保湿系トライアルセット

POSSLQ 16



 「……俺達は驚かねえけどな」
 小さな折り畳みテーブルに並んだ料理に箸を付けながら、かるた部OBの出水と巽は異口同音に新へ言葉を寄越す。
「そうやと思いました」
 新は彼らにそう返した。卒業式の前々日、新は部屋に招いて食事を振る舞うと二人に連絡を付けておいた。明日の荷造りのために、冷蔵庫の中身を空にするというのがメインの目的ではあったが。
「入部時から元々そんな空気醸し出してたしな。……綾瀬は今日、何してるんだ?」
「千早ですか? 瑞沢でお茶会みたいな集まり開いてます」
 地理的に遠方へ越すからと、千早も瑞沢高校かるた部の初代部員たちと部室で集まっていると巽に答える。
「近くないと言えばそうだが、近江神宮行きゃあ嫌でも顔合わせるだろうしなあ」
 相変わらずの豪快な声で出水は笑った。

 「ま、式挙げる時は呼んでくれ。余興の時にでも、女物の袴着けたお前の写真披露してやる」
 その袴を新に着せた当の出水が「綾瀬の画像は勘弁しといてやるから感謝しろ」と恩着せがましく言う。
「……嫌がらせにしか思えんのですけど……」
 部で行われたクリスマス会という名の飲み会で食らった罰ゲームは、新たちに後輩が出来た時、かなりマイルドな内容に変えた。だから新たち当時の一年生三人が最後の「被害者」だ。
「けど『ロシアンおむすび』の具だけはチョコのままだろ。綿谷も結構……いやかなり『ドS』だな」
 巽が笑って返してくる。
「恒例行事やって出水先輩言うとったんで。ほやけど先輩の人脈、とうとう卒業まで分からんままですね」
「……すまん、綿谷。俺、未だに謎なんだよ」
 新の呟きに一年先に卒業した巽が苦笑混じりに言って寄越した。その不思議な人脈を持つ出水はからからと笑い飛ばす。

 ひとしきり笑った出水の表情が真面目なものに変わる。
「……相手がいない俺達が言うのも口幅ったいんだがな。平坦な道だけじゃねえだろう」
 真摯な言葉に巽が続いた。
「けど、お前と綾瀬なら、あの時みたいに乗り越えていける。だから『頑張れ』は言わない」
「言う必要ねえしな」
 入部したての二人へ一方的に襲いかかったトラブル。あの時に大きな手助けをしてくれた二人の先輩から言葉を貰った。今頃きっと千早も仲間たちからエールを受け取っているだろう。
「ありがとうございます。二人で一歩ずつ越えていきます」
 新は畳に両手を付いて深々と頭を下げた。

 ◇  ◇  ◇ 

 「───千早ちゃん、メガネくん。卒業、おめでとう」
 普段は「熊」と渾名される豪快さの持ち主である原田が静かに卒業を祝ってくれた。新の部屋にあった物は卒業式に出るためのスーツと私服の二、三着以外は荷造りを終えてある。そして式典の後、千早と連れ立って今日までの感謝と今日からの決意を伝えにきた。
「ありがとうございます」
 新は短く答え、千早は深く頭を下げて原田に言葉を紡いでいく。
「原田先生。今日までご指導ありがとうございました。私の先生が原田先生で良かったって、心から思います。……本当に、ありがとうございました」
「千早ちゃんの言葉は、何よりの宝物だ。先生冥利につきるねえ。……千早ちゃんもそう感じる日がくるよ」
 原田の暖かい声に、二人揃ってもう一度深く頭を下げた。
「月日が経つのは早いものだ。ランドセル背負ってやって来て、決定戦でぼくと戦って……今じゃ婚約指輪を嵌めているんだからねえ」
 感慨深げに笑い、引っ越しはどうなっていると新に聞いてくる。
「千早の物と、いくつか揃えた家具とかはもう向こうに。おれのは荷造りだけ終わってます。今日の夕方に業者が運び出してくれるんで、それ終わったら大家さんに鍵返して出発します」
「そうか。いよいよ『巣立ち』の時だね」
 深い声音で告げられた餞の言葉が嬉しい。
「次に君らと会うのはきっと近江神宮だろう。……千早ちゃんの苗字が変わってるかも知れないが。やーれやれ、こりゃ綿谷先生との呼び分けが大変だ。……早く困らせて欲しいねえ、はっはっは」
 原田らしい激励に二人はまっすぐ視線を合わせ、はい、と決意を込めて答えた。

 ◇  ◇  ◇ 

 夕方、引っ越し業者がやって来て手際よくアパートの荷物を運び出していく。洗濯機や冷蔵庫、衣装ケースに本棚。見る見るうちに昨日まで住んでいた部屋はがらんとなっていき、新は運び出しが全部終わった部屋を一度見回す。本棚をおいていた場所の畳はまだ青いままで、四年という月日を実感出来た。
(……四年間、楽しく暮らせた部屋でした)
 新は部屋に一礼してから鉄扉を閉め最後の施錠を行い、その鍵を千早に預けていた分と一緒に大家へ返した。
「君も元気でね」
「ありがとうございます。……失礼します」
 大家にも礼を返しアパートを後にする。携帯電話を取り出して、自宅で待っている千早に荷物の運び出しが終わったと伝えてそちらへ向かう。

 「お疲れ様、新」
「ありがとう。お父さんとお母さんは?」
 居間で待っているよと千早は答え、新を案内する。
「今晩は。あんまり頻繁には顔出せんくて、すみません、お……父さん」
 やはり言いつけない呼称に、千早同様つっかえてしまった。福井の両親を連れて挨拶に来たのは二月の終わり頃だったが、互いの両親が数年後に挙げるだろう式の話で持ちきりになっていて、千早の父をそう呼ぶのはこれが初めてになってしまった。
「……あの、おれがそう呼ぶのって、抵抗あったりしますか……?」
「いや、抵抗はないよ。少し、くすぐったい気はするけどね」
 この家にもいずれ息子が出来るのだからという健二の言葉が本当に嬉しい。礼を口にして今度はつかえずにお父さん、と呼ぶ。

 「あちこち挨拶に回って忙しかったでしょ、新くん」
 千恵子がお茶を差し出して労ってくれる。
「ありがとうございます、お母さん。ようけ思い出話があったんで、どこで失礼していいかちょっと迷いましたけど……先生も先輩たちも、おれらに頑張れって言う必要がない、そう言ってくれて。ほんとに有り難かったです」
 どこへ顔を出しても一度はからかわれたけれど、それも一つのエールなのだろう。新はそんな風に言葉を返した。
「瑞沢のみんなもそうだった。……やっぱりかるた界大混乱させやがって、とは言われたけど」
「……おれにもや。あと先輩らも近江神宮行けば嫌でも顔合わすー、って原田先生と同じ事言(ゆ)ってたわ」
 明るく笑っている千早に、部のOBからもう一つ貰った言葉を話し出す。
「おれらなら、あのゴタゴタん時みたいに乗り越えていける筈や……そう言うてくれた」
「……うん」
 そうやって背中を押してくれる人が居る事、作れた事も二人の財産だ、と健二は暖かく言ってくれた。
「そうですね。……本当に、そうですね」

 そんな話がしばらく続いた後、いよいよ出発の時間が迫ってきた。千早は新と顔を見合わせてリビングの椅子から立ち上がってぴんと背筋を伸ばす。
「お父さん、お母さん。今日まで育ててくれて、ありがとうございました」
「千早がずっと笑っていてくれるように一生努力を続ける、それを改めてお約束します」
 二人で千早の両親に「今まで」と「これから」の感謝と決意を深く一礼して述べた。
「……しっかりね」
 千恵子は娘に短く、それに全てが込められた言葉を送る。
「千早。幸せになりなさい。そして新くんを幸せにしてあげなさい」
 深みのある声で健二が静かに言った。
「はい。行ってきます」
 揃って答えてもう一度頭を下げ、二人は綾瀬家を後にした。

 ◇  ◇  ◇ 

 高速バスと電車を乗り継いで降り立った芦原温泉駅。同じアパートの住民への手土産で、今日は新の方が大荷物だ。
「とりあえず市役所と交通課?」
「ほやの。こっから歩いて行けるし」
 てくてくと歩き、揃って転入届を出した。
「住民票こっちなったで、やっと車買えるわ。……まあボロいで走れば御の字ってやつやけど」
 また貯金しておいて次はもう少しマシなのを買おうと話しながら、今のところ千早の名で契約してある部屋へ向かう。
「ただいまー!」
「ただいま」
 この部屋に初めてそう告げ、靴を脱ぐ。程なく業者が到着して新の部屋にあった物をてきぱきと据え付け、この部屋を完全に「生活の場」の空気で満たした。

 「そろそろご近所さん帰ってきてるやろか。行ってみよ」
 手土産の入った袋を持って、同じアパートの住人に引っ越しの挨拶をしていく。もっともほぼ全員が同じリアクションを返してきたが。
「新くん、こっち帰ってきたのに、わざわざ部屋借りたんか?」
「……婚約した千早と一緒に住むで借りたんです」
 新がそう答えると隣人は揃って目を丸くした。
「ひ、引っ越してきた綾瀬千早と言います。どうぞよろしくお願いします」
 そして千早が挨拶すると、その容姿に嘆息する。
「あの、私たちが部屋でかるたしてる時の音、響いてたら言ってください」
 真下に住む家族に深く頭を下げて言う。かるたの音という言葉を少し訝しんだ住人に新が千早の戦績を告げると住人は三度驚き、なるほど新の婚約者だと笑った。

 新の実家への挨拶や食料品の買い出しを全て終え、少しばかり疲れを感じた二人はお茶を淹れて一息つく。月の頭に二人で買ったキッチンテーブルを初めて二人で使い、照れたように笑った。
「流石に今日はやる事いっぱいあったねえ」
「やなあ。初出勤まで日数あって良かったわ」
 新は部屋の中をぐるりと見回した。四年間住んだ前のアパートにあった物と、千早がずっと愛用していた物。そして二人で買いそろえた物。それらが混ざり合った雰囲気を感じ取れる事が嬉しい。

 「さっそくやけど。お茶飲み終わったら一試合どうや?」
 二人で住み始める初日だからこそ、千早とかるたがしたい。新はそう切り出した。
「もちろん! 何だったら袴着けて取る?」
 気合いの入れようを示すように、千早はそんな風に言葉を返して残りのお茶を一気に飲み干す。
「乗るわ」
 短く答えてキッチンテーブルを離れ、隣に立つ千早に向き直った。
「……ここから、一緒に始めてこ」
「うん。ずっと一緒に」
 十年前に千早が言い、六年前に新が言った「一緒にかるたをしよう」が、今日からは少し意味を変えて始まる。
「年食って、選手からは退いても」
「それでも一緒にかるたして生きてく」
 笑みを交わし合った二人の顔は次の瞬間ライバルのそれに変わる。かるた用の和室からそれぞれの袴を取り出した。



POSSLQ = Person of the Opposite Sex Sharing Live Quaters _




written by Hiiro Makishima