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No Regret in Tokyo 7

新の春休み



 百貨店のベンチに腰を下ろして二人は一息入れる事にした。
「新、明日の高速バスは夜だったよね?」
「うん。乗り換えの都合もあるけど、やっぱ折角こっち来るんならトンボ返りは勿体ないしの」
 一緒に居られる時間を可能な限り長く取ったというのもあるが、新にとってはもう一つ、帰る時に見送られるのを避けたいという気持ちもあった。二度の引っ越しを余儀なくされたためか、人に見送られての別れを新は未だに苦手に感じてしまいがちだった。
「……あれ? でもホテルのチェックアウトって午前中でしょ? 荷物邪魔になったりしない?」
「荷物ったかって、ジャージとかやし。試合出るのと変わらんよ?」
 千早も近江神宮へは泊まりがけの荷物持参で行くだろう、と新はあっさり答える。
「そっか。……ところでこの後、どうする? どっか行きたいとことかある?」
 納得した千早は話題を変えてきた。
「ん、あのアパートって今もまだあるんかな、ってのはちょっと思ったけど……流石にもう建ってえんかもの」

 二人で初めてかるたを取ったあの古いアパートでの時間は、忘れられない思い出であると同時に、今の新にとって試合の際に心をリラックスさせられる「強さの源泉」とでも言うべきものだ。
「あ……と、どうだろ……。私も分かんないや」
 他の場所ならともかく、もし取り壊されていたら新がどう感じるのかが不安で、見に行こうと即座に言うのが少し憚られて千早は口ごもる。
「まあ建物無(の)うなってても、気にせんよ。……ここに、ちゃんと残ってるでさ」
 新は手の平で自分の胸を押さえて穏やかに言葉を返した。
「おれ、ほら……かるたやめてた時にさ、千早から近江神宮に会いに来てってメール貰ったが? あん時、運営の吉岡先生とも顔合わせたんやけどさ。吉岡先生がおれの顔見て『綿谷先生にまた会える。きみのかるたは先生そっくりだから』って言うてくれての」
 千早は無理に言葉を挟まず、小さく微笑みながら新の話を聞いている。
「確かにじいちゃんは死んでもたけど、おれの中にはじいちゃんが居る。あのアパートかって、同じや。おれが忘れようとせん限り、ずっとおれの中にある。……まあ、建物残ってたら見てみたいのも本音やけどの」
 照れたのか、新は最後の一言を早口で付け足すように言ってきた。
「……行ってみる?」
「ほやな。行ってみよっさ」

 千早の自宅がある府中へ向かう電車の中でも話は尽きない。
「聞いてもいいか? 千早、中学ん時陸上部やったのは知ってるけど、陸上に決めた理由とかって何かあった? 他にも運動部あったやろしさ」
 もちろん、当時の千早がかるた仲間を見つけようと孤軍奮闘していた事は新も知っている。尋ねたのは単純に陸上という「種目」に決めた理由だった。
「あはは、新。原田先生と同じ事言ってる。……いくつか理由はあったけど私自身の事で言うんなら、まず体力付くでしょ? それにスタートの合図で飛び出すのって、読手さんの一音目で出るのと同じだから。……あと、球技は突き指とかあるからパスしたかったし」
「……ああ、なるほど、言われれば納得やなあ」
 唯一、当時一緒にかるたを取ってくれた先輩が陸上部だったというのも理由の一つだし、かるた熱が高じて学校で浮き気味だった事もあり、普通の友人が出来たらと思ったのもあった。そう話す時だけ千早は少し寂しそうな顔になった。
「……でも、白波会の練習に行っても大人の人が来るまで一人だった事の方が、寂しかったかな。太一は学校忙しくて殆ど顔出せなかったし、ヒョロくんは北央のかるた部で練習するようになっちゃったから」
 一番仲が良かった太一も中学一年の大会でB級になったものの、その優勝を機に一旦かるたを辞めてしまった。
「……おれら三人とも、会えんかった間に色々あったんやな。高校入って、またかるたで一緒やって……今は凄い嬉しい。大会では敵同士やけどさ、ほんでも」
「嬉しいよね」
 新の言葉を奪うように千早が答え、顔を見合わせてにっこり笑った。ちょうどその時乗っている電車が駅に滑り込む。

 「ああ、なんか懐かしいわ、ここ」
 改札を抜け、うん、と伸びをしながら町並みを見やる新が呟いた。その側を小学生ぐらいの子供が数人笑いながら、競うように改札へと向かっていく。それがどこか六年前の自分達に重なって見えた。
「おれらも、あんなんやったんやなあ」
「……新、それじゃ何かお年寄りみたいだよ」
 しみじみとした口調の新に千早が返すと、新は顔を赤くしてふいと横を向いてしまった。
「行こ?」
 そんな新に千早が片手をさしのべる。
「うん」
 その手をそっと取って、懐かしいアパートへの方角へと歩き出した。

 「……あー……建て替えられちゃってるね……」
 四ヶ月間だけ新が家族と住んでいた住所には今もアパートが建っているが、外観はすっかり様変わりして今風の綺麗な建物に変わっていた。
「まあ、あの頃でも相当古かったしの。……千早かって来ていきなり、わーボロいねーって言うたぐらいやが?」
 心の中にあの風景がしっかり残っているとはいえ、やはりもうあの建物はないと思うと少し寂しい。新はわざと千早に憎まれ口をきいた。
「新だって払った札で襖に穴開けてたじゃん。べー、だ」
 何となく新の気持ちは伝わるから、千早も負けずに言い返す。
「……はは、ほやった。あの日さ、千早帰った後で実は母ちゃんにまーた襖に穴開けつんたんかー、って言われてもての。……ほやけど笑ろてたわ。新が初めて友達連れて来た日やで、大目に見よっかって」
 小さく笑いながら新は建て直されたアパートを見上げている。その片手に千早はそっと自分の指を絡めた。
「ん?」
 新が穏やかな顔でこちらを見る。
「あの部屋……残ってるよ。私の心の中にも」
 千早にとってもあのアパートの部屋は自分の夢の第一歩となった思い出深い場所だ。右手の手術中、新から電話でそう告げられた時、千早の脳裏にもあの日の部屋が色鮮やかに浮かび上がった事を思い出す。
「そうやな。おれらん中に残ってれば、ほんでいいよな」
「うん。……少し、歩かない?」
 千早の言葉に頷いて、手を繋いだままのんびりと歩き出した。

 「さっきちょっと思ったんだけど、新って小学生の時はもう渡って取ってた?」
 歩きながら千早が尋ねてきた。確かに東京に居た頃には渡り手を使っていた覚えがあまりない。
「うん。ただもっとチビやった頃……ほやなあ、大会出だしたぐらい? の時は、じいちゃんに止められてた。習ろてはいたけど、まず基本や、って。……実際な、背が伸びかけてた頃はバッタバタやったし、自分の身体やのに何か上手く動かんくて焦っとった」
 新はその頃の事を率直に話して聞かせる。頭の中に祖父の豪快な取りのイメージがあるのに、どうしてもその通り動けず、負けが込んでいた事。それを半ば怒鳴り、半ば泣くように祖父にぶつけた時、ふっと笑んだ祖父に「ほんな怖い顔して、かるた取ってるんか?」と言われた事。
「……あれ? 新からその話聞いた事ないよね、私。……なのにどうして今の言葉聞いたような覚えあるんだろ?」
 千早がしきりに首を傾げて考え込んでいる。その姿に新は小さく笑って種明かしをした。
「高一の時の、吉野会大会」
「ああ、そっかあ。じゃああれって、新のお祖父さんの……永世名人の言葉を新経由で教えてもらったって事なんだ。……何だか、凄く……すごい気がする」
 言葉としては壊滅的だが、千早が感じている事は何となく新にも伝わる。新は穏やかに笑んで先を続けた。

 「ほやな。……ほんでその時に、じいちゃんがイメージって言っても色々やって。自分の身体が一番軽く動いたのはどんな時や、かるたが一番楽しかったのはいつや、って聞かれての」
「一番かるたが楽しかった、時……」
 新の言葉を千早は小声で繰り返す。それでちょっと聞いてみたくなり、千早にとってはいつだと問うてみた。
「んー……一つに決めるの難しいなあ。どの試合も楽しいし。……でも忘れられないかるたなら、やっぱりあのアパートで取ったかるた」
 祖父に問われた時の自分と全く同じ答えが千早から返って来て、新の目が見開かれる。それから新の表情が朗らかに咲いた。
「何か、すげえわ。おれがじいちゃんから言われた時も、あの部屋で取ったかるたの事、おれも『忘れられんかるた』って真っ先に思ったんや。……何か、ホント、何やろ……凄いな」
 肩を震わせて笑う新の言葉も千早と同じにひどく感覚的なものになっていて、それに釣られて千早の肩も小さく震え始める。

 「何かね、嬉しい。……新と同じ事思ったり、言ったり。……顔を見てそれを話せるのが、嬉しいな」
 笑いが少し収まった頃、千早がしっとりとした声で告げてきた。
「おれも、おんなじ事思ってた。大学も一緒やったら一番嬉しいけど、違ってても楽しいやろな。……敵でも味方でも、千早と取るのは楽しそうや」
 千早が右手を負傷していた個人戦を見ていてそう感じた、と新は言う。
「一緒の大学かぁ……うん、確かにそれが一番嬉しいよね。私さ、また新ともチームにもなりたいって思ってたし。それに個人戦はどっちみち全員敵同士だもんね」
 同じ大学に入れば、個人戦では敵同士、団体戦では味方と両方の楽しさがあると千早がにっこり笑って返すが、急にはあ、と大きな溜め息を吐いた。

 「……何やし? ほんな溜め息ついて」
「あ、や……私さ、近江神宮の大会ってホント運がないなあって。一年の時は倒れたし、個人戦は二回戦で詩暢ちゃんに負けて。この前は団体優勝したけど怪我しちゃったし、個人戦はまた詩暢ちゃんと当たって準々決勝残れなかったじゃん」
 新のように推薦入学の権利を早めに獲得できれば、クイーン戦に集中できるのに、と千早は唇をとがらせた。
「あー、なるほどの。今年の高校選手権の個人戦で優勝か準優勝なら推薦取れるかもやけど……流石に簡単ではない、か」
 新にしてもA級個人戦にエントリーを予定しているし、瑞沢からは太一と西田も出てくるだろう。そして詩暢や富士崎の山城理音。誰とどの段階で当たるにしても決して楽ではない。
「……ほやけど溜め息吐くのやめときね。一つ溜め息吐くと、幸せ一つ逃げるって言うざ?」
「うぐっ」
 新に言われて千早は両手で口を押さえる。相変わらずの素直さに新はふっと笑んだ。
「まあ、おれに出来る手伝いっちゅうたら、明日の練習相手ぐらいやけど。……今んとこは」
 そう言うと千早の目が強い光を湛え出す。新とのかるたから、可能な限り色々なものを吸収しようというのだろう。
「……その意気や。時間許す限り付き合うでの?」
「ふふっ、何か小学生の時もしたよね、特訓」
 懐かしそうに笑う千早に、新も懐かしいと言葉を返し、千早を送るため自宅近くへと歩く方角を変えた。





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written by Hiiro Makishima