POSSLQ 12
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「美味しかったー!」 再び駅前から新の実家へ歩きながら、千早はうん、と伸びをした。 「いい部屋空いてたって報告しとこ。……おれの部屋の荷物が卒業式ギリギリまで動かせんのが痛いんやけどさ」 部屋で使っている家具や家電を運び出してしまっては、三食すべて外食で、部屋では雑魚寝になってしまう。 「仕方ないよね、それは。……けど新に言われて貯金しておいて良かったあ。とりあえずさ、三月入ったら一度また一緒に来ようよ。家具買うの手伝って欲しいんだ」 「うん。まあいっぺんに全部買わんでも、生活しながら『あ、これ要るな』っていうのを足してけばいいしの。これも楽しみの一つやな」 あと必要なのは、と新が指を折りながら言ってくる。 「東京の役所で転出届出して、引っ越したら転入届け出さんとの。住所不定なってまう」 「……住所不定の名人とクイーンとか、なんかやだ……」 千早の呟きに、新は可笑しそうに笑って返してきた。 「ただいまー」 さっきと同じに新は普段の口調で玄関を開ける。 「ただいま帰りました」 千早はほんの少し照れくささを覚えながら、初めてこの家に「ただいま」を言った。 「あー、お帰りー。下見、どうやった?」 「いいとこ空いてた。ほやで申込書だけ千早が出しといたんや」 新の答えに麻里が怪訝そうな顔をしていて、千早は口を開いた。 「最初から新の名義にしたかったんですけど、今だけ私の名義にして、後で変えようかって話になりました」 新が部屋を引き払う時の手続きや、先に荷物を送ってしまう訳にいかないという理由を二人で説明していく。 「……私、すごく気に入っちゃいました。間取り図とかのコピー頂いてきたんです」 千早はそのコピーを新の両親に見せる。 「あら凄いんやの、二間も和室あって。保証人とか、どうするんやろ? 私ら、なっとけばいいんか?」 その問いには新が不要だと答えてくれた。 「じいちゃんのネームバリューもあったで、細かいとこ融通できるとこは融通してくれるって言うてた」 かるたには興味がないと新から聞かされていた彰までが、祖父の名が持つ影響力に感心したような声で頷いている。 「その帰りに駅前で、ソースカツ丼食べて帰ってきたんです。すごく美味しいですね」 「千早、沢庵炊いたやつかって美味いって食っとったもんなあ」 胃袋はおれより福井の人間や、と言われてしまった。 「千早ちゃん食べた事あったんや? 沢庵の炊いたん」 「はい。一年の時……だったと思うんですけど、私、熱出しちゃって……」 問うてきた麻里に、新が大学から一番近い自分の部屋まで負ぶい、原田先生に往診を頼んでくれたと千早は答える。 「その時お粥作ってくれて、食欲あるならって……えっと、お母さん……が送ってくれたのを出してくれました」 少しつっかえながら、千早は新の母を初めてそう呼んでみた。 「……お母さんって、嬉しいのお。もう遠慮せんと、どんどん呼んでの?」 沁みるような声で麻里が言葉を寄越してくれる。 「母ちゃんが嫁来た時も、最初にお袋の事呼ぶの緊張してたしの。歴史は巡るっちゅうやつやな」 「……すぐに、じいちゃんばあちゃんって呼ばれるんかも知らんけど」 からかうような彰の目が新に向けられていた。 「……千早の家の人と真逆な事言われたかって困るんやけど……」 「お姉ちゃんのあれは気にしなくていいってば。冗談だって新も分かってるくせに」 ぼやく新にそう返すと、新の両親がどういう事なのかと尋ねてくる。 「えっと、姉の千歳はモデル……っていうか女優なので、おばさんって言葉嫌がるんです。漢字で書ける方の伯母さんなのに」 「ちとせ……? ああ、分かった!」 何か思い当たったのか麻里が急に大きな声を出した。 「あの子お姉ちゃんやったんや?! ほら父ちゃん、新の部屋に写真集あったがし!」 「なっ、何でもかんでもバラすなや、母ちゃん!」 母に暴露され、新は耳まで赤くしている。 姉の写真集という単語で千早はふと思い出した。 「あれ? 写真集出た時、私、新に知らせたっけ?」 「……バイト先にあった」 さっきより真っ赤になった新がぼそりと呟く。 「なあんだ、言ってくれたらお姉ちゃんにサイン頼めたのに」 「……」 どうも新には何らかの追い打ちになってしまったのか、千早の顔に視線を据えてきた。 「耳、貸しね千早」 そう言われて口元に耳を近付ける。自分が写真集を買ったのは、似た面差しが千早の水着姿に見えたからだと囁きかけられ、千早は自分の顔が熱くなるのを止められない。 「……リ、リアクションに困る……んだけど、それ……」 それに新はしれっとした顔で追撃の仕返しだと言葉を返してきた。 「仲良きことは美しきかな、やの、父ちゃん」 「初々しいて、いいがし」 両親の言葉に今度は二人揃って真っ赤になる。 「父ちゃん、明日まで車借りていいか? 栗山先生んとこ挨拶行くのと、折角やし景色とか見せたげたいでさ」 多少赤面が引いた新が父に切り出した。 「貸すのは構わんけど、何で明日までなんやし? 今日ここで寝るんやったら夜までで十分なんでないんか?」 「そうだよ、新。借りっぱなしとかって……」 景観のいい場所が多いと言っても、四月からここで生活するのだから慌てなくてもと千早は新の顔を見る。 「よそ泊まるでや。車、朝返すでさ」 「……え?」 驚いた声が三つ、居間に響く。その場で唯一表情を変えていない新が言葉を継いだ。 「おれら籍まだやけど、新婚さんみたいなもんやがの。ここで寝るとか野暮言わんといて」 「え、ちょ、新?!」 赤面が引いた新とは逆に、千早は更に顔が赤くなる。 「……千早に拒否権ないでの。名人戦の準備ん時の話、忘れたとは言わせんざ」 クイーン戦の前々日、新のアパートに泊めてもらうと自分が言い出した事を持ち出されて千早は逃げ道を塞がれた。 「新、あんた……千早ちゃん固まっつんてるがし」 「おれ個人の我が儘やって言い換えたかって構わんけど。……先生んとこ挨拶行くで、早よ立ちね」 かなり強引に腕を引かれて床から立ち上がらされた。南雲会の栗山先生に挨拶に行くのは確かにその通りなのだが、何と言って出掛ければいいのか千早は困惑する。 「かるたん時と同じでいいざ?」 二人分の袴を抱えた新に見透かされたように言われ、耳が熱いまま辛うじて千早は口を動かした。 「……し、しつれい、します……。あ、あのっ、明日の朝、またちゃんとご挨拶させてください。……お父さん、お母さん」 言い終わるやいなや、背中をぐいぐい押される。 「挨拶とか畏まらんでいいでの。ただいまー、って入っといで?」 妙に強引な息子へ苦笑を一つ見せ、麻里がそう言って送り出してくれた。 栗山先生への挨拶を済ませた帰り道、運転席の新に千早は視線をやる。 「先生もやけど、居合わせたもん全員おんなじ顔で驚いとったな」 千早がこちらで教員になるという挨拶にもかなりのインパクトがあったのに、新がそこへ結婚という燃料を投下して、二人が目論んでいた通り、「綿谷先生」が三人になると南雲会は大騒ぎになった。 「……そこまで驚かんかったのって、村尾さんぐらいか。前に相談乗ってくれたし」 高二で出た決定戦の後開かれたクリスマス会の席で、メール一通さえ今まで通りに送れなくなっていた新を訝しんだ村尾が諭すように教えてくれたと新が話してくれる。 「人には色んな意味の『好き』があって。人と自分とではその『温度差』が違うこともある、って言ってくれた」 千早に向ける「好き」と、友人たちへのそれは当然意味が違う。そしてそれは千早にも同じ事が言える。それを分からないでいると、千早からの返事に舞い上がって自分だけが突っ走ってしまうかも知れない。 「おれの『かささぎ』は東京に向けて必死に橋掛けてるとこやけど、長い橋やから土台がしっかりしてえんと崩れてまう。うまく掛かるといいの、って……言ってくれてたんや」 懐かしそうな目で新はその時に村尾が掛けてくれた言葉を呟いていた。 「村尾さん、素敵な言葉くれたんだね。……クリスマス会って事は、ちょうど同じぐらいの日かな……」 姉直伝の特殊メイクでサンタクロースになった写真を新にも見せたいと思ったのに、と千早は話す。 「私もなんか気軽にメール出せなくなってて。うちの窓から空を見上げてた」 吐き出した息が白くなって、一瞬だけの橋を「かささぎ」が掛けてくれたように思えた千早は、福井まで届いて欲しいと「メリークリスマス」とだけ呟いた事を新に話す。 「……千早もやったんか。おれも空見ててさ。珍しく雲が切れてたで同じ事してた」 工事中の「かささぎの橋」でも、ちゃんと繋いでくれていたと新は穏やかな笑みを寄越してきた。 その話が一段落ついて、新は話題を変えてくる。 「さてと。千早、どこ見に行きたい? おれ分かるとこやったらどこでも連れてくでさ」 そう問われて千早は少し考える。景色、は新が水仙を見せてやりたいと言っていた。ちょうどさっき、由宇に話した「過去への嫉妬」について新と話していた時の事だ。 「えーっとね。水仙見たいんだけど、その前にもう一カ所見たいなって」 「もう一カ所って?」 微笑みを浮かべて千早は答える。 「藤岡東。入れるんなら、部室も見たいなって」 「うん。ほんなら母校経由して越前海岸行こっか」 車はゆったりと走り出した。 |