No Regret side-T 6
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次々に札が詠み上げられる中、ずっと緊張を強いられて太一の神経は徐々に消耗していく。確かに新の渡り手を警戒して自陣の配置を普段と少し変えたのだが、自分が送った札を新は何故か渡れる位置に置かず、意図が読み切れない。 (そう言えば噂は聞いた事があるな……新のお祖父さん、永世名人も何を考えてるか分からないイヤなかるただったって……) 「なにわえの───」 空札が詠まれるが、新も太一もぴくりとも動かない。 (……無駄に動く相手じゃねえよな、やっぱ……) 太一の記憶力は試合中詠まれた札を順番にでもランダムにでも思い出せるほど優れているが、新が札を把握する能力も遜色ないものだ。ただ太一から見た新は、詠まれた札の把握でフルに脳を使っていてもその疲れが自分ほど表に出ていないように思える。 (涼しい顔しやがって……) 新の取りを千早は「水が流れているよう」と言っていたが、太一には新本人が、風が起こすさざ波さえ届かない深い水底のように思えて仕方がない。 「きりぎりす──」 空札が続く。太一は一度大きく呼吸をして既に詠まれた札を素早く頭の中でチェックし直した。 (落ち着け……慌てずに急げ。おれにとって最適な『矛盾の交点』で取ればいい……) 富士崎高校の合宿に参加した時、顧問の桜沢が口にした言葉を太一は心の中で繰り返す。かるたは早すぎればお手つきになり、遅ければ取られる「矛盾の競技」だと。 「ころもかたしきひとりかもねむ───」 余韻が響く中、太一はよし行こうと自分を奮い立たせて構えた。 「───ち」 (来たっ!) そこにあるのは札ではなく、千早だ。その思いで太一は全身のバネを利かせて一気に飛び出して右腕を伸ばす。札の縁にもうすぐ中指が届く、と思った瞬間「は」の音が耳に届く。 (……うわっ?!) 一瞬全身に物凄い風圧を感じたような錯覚に陥った。読手が立っている台に札がぶつかったカツンという軽い音が鼓膜に届き、太一はようやく今感じた風圧のようなものは、自分の手を追い越して「ちは」を払った新の「超加速」がもたらしたものだと気が付いた。 「……」 札を拾って戻ってきた新と一瞬視線が合った。席に戻った新は自分の脇にその札をそっと置く。 (新、そういう事、だったのか……) この試合が始まってから「ちは」が詠まれるまで、新は何故か「超加速」を出してこなかった。始めは加速なしでも勝てると考えているのかとも思ったが、得意技をいつ出してくるのかと考える事自体、かなり神経を消耗すると気付く。そして新のさっきの表情で、新もまた「ちは」だけは絶対に取り負けないと決めていたのだと知った。 「ちは」を取った新が、そのままの勢いで次に出た太一陣の札を綺麗に抜いた。 「送ります」 差し出された札を見て、太一は今さっき新の目を見て感じた事は当たりだという思いを深めた。 『ひとにはつけよあまのつりふね』 (……宣戦布告、はこの前電話で済ませてる。……これは新の『言行一致する』って決意表明だ) 新の祖父もよく「兄弟」とからかわれた「わたのはらや」。「綿谷新」が「ちは」を取っての送り札にこれを選んだ意味を、太一は他に考えつけない。なら受けて立ってやる、と意気込みかけて、太一ははっと気を引き締めた。 (落ち着け、おれ。……そうやって一々熱くなって気負ってばっかだったろ。今日の試合は、勝ち負けが大事なんじゃねえ。……昔のおれと決別するために、今のおれが持つ全てを出して戦う事が一番大事なんだから……) 「……失礼します」 札を置く前に、太一は一度席を立って息を整える。自分の頭が十分クールダウンした事を確かめて、一礼して席に着くと送られた「わたや」を右陣に置いた。 二人が両手を付いて構えると、読手は手にした次の札を詠むため静かに息を吸い、一音目を出そうと口を大きく開けた。 「───わ」 (……送り一発?! させるかよっ!) どういう訳かは分からないが、送ったり移動した札に限って直後に詠まれる事が多い。太一はついさっき右陣に置いた「わたや」を右手で低く低く囲う。新は素早く腕を左右に動かして自陣の「わ」札を全て払い終えている。 「───すれじの」 (空札か……) どの札を送ろうか、と考えている太一の目が「つくばねの」にふと止まる。中学時代の授業で確か歌意を教わった筈だ。 (さっきの送り札に返すんなら、これ……だろうな) 己の恋心が男女川の淵のように積もり積もっていると詠まれた一枚を太一は静かに差し出すと、新の眼鏡のフレームがきらりと反射して、彼が顔を動かしたと分かる。片手を顎に当てて暫く考えた後、新はふっと笑ってその札を普段通り、右上段に配置して構えを取る。 場にある札が一枚、また一枚と減っていき、ついに太一の陣には「たちわかれ」新の側には「ゆふされば」を残すだけとなった。 (空札は……あと何枚だ……? 落ち着け、大丈夫だ。……原田先生がやったように、札は送れた筈なんだから……) 高校選手権団体戦決勝で「もう一生自陣が出なくてもいい」と願掛けをした太一を、原田は「運命戦は運命じゃない」と諭した事がある。原田は長年の経験で培った「運命戦で詠まれない札」にある種の偏りがある事を、試合を通して太一に見せ、だからそういう札は早目に相手に送ってしまうのだと教えてくれた。 (新は強い。……本当に強い。でも広史さんが言ってくれた。白波会の人は知ってくれてる。……運も勢いも大してないおれがここまで来れたのは、今まで積み上げてきた成果だ、って。……だから、胸張っていいんだ) 少なくとも今こうして新と対峙しているのは、負けるのが嫌で眼鏡を隠し、こっそり札を動かした狡い自分ではない。頭の中までクタクタになりながらも、太一は自分の心が少し軽くなるのを感じていた。 「───」 読手が札を掲げて息を吸う気配が伝わる。次の瞬間太一は素早く手を伏せていた。 「……ありがとうございました」 目の前で新が頭を下げているのは見え、ようやく自分が今の運命戦を制したという事が頭の中にゆっくり染み入ってくる。しかし嬉しさはあまり感じていない。 (試合には勝った……けど『ちは』も『わたのはらや』も取り負けた。……喜べる訳、ねえだろ……) 対面に座る新の方をちらりと見ると、深々と息を吐き出した後、唇を真一文字に引き結んで険しい表情を浮かべている。だが太一の視線に気付いたのか、ふっと小さく息を漏らして普段通りの顔に戻る。 「次は、負けんざ」 強気に告げてくる新の一言で、太一もようやく唇の端を持ち上げて言い返す事が出来た。 「おれだって」 |