保湿系トライアルセット

Photograph 

新と千早の大学生活



 新と一緒にレポートを書いていた千早は、どうしてだか一つの英単語の綴りを忘れてしまった。何度か思い出そうと頑張ったものの、他の言葉ばかり頭に浮かんで肝心の単語が結局出てこない。
「新、辞書貸りていい?」
「うん。一々断らんでいいざ、ほんなもん」
 手元のレポート用紙から顔を上げないまま新が答えてくる。礼を言って本棚から辞書を引き抜いた時、うっかり他の本まで巻き込んで落としてしまった。
「あー、やっちゃったー……」
 雪崩落ちた本を戻そうとした時に一緒に別の物も落としていたと気が付いて、千早は床に散らばった写真を手に取ってみた。

 (あ、これ見た事ある。昔のアパートに立ててあったっけ)
 トロフィーを手にしている小学生の頃らしい新と祖父が写っている。他の数枚は比較的最近、南雲会で撮ったものだろう。栗山先生や村尾など千早も見覚えのある会員と一緒に、少し照れたような新が居た。
(……あれ?)
 一枚だけやけに印画紙の裏が日に焼けているものがあり、ついついそれを表に返して視線を落とす。そこにはどことなく新に面差しが似た袴姿の男性が微笑んでいた。
(とりあえず、横にまとめておこう。……レポート上げてから聞けば教えてくれるだろうし)
 こういう時に脱線すると新は本気で怒る。借りた辞書で思い出せなかった単語のスペルをチェックして、千早はレポート用紙に意識を戻した。

 「あー……終わったあー……」
 最後の一文を書き終えた千早は溜め込んでいた息を長々と吐き出す。辞書で単語を調べたり、落とした写真をまとめていた分、新の方が先に仕上がっていたようで、お茶を出しながら労ってくれた。
「ありがとう。……あ、そうだった。辞書出した時これも落としちゃって。どこに仕舞ってたか分からなかったから脇にまとめておいたんだけど……ごめんね」
「後でおれ片付けとくで、気にせんでいいざ」
 重ねた数枚の写真を手渡された新の瞳がふっと笑む。
「懐かしいの。昔こっち越してきた時、お守り代わりに持ってきたやつや。……おれ何年生やったかな、これ撮った時」
 千早が思った通り、祖父と一緒に写っている一枚は昔のアパートにあった物だった。
「このトロフィー、全国優勝した時の?」
「した時って。おれ五年連続やがの。ほやで逆にいつ撮ったんか曖昧なんやけどさ。三年生やったっけ四年生やっけ、とかって」
 その曖昧さが羨ましい、と千早は笑って言葉を返した。

 「こっちは……あ、道場で撮ったやつかあ。地元の雑誌で紹介するでって」
「雑誌?」
 首を傾げた千早に、地方紙に大会結果が載る他に、地元限定で発刊されている雑誌でかるたの特集が組まれる時、何枚か撮られると新は説明する。
「え、特集? いいなあ……」
 さっきよりも羨ましさを強めた声が千早の口から飛び出した。
「バックナンバーあれば、記事は見せれるんやけど、実は結構大変なんやよ? 取材する人らかって時間決まってるでさ。定位置とかどうでもいいで中盤っぽく札並べて『そこ取って』とか」

 普段通りに払うとシャッター速度が追いつかないせいで、向かい合った相手と「どの札に手を出すか」を先に打ち合わせておき、何が読まれようと関係なく決めた札を「多少ゆっくり」払う、と苦笑しながら新は取材の内情を暴露した。
「でも払ってるベストショット狙うんだよね? ……逆に難しい感じ」
 それに頷きながら、少しでも競技かるたに興味を持って欲しいから、かるた歴も級も関係なく居合わせた全員で協力するのだと付け加える。
「まあ『取りづらー』とか合間に文句は出るけど。おれも言(ゆ)った事ある」
 驚いた千早の目が丸くなる。まさか新の口からかるた絡みの愚痴が出るとは思っていなかった。それでもその話は興味深く、またどことなく可笑しくてクスクスと肩を震わせた。

 「ほんで、これは……じいちゃんや。若い時の」
 一枚だけ古びたその写真をかざしながら、新が言う。
「あ、それで新に似てる気がしたんだ……」
「……これ確か、名人なってすぐ……まあ獲ったばっかではないけど、そんなような頃やとか聞いたな」
 ずいぶん昔に一度対戦した事がある、と新との試合前に原田が告げてきた前後に撮られたものだろう、と笑いながら言葉を継いだ。
「強かったって先生言ってた。カッコいいなあ……」
「……おれ、どうリアクションしたらいいんや、それ……」
 祖父への称賛は嬉しいし誇らしい。そして好みのタイプはという質問に千早が「かるたが強い人」と即答する事も知っているが、つい祖父であっても嫉妬したくなる自分も居て、どうにも複雑な気分だった。

 千早は再び写真に視線を落とした。
「眼鏡掛けてない時の目から鼻筋にかけてが多分、一番よく似てるんじゃないかなあ」
「……眼鏡外してもたら、おれが見えんし。似てるんかどうか判断しようがないわ」
 コンタクトレンズを使えば分かるのに、と言われて新は吹き出す。
「写真見るためにコンタクト買う奴なんて、きっと世界でおれだけや」
 新の視力なら眼鏡の方が矯正は楽だ。それに小さい頃から掛けている分、邪魔に感じた事もなかった。
「んー……ちょっとさ、前髪おんなじように上げてみて?」
「……この写真みたいにか? ……まあ、いいけど」
 新が手櫛でざっと前髪を上げたところに千早の手が伸びてきて、いつも掛けている眼鏡をぱっと外した。

 「ちょ、いきなり何やし?! 眼鏡返してや」
 たとえ千早でも、それだけは困る。咄嗟の事に目を眇めるより早く、前触れもなしに閃光が走った。
「うわ?!」
 驚いて固まった新の顔に、千早がそっと眼鏡を掛け直してきた。
「ごめんね、急に外して。……ほらこれ」
 指先でフレームを押し上げている新の目の前に、携帯のディスプレイが差し出される。前髪を上げて眼鏡を外した自分の顔がそこにあった。
「……もしかして、眼鏡外したら見えん、って言(ゆ)ったでか? 先に言いねの……」
 もう少しで千早相手に本気でキレてしまうところだった、と新はぐちぐち言いながら、それでも画面に目を落とす。少し頭が冷えてくると、写真は苦手だと普段から口にしていたから千早は不意打ちしたのではという考えが浮かんだ。
「これ怒る直前やしなあ。何とも言えんわ。千早、もう一枚撮ってみて」
「うん。無理にどっか見なくていいから、目、細めないでね。……けど新から言い出すなんて、明日は雨、ううん大雪?」
 そこまで言うかと表情が少し緩んだ時、千早の携帯からシャッター音が聞こえた。

 一枚目よりは数段マシな表情を捉えた画像を見て、新は少し考え込む。
「似てる、んかなあ……。じいちゃんの方が何か、余裕たっぷりには見えるけど」
 直系の孫だから似ていると言えばそうなのだが、全体的な印象が違うように新の目には映った。
「けど原田先生は、錯覚起こすぐらい似てたって言ってたよ? 顔立ちだけじゃなくて、かるたも」
 あの時は新自身も意図的に似せようとしていたから、祖父を知っている者ほどそう受け取っただろう。
「それにさ? 初めて源平戦した時の新も、すっごいケロっとしてたけど? 私が担当してた一字だって勝手に取るし」
 さっき出た話ではないが、五年連続で優勝を果たした自分より速く「ふ」に反応した千早に一枚取られてしまったから、新自身はむしろムキになって取った記憶の方が強い源平戦だ。自分と千早とで、同じ試合への印象がかなり違うという事が興味深かった。

 「じいちゃんが余裕っぽいのも、そうなんかな。……おれの『神様』やで、そう感じるんやろか」
 その言葉を聞いて千早の表情は少しだけ曇った。会えなかった頃は自分も新を「かるたの神様」と思っていた面もある。ただ新本人が周囲、特に千早がそういう目で見るのを嫌がっていたから、自然と言わなくなった事でもあった。
「そうかも、……知れないね」
 伏し目がちな千早の呟きに普段と違う響きを感じた新は記憶を辿る。紙を破いている過去の音が脳裏に甦って、今の声音が異なっていた理由は自分の一言だと気が付いた。
(普段おれが神様呼ばわりは嫌や、って千早に言(ゆ)っといて、自分が言うとか配慮なさすぎや……)
 その写真を普段仕舞っている場所から、一通の封筒を取り出して千早に見せる。
「今のは、おれの失言や。ごめん。写真入れてるとこ、おれ『宝物置き場』って呼んでるんやけど。これ覚えてるやろか。千早が昔、おれ宛に書いてきた手紙。……ごめんな、手紙の方はおれ、あん時破いてもたんやけど全部拾って入れてある。……ほやけど、おれにとっての宝物はこっちや」
 封筒の中身をざあっと床に広げる。破れた便箋と一緒に饅頭の包み紙に書き付けたメモの束。千早の目が見開かれた。

 「おれが『かるたの神様』になってくみたいや、って手紙に書いてあったけど。おれの背中押してくれたメモ、こんな一杯書いてきた千早は、言(ゆ)ったら『かるたの女神様』やし。……ほやで、もうそんな顔せんといて?」
 新は穏やかに笑っているが、紡がれた言葉に千早の耳がひどく熱くなる。
「お、大袈裟すぎだよ、それ……め、女神様とか。って言うか、新って時々さ、思い切った事……言うよね」
「……ほうか? 本音言(ゆ)ってるだけやけど」
 千早の赤面はますます酷くなる。それでも新の表情から受けた、ひとつの印象がそのまま言葉となった。
「その余裕っぽさ、お祖父さんとそっくりだよ、新」
「……え? おれ、そう見えるんか? 何かちょっと意外やけど。……ありがとう」

 




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written by Hiiro Makishima