていた。

 自身は新聞配達の事を今は全く気にしていないが、思ったままを口に出してしまったと気付いた新は、俯いて半べそをかいている千早の頭をそっと撫でながら口を開く。
「千早は何も謝らんでいいんや。おれが水溜まりに突き飛ばされた時、千早、太一に向かってったやろ。お前もハブやぞって言われたのに、一歩も引かんと『やればいい』って。その後かって、自分よりおれのハブ解除しろって太一に言って……かるたなら誰にも負けんって、言ってくれたやろ。……ほやで、謝る事なんか、なんもないんや、千早は」
 そんな千早に新はどれだけ救われたか分からない。千早が居なかったら、きっと太一とも友達になれなかっただろう。
「……う、うん……でも新、……あの眼鏡、どこで見つけたの?」
「え、め、眼鏡か……? ろ、廊下の隅に落ちてた……」
 しどろもどろの下手な嘘だが、あの時、自分が裸眼で校内のあちこちにぶつかっていた事を覚えているだろうし、太一が隠したとは露ほども思っていなかった千早なら、その言葉でも納得してくれそうだった。
 千早には嫌われたくない、と目の前で泣いたのを見ているから、太一の千早への気持ちは多分自分が一番よく分かっていたと思う。そして当時の太一が何を不快に感じていたのかも。父の言葉ではないが「鳶に油揚げ」だ。
(……ほやけど、千早がこう聞いてくるって事は、太一も言ってえんのか。……それは、太一自身が決める事や。おれの口からどうこう言う事でない……。って言うか話変えんと、千早が色々気にしてまうな)
「雨降ってきたらやばいし、行こっさ。おれ、早よ学校見たいし」
 半ば強引に話を切り替えて、懐かしい小学校への道を歩き出すと、小走りになって千早が追いついて来た。






Next


written by Hiiro Makishima