POSSLQ 13
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新の母校を眺めた後、助手席で千早は少しだけ溜め息を漏らした。 「校舎入れないの残念だったけど、なんか新の高校時代にちょっとお邪魔させてもらえた気分」 「……瑞沢の部室、千早が連れてってくれた時、おれも同じ事思った」 そんな事を話しながら、海岸沿いの道を車は進む。一息入れようと所々にある駐車場に車を入れた。窓の外では日本海の荒波が岩場に激しくぶつかって飛沫を上げている。 「すっごい迫力。『かぜを』も、こんなのかな」 「そうなんやろうの。……もう、今は気にしてえんのやろ? 千早も」 高校時代に太一からの告白を断り、退部の話でその心をさらに抉ってしまった時、この歌を耳にすると札が取れなくなった時期があった。新が今問い掛けてきたのはその事だ。 「うん。だから今は、素直にこれが『かぜをいたみ』の光景なんだろうなあって見られるよ」 時々波の花が舞う中を、車は再び走り出した。 海岸沿いの風景が変わっていく。特に助手席側の山肌に、何百、何千という水仙が寒風の中で凛と咲いていた。ゆっくり眺められるようにと新がまた車を停めてくれた。 「窓、開けてみてもいい?」 「降りて見てみよっさ」 新に促されて車から降りると、水仙のやわらかな甘い香りが千早を包む。 「……ほんとに凄い眺め。どこまでも続いてる……」 日本三大群生地の一つなのだと新は教えてくれた。 「県花もこれやから、福井の人間には縁が深い花やの」 「水仙を詠った歌って、あるのかな」 何しろ自分達に一番縁があるのは百人一首だ。さすがに時代を遡りすぎてよく分からない。 「大昔ではないけど、いくつか知ってる。……こんな歌」 新は少しだけ目を閉じて記憶を確かめてから、その歌を詠んだ。 『真中の小さき黄色のさかづきに甘き香もれる水仙の花』 「素敵な歌だね。誰が詠んだの?」 千早が尋ねると、新はまたしばらく記憶を手繰って教えてくれた。 「ええー……っとな、木下利玄って人。名前ぐらいしか覚えてえんくて、ごめんな」 俳句には水仙を詠ったものがもっとあるらしい。帰宅したら調べてみようと千早は水仙の香りの中で思う。 「ううん。……水仙の話ってさ、さっき由宇ちゃんに謝った、過去の時間に入れないってヤキモチ妬いた時に、いつか見せたいって言ってくれた事だったけど。叶えてくれてありがとう、新」 「うん。季節変わると違った眺めもあるし、また来ような」 新は笑って言ってくれるが、急にきょろきょろと辺りに視線をやりだした。 「どしたの……、っ?!」 何かあったのかと思っていたら素早く唇を重ねられた。啄むような軽いキスとはいえ、屋外には違いない。千早はどうしていいか分からなくなる。 「こんな、とこで……って、……やだ」 「……どこでやったら、していいんや?」 耳元を撫でられて咄嗟に言葉を返せない。こんな場所で声だけは上げたくないと、新の手を探り当てて掴んだ。 「あ、の……。さっきの、拒否権とかって……仕返し、なの?」 どうにかそれだけ口にする。 「なんも? 名人戦の準備してた日、千早が言うたのと、おんなじ」 掴んでいた手を新が繋ぎ直して言葉を継いできた。 「せっかくの今日やから、二人だけで一緒に居たいって思ったんや」 「……うん」 小さく頷いて、車に戻る。 「まあ、とにかくまずは夕飯やな」 「お勧めある? 新」 ソースカツ丼は昼に食べたから、夕食もぜひ新のチョイスで行ってみたいと千早は尋ねる。 「居酒屋で良かったら、知ってるけど。……車やで酒は飲めんけど、魚とか美味い」 二十歳を過ぎてから、帰省の際に連れていかれた事が何度かある、と新は続けた。 「温泉のすぐ近くやから、気が向いたら足湯寄るのもいいの」 「足湯って、あれだよね? こう……足首までお湯に浸かるやつ」 千早が問いを重ねると、新は笑って頷いてきた。 「ほや。駅の近く……ってローカル線の方やけど、そこにあっての。んーと、ちょっと待ってや? ほらこれ」 新は携帯電話を操作して、観光サイトの紹介記事らしい画像を見せてきた。よくテレビで見かける屋根と柱だけの物ではなく、木造の立派な建物が写っている。 「誰でも無料で使えるんや、ここ」 「え、何でそんなに気前良いの?!」 これが無料だとはにわかに信じがたくて、つい大きな声を出してしまった。 「ようけ源泉あるで」 至極あっさりと新は答えてくる。 「うわあ……なんか本格的。観光客だけじゃなくて、地元の人も利用してるんでしょ?」 「うん。どうする?」 「行きたい行きたい!」 これに飛び付かないのは勿体なさ過ぎる。足湯がきっと気持ちいいだろうと思った事もだが、地元の人間も利用すると聞いて、話す機会があるかもという期待が大きかった。 「ほやったら足湯行って、もうちょい腹減らしてから飯行こっか? さっき言(ゆ)った居酒屋も、観光客と近所の人間混ざってるでさ」 「やったあ! いいプランありがとう、新!」 なんだかワクワクしてしまう。おれは添乗員でないぞ、と新は笑って言い返してくる。 「って事は、こっからUターンやな。千早、シートベルト」 「はーい」 子供のように返事をして、シートベルトを締めると車は滑らかに走り出した。 「んー、満喫したあ! お腹一杯だし、色々喋れたし、収穫いっぱいだよ」 居酒屋を出た千早は新の腕に飛び付いて笑う。 「また驚かせつんたなあ」 かるたの事で地元の人間の多くは新を見知っている。その新が婚約者を連れてきたと聞いて店内は大騒ぎになった。 「凄かったねえ」 追加注文した料理を自分達からのお祝いだとテーブルに運んでくれ、千早は目を丸くしながらも楽しい夕食の時間を過ごした。 「でも赴任してくるの楽しみやー、って言ってくれて、嬉しかったなあ」 プロポーズを受けた時、地元の人にうまく受け入れてもらえるだろうかと思ったのは杞憂だったと愁眉を開く。 「……千早には構えたとこがないでの。出身地とかすっ飛ばして、性格とかの内面で見てもらいやすいんやな」 「都会人」とお高くとまって見える態度だったら、どれだけ千早本人の性格が良くてもそのフィルターがかかってしまうだろう、と新が答えてくる。 「まあ……もし千早がそんなんやったら、おれかって好きにならんかったやろうし」 もしかしたら、かるたを教える気さえなかったかも知れないと千早の目を見て穏やかに言葉を寄越してくれる。 「一緒になってメモったりしてたかも知れない。かるたを知らないで、綿谷くんまた転校するんだ、ぐらいにしか思わなかったかも知れない。……自分の『もしも』って話だけど嫌な子だなあ、それ」 かるたを教えてもらえた自分で良かった、と千早も視線を合わせて静かに言葉を継いだ。 これもまた無料の、駅近くの駐車場に車を取りに行く。エンジンを掛けた新が腕時計を確かめて顔を向けてきた。 「そろそろ、行こ。……少し走るけど、構わんか?」 「え……えっと……うん」 それ以上どう言っていいか分からない。 「……ありがと」 辺りが暗くなったのをいい事に、新にまた唇を奪われる。水仙を眺めていた時よりも深く。 「ぁ……」 さすがに今度は声を抑えられない。唇が離れた途端、新がアクセルをゆっくり踏んで車を発進させた。かなり広い道路を走っていった先で急に道幅が狭くなり、路肩の所々で光っているネオンや看板を直視できなくなった。 「結婚決めたんやで、気にせんでもいい。親と同居してる夫婦とか、たまに利用するらしいしの」 気に入った看板があれば遠慮せず言えと少し強い調子で言われてしまう。また道幅が広くなったあたりに、何となく可愛らしい看板と建物があるのが千早の視野に飛び込んできた。 「……じゃあ、ここ……」 「ん、分かった」 新は素早くハンドルを切り、ゲートを潜って空いているガレージを見つけるとさっさと車を駐めてしまう。 「ここ、それぞれが独立してるんやな。他の人と顔合わさんでいいみたいや」 おいで、と言われてようやく車から降り、新が差し出してくれている手にそっと掴まって先導してくれるままに歩いていった。 |