POSSLQ 7
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松が開けて数日後の金曜日。まだ着慣れないかっちりしたスーツやコートに少し窮屈さを覚えながら、新は千早の家のベルを鳴らした。 「いらっしゃい、新」 門のところまで千早が出迎えてくれる。 「うん。……家の人、どんな感じやろ?」 「会って欲しい人がいるんだって言ったら、お母さんとかはあっさり。お父さんは少し難しい顔してたけど」 きちんと頭を下げて頼んだから会うって渋々答えてくれたよ、と千早は笑って教えてくれた。 「門前払いされんだけでも、おれは嬉しいわ。色々話しといてくれたり、今日の事も、ありがとう」 以前千早は不安を吐露していたが、新にとっても今日は大一番で、いつもホッとさせてくれる千早の笑みを目にしても、まだ少し緊張が抜けきらない。試合のように拳で自分の胸をどんと叩いて気を引き締め直す。 「おれ今日は言葉とか違うし、千早も違和感あるやろうけど……吹き出さんといてな?」 「私だって新に『さん』付けだし……。笑わないでね。……行こ?」 普段の口調はここまでだ。千早に先導され、新は綾瀬家の玄関を潜った。 「あけましておめでとうございます」 出迎えてくれた千早の母に今年になって初めて顔を合わせる挨拶をする。 「あけましておめでとうございます。どうぞ上がってちょうだい。コート、そこに掛けていいわよ」 「ありがとうございます。これ、地元のお菓子なんです。お口に合えばいいのですが。どうぞ皆さんで召し上がってください」 新は一礼して羽二重餅が入った包みを千恵子に手渡し、きちんと磨いてきた革靴を揃えた。 「名人戦、明後日だったかしら」 「はい。千早……さんも同日です」 慣れない呼称に少し言葉が詰まった。 「……違和感ある……」 小さな声で言う千早に困ったような視線をやりながら人差し指を口に当て、二人に案内される形でキッチンと続きになっているリビングへ、その先の初めて入る和室へ向かう。 「……さ、どうぞ」 千恵子が襖を開け、次いで千早が中に入った。 「失礼します」 新は通路できちんと正座になって一礼する。 千恵子に座布団を勧められ、新はようやく立ち上がり下座で正座し直した。斜め前、上座に千早の父が腰を下ろしている。表で千早に聞かされた通り、やはり健二の表情は硬い。千早の姉は興味ないわよと言いたげな顔をしていたが、それでもこっそり目配せしてくれる。 「お父さん。こちら、綿谷新さん。……新、さん。両親と姉です」 千早も普段使わない「さん」付けはやはり違和感があるらしく、新と同じつっかえ方で家族を紹介してきた。 「綿谷新と申します。よろしくお願いします」 畳に手を付いて初対面の挨拶と、千早と交際中だという事を先に述べて名乗る。以前も何度か顔を合わせた事はあって挨拶はしていた。が、言葉は悪いがそれは「居合わせたから」であって、千早の父に会うために訪問するのは初めての事になる。 「……千早の、父です」 口調は固いが、社会人歴が長いだけあって挨拶は返してくれた。 「新くんは以前、千早をトラブルから守るって頑張ってくれたわね。あの時は大変だったでしょ」 千早が自分について色々と話しておいてくれた中でプラスになる事から、千恵子が改めて問うてくる。新は丁寧さを心がけ、自分や家族の事や福井の事、かるたの事、今後の進路の事を順に答えていった。 「お勤め先も決まったのよね?」 「はい、四月から市役所勤務です。配属先はまだ分かりませんが」 新が突破したのが上級公務員試験という事を千早が先んじて告げる。健二は何も言ってこないが、千早たちの質問から新の情報を得ようとしているようだった。一通り話し終えた新は「難波津」を頭の中で読み上げて、座布団を外してもう一度畳に手を付いた。 「ずっと二人で話し合ってきましたが、先日、申し込みを千早さんは受けてくれました。その上でお願いがあって今日は伺わせて頂きました」 予想していた静かな緊張感が部屋を満たす。 「───千早さんと、結婚させてください」 単刀直入に言い切って深々と頭を下げた。千早がそれに続いて頭を下げてくれ、健二の口から深々と溜め息が漏れた。 「……とにかく、顔を上げなさい」 その言葉に二人で素直に頭を上げる。 「綿谷くん、だったね」 はい、とだけ新は答える。ちょっと質問がある、と健二が口を開いた。 「何でしょうか」 「私が許さないと言ったら」 「何度でもお願いしに来ます。おれって人間を知ってもらって、認めてもらえるまで。たとえ何年かかってでも」 普段の一人称を使ったが、その方が新の本音を表しやすい。間髪入れず答えた。 「何年かけても、と言い切るだけの理由があるのかい」 かるたでは狙いを変える事もあるが、と話し出す。 「千早さんは競い合って、高め合って。支え合って寄り添って。同じ物を見て一緒に生きていきたい唯一の女性です。それは誰も取って代われませんし、代えたいとも思いません」 共に進んでいきたいという思いに気付いたのは高校二年の時だった、と率直に語った。 「高二って、まだ十七じゃん。そんな頃に人生決めてたって事?! えーと、アラタくんだっけ?」 興味なさそうな顔でやり取りを聞いていた千歳が驚いて割って入ってきた。 「はい。誕生日が遅いので実際は十六でした」 そう言ってから千歳に、そして聞いているだろう健二に向けて続きを話す。 「小学六年で知り合って以来、千早さんはずっと特別な相手でした。それが自分にとってどう特別だったのか自覚したのがその時で。それが分かったからその場……名人戦の挑戦者決定戦が終わったばかりの会場で言いました」 「……だから私も同じ気持ちだって新さんが大学に入った時に返事をしました。今日のことも、私もちょっと心配だって聞いた事もありました。でも新さんの答えはずっと同じでした。分かってもらえるまで何度でもって。それも私は同じです」 千歳との会話に千早の父が何度か溜め息を漏らしているのが聞こえた。 健二が向けてきた、きっとした視線を新は正面から受け止める。 「綿谷くん。娘が欲しいなら……殴らせろ」 座布団から立ち上がり、さらに厳しい顔付きになった。 「え、ちょ、お父さん?!」 健二の言葉に隣に座る千早は狼狽えて父と新に視線を振っている。 「はい」 新は静かに一言だけ答え、眼鏡を外して千早に預けた。 「新っ?!」 普段のまま名を呼んだ千早がぎょっとしてこちらを見ている、らしい。いつもは裸眼の時には目を眇めてしまうが今日はそれをせず、声がする方向で分かる千早の父に試合中のような顔で向き直った。 「……」 何度目かの長い溜め息を新の耳が拾った。 「眼鏡を……返してあげなさい。千早」 「あ、はい」 千早が慎重に新の手に眼鏡を乗せ、新は礼を口にして視力を取り戻した。父は新の覚悟を知るために言った事らしい、と分かった千早はほっと一つ息を吐く。 「───『新くん』。一つだけ……これだけは、約束してほしい。……千早を、泣かせないでくれ」 千早の父は初めて新を下の名で呼んだ。後に続く千恵子は柔らかい目で新を見て、言葉を紡いだ。 「まだまだ未熟で頼りない子ですけど、娘をよろしくお願いします。……新さん」 二人からそれぞれに娘を託す言葉をもらい、新は折り目正しく頭を下げて応える。 「ありがとうございます。ずっと笑っていてくれるように、幸せにするように。精一杯の努力を一生続けます」 「お父さん、お母さん。ありがとうございます。私も自分の夢、新の夢、二人の夢。ひとつひとつ叶えていくため二人で頑張っていきます」 隣で深く頭を下げて両親への礼を言葉にした千早の瞳に涙が滲んでいる。新はハンカチをそっと手渡した。 |