No Regret in Tokyo 5
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「……千早、身体何ともない?」 汗が引いてきてようやく落ち着いた新が尋ねる。 「ん、大丈夫……くしゅんっ!」 小さなクシャミが千早の言葉を裏切ってしまった。 「……湯張るで、ちゃんと暖まった方がいいの。風邪引いたらかるたどころでないやろ」 新はバネの利いた動作で起き上がると、ユニットバスに向かい蛇口を目一杯捻って大急ぎで風呂の支度をする。近江神宮での名人戦当日、酷い風邪を引いて観戦出来なかった新の説得力は凄いものがあった。 「あ、そう言えばDVD……見てる途中だったっけ……」 かるた、の一言で南雲会の道場で新と太一が取った四試合の録画の事を思い出した千早ががばっと身体を起こす。 「後での。まずちゃんと身体暖めてからや」 新は敢えて取り合わず、床から浴衣を拾い上げると千早の背中に掛けてやる。 「……はぁい……」 本当に渋々口にした返事を耳にして、新はプッと吹き出した。 「もう風呂の湯溜まるし。ほんな口尖らかしてもて……」 「だってだってー! 試合気になるし! ……くしゅっ!」 流石に二度もクシャミが出ては、千早もそれ以上録画を見たいとは言えない。 「上がったら、ちゃんと試合解説するで。……とにかく暖まってきね」 少し強い口調で新が言うと、千早はようやく立ち上がり、バスルームに向かった。その間に新もちゃんと服を着込み、床に散らばった浴衣帯やゴミ箱から狙いが逸れて床に落ちていたフィルムやティッシュを拾い、室内を片付ける。 「……残ったやつ、どうしたもんかな。持って帰らなアカンけど、部屋のどこに隠しとけば見つからんかなあ……」 今までは親が入って来ようと、幼馴染みの由宇が入って来ようと、新の部屋に「絶対見られたくない物」はなかった。多少の例外として、昔千早から届いた手紙や年賀状の束は照れ臭いから見ないで欲しい、衣装ケースに仕舞う前の下着類は片付けるまで待って欲しい、という程度だったが、流石にコンドームが、それも丸々一箱とあっては見つかった日には綿谷家は大騒ぎになる。下手をすれば隣近所にまで話が広まりかねない。 「取り敢えずさっきの紙袋ん中、突っ込んどくか……帰ってから考えよ」 ドラッグストアの紙袋に箱ごと仕舞い、着替えが入った鞄の一番底へ押し込んだ。 「……ふう、今度は暑いよー」 湯船で十分暖まったらしい千早が湯上がりのホコホコした顔で出てきた。浴衣帯がベッドの上にあるため、前を合わせて手で押さえながら部屋に入ってくると、自分の服を片手で掴む。 「えっと……ゴメン。き、着替えるから……向こう、向いてて」 「え、あ、ごめん。……こうでいい?」 新は千早に背中を向けるようにベッドの縁に座り直した。もっとも狭いシングルルームのベッドサイドには大きな姿見がついたテーブルがあり、ほんのちょっと視線を横にしただけで千早の姿がまともに見えてしまうのだが。 (……なんか覗き見してるみたいで、気ぃ引ける……これ……) なるべく早く着替え終わって欲しい、と新は心の中で念じながら目線一つも動かさず待った。 「ごめんね、新。もういいよ」 言いながら千早が隣に腰を下ろしてきた。 「ん。なら続き見よっか」 スリープ状態を解除して、新は内蔵プレーヤーの再生をクリックした。 「さっき止めたとこ、新が『ちは』から連取して『わたのはらや』送ったとこだったよね?」 一時停止させた直前の試合経過を千早が確認してきた。 「ほや。ちょうど太一が送った札自陣に置いたあたりやの」 新が頷いた途端、画面の中で太一がその大山札を囲い、新は自陣の「わ」札を素早い渡り手で全て払う。 「空札かぁ。惜しかったねえ」 千早の言葉に、決まり字前に動いてしまうからそのリスクはあると新は答える。 「……ほんで太一が送ってきたのが『つくばねの』やった」 「え? さっき『つきみれば』出てたよね? ……加速が凄い新に、一字になった札を?」 「おれの送り札と同じや。太一も『意味』として札選んできたって事。……『つくばねの』の歌意、知ってるやろ?」 男女川の淵のように、私の恋心も積もり積もっています、という「つくばねの」の歌。 「……それは、分かるけど……。でも、こんな言い方するのも何だけど、私がもう新に自分も好きだって返事したのに?」 千早は複雑そうな顔をしている。 「太一が自分でそう決めた事やし。おれら二人を見てて太一がもう耐えられんって思うまでは、今のまんまでいい気もしてるって試合の後言うてた。……まあ本音言うんなら、おれかって今の送り札の意味とか、千早に説明すんのは複雑やざ」 新は少し憮然とした顔で最後の一言を付け足した。その手を千早がきゅっと握る。 映像の中で試合はどんどん進み、ついにお互い手持ちが一枚ずつになっている。 「持ち札、何だったの?」 やはり遠目の画面では取り札の文字が判読できず、千早が問うた。 「おれのが『ゆふされば』、太一は『たちわかれ』」 新がそう答えた次の瞬間、画面内で太一が手を伏せていた。 「ええ? 太一って運命戦、今まで自陣出た事一度しかなかったのに! すごい、珍しい……」 千早が目を丸くして驚いている。 「いっぺんだけって、ホントか? ……あいつ、運悪いんやなあ。……や、その太一に運命戦で負けてるおれの方がもっと運がないんか」 この時の太一が、原田に諭された通り「読まれそうにない札」を先に新へ送っていたという事情を知らない新は苦笑するしかない。傍らで千早が小声で何か呟いている。耳を澄ますとそれは太一からの送り札を中盤あたりから思い出していると分かる。 「どしたんやし?」 「あ、うん。太一の送り札の選び方が、知ってたのとちょっと違ってたから。何か原田先生の送り札っぽかった」 「……原田先生の? ……そう言うたら、原田先生の運命戦って大抵自陣が読まれてるんやったな」 という事は、太一は原田の戦い方を自分のものにし始めているという事だろう。新しいスタイルを吸収する能力は流石だ、と思わざるを得ない。 試合が終わった所で再び映像が一旦途切れて、二試合目の暗記時間終了までがカットされていると分かる。 「読み、新のとこの……ええと、村尾さん? だっけ?」 「うん。なるべく公平にしたかったでお願いしたんや。村尾さんもこの前の吉野会大会で太一に負けたで、読みながら偵察やー、とか言ってくれてた」 村尾のそれは新や太一への気配りだろう。画面の中では試合がテンポよく進んでいく。 「今回は新、加速とか渡り手、序盤から出してるね。……一試合目のは作戦?」 「……まあ、の。これと次の試合は『ちは』空札やし。ほやで……まあお互い普段通りに取ってるわ」 特定の札への拘りがない試合となると、やはり新のかるたの方が一枚上手なのは間違いない。太一も攻め時には果敢に攻めているが、新のあの爆発的な加速の前に札際で競り負けている。 「あっ、空札……今のってさ、太一フェイント仕掛けてきてた?」 「うん、まあ読まれてえんのも残ってたで、半分は博打やの。太一は運動神経いいで、決まり字聞いてからでも止まれるのは凄い」 そう答える新の顔には「自分には通用しない」と書かれているようだったが、ふと何事かを思い出して短い溜め息を吐いた。 「……どうしたの?」 「ああ、いや……太一はさ、コツコツ努力してきたタイプやろ。ほやで『得意を崩す』って戦い方があんま通用せんくての。ほやで結局正攻法で叩くしかない。……次に当たる時は、もっと手強いやろの、太一は」 「……うん、そうだね」 新の言葉に千早も厳しい表情で頷く。恐らく夏の高校選手権が、高校生としての太一が出る最後の大会になるだろう。そして今は三人とも同じA級にいる。二日目の個人戦で千早と新のどちらが先に太一と当たるかは分からないが、自分の持てる全力で戦うのが友人への最大の誠意だろう。 「今度の近江神宮での高校選手権。きっと私達には、名人戦クイーン戦より大事な戦いになる。……新と太一、どっちかとしか決勝で戦えないのが残念だけど」 「……確かにの。千早と太一、どっちと戦いたいかって聞かれたら、おれも流石に今年は迷うわ。……ほやけど」 新はそこで一度言葉を切って、右手を差し出してきた。 「おれは学校が違うで、準決勝と決勝で二人に当たる確率はちょっとだけ高い筈や。……よろしくの」 「……うん。私も全力で行くから、よろしくね」 真正面から新の視線を受け止めて、千早は新に握手で返した。 |