No Regret side-B
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奏たちとの「お泊まり会」からしばらく経って、千早の携帯に新から風邪が治ったと知らせるごく短いメールが届いた。 (……新に、言わなきゃ。……今の時点で私が思うこと……) もしかしたら酷く身勝手だと詰られるかも知れないが、新に対して嘘や誤魔化しのような事は言いたくない。千早は大きく深呼吸を一つして、新の番号を呼び出した。 『……はい、綿谷です』 「もしもし……千早だけど、今……話していい?」 新は大丈夫だと答えてくれたので、千早は早速本題に入った。 「あの、新。あれからずっと、考えてきたんだけど……。私、確かに新の事は好きだけど、……もしかしたら、新が言ってくれたのとは意味が違ってるんじゃないかって……思うの」 受話器の向こうから、はっと息を飲む音が千早の耳に飛び込んでくる。 「私ね、今まで一度も恋愛ってした事なくて。だから自分の中にある好きって気持ちがどんな意味なのか、少なくとも今はまだ、分からないんだ……」 『ほう、か……』 「身勝手って言われるの覚悟の上だけど、新が東京の大学に入って、一緒にかるたが出来るならそれは私にはとても嬉しいよ。……でも、私には新に何の保証も出来ないから……進学先も、私との友達付き合いも、新の気持ちに任せたいの」 『おれに任せるって、例えば今の、言うたら片思いやけど……そのまま東京で友達付き合いするのを、おれが耐えられそうにないって思ったら、千早との連絡をもう絶ってまう、みたいな事か?』 新の口調は普段通りの落ち着いたものだが、その言葉は千早の胸に刃のように突き刺さる。 「そう。恋人として見る事は出来ないけど、今まで通り友達でいようよ、なんて虫が良すぎる話だもん……。ただ、一つだけお願いしたい事があるんだけど、聞いてもらえるかな」 『……どんな事や』 「ん……。もし、新が今話したみたいにもう無理だって思ったら、その事だけはメールでもいいから伝えて欲しいんだ。そしたら私も……もし私が相変わらず新に電話とかしたら、新の事傷つけちゃうかも知れない。……そんなのは、嫌だから」 『───分かった。何日かじっくり考えてみるわ。ほんでいい?』 「うん。勝手な事言って、本当にごめんなさい」 それで会話は終わった。何の物音も立てない携帯電話に向かって、千早は何度も「ごめん」と呟いた。 「……はぁ……」 携帯電話を手にしたまま、新は自室の床にドサリと横になった。 (……決定戦の時、断られんかったで自惚れてたんかな、おれ……やっぱちょっと、ショックやなあ……) それでも千早は精一杯誠実に返事をくれたのだから、自分も真剣に考えなければと思い直してようやく身体を起こす。 「もう嫌やって思ったら、知らせろ、か……。ほんなもん、東京行ってみんと実際どうなんか分かる訳ないが……。行ってからもう耐えられんって思ったかって、四年は福井に帰られんって、千早分かって言ってるんやろか……?」 多分、千早もそこまで考えて口にしたのではないだろう。新が知っている千早はどこまでも真っ直ぐな人間で、その思いから出た言葉はそのまま受け取っていい筈だ。 (さっき、電話で何て言うてたんやった……?) 持ち前の記憶力を発揮して、新は千早との会話を正確に思い出す。 『今まで一度も恋愛ってした事なくて。だから自分の中にある好きって気持ちがどんな意味なのか、少なくとも今はまだ、分からない』 「……保証が出来ん、っていうのは、千早の気持ちが動くんか動かんのか、本人にもまだ分からん、そういう事か……まあ、安直に付き合ったりとかして、後で『やっぱ好きにはなれん』って言われるよりは、ずっと正直やし、マシやわの。もし、ほんなんやったら……おれ、もっと凹むやろなぁ」 そう独りごちた新の表情がはっと引き締まる。 (千早の気持ちが動くかどうか、だけでない。おれ自身の気持ちもやし、千早はそこまで見越して言うて来たんでないんか? ……もしそうなっても千早はおれを傷つけたくないって、言うたんでないんか? ……自分の身勝手やって言うて……) 新は胸に溜め込んでいた息を長々と吐き出した。 「……あかん。完璧に、おれの負けや。……て言うか……」 その先を言葉にするより早く、新の手は携帯電話の通話ボタンを押していた。呼び出し音が続く間のこのじりじりした落ち着かなさを、さっきの千早も感じていたのだと思うと、どうにも切ない気分になる。 『……も、もしもし……』 「あ、千早? ……新やけど。さっき千早が言うてくれた事。ありがとの。……おれの事傷つけたくないって。実はの、さっき言われた事色々考えてたら、おれ……分かったんや」 『……何、を?』 自分の答えを聞いたら千早は一体どんな反応を返すだろうか。 (顔見えんの、残念やけど……まあ、いいか) 「千早はいつも正直や。……そういうとことか、もっと好きんなった。欲言えば、おれかって千早が同じ気持ちやったら凄く嬉しいけど、そうならんくても、やっぱ好きやわ」 『え? ……あの、新……。私が聞くのも変だけど、……ホントにそれでいいの?』 「うん。千早の気持ちが動かんくても、それはおれに魅力がないだけや。ほやけどおれにとって千早は、好きな女の子ってだけでのうて、やっぱ一生友達で居たい相手やし、一緒にかるたしたい一番の相手やから」 日頃は口数の少ない新が迸るように紡ぐ言葉を、驚かされたまま千早は聞き続ける。 『ほやで、おれからも同じ言葉返すわ。進学先とか、おれとの友達付き合いとか……ほういうの、千早も千早の意志で決めて。将来の目標とか見据えたら行きたい大学とかかってあるやろし』 受話器越しに伝わる新の声からは構えたものが何もないように感じられた。 「新……ありがとう。私も新と一緒にかるたしたいな。……たださ……?」 そこで千早は小さく溜め息を吐いた。 『ただ、何や?』 「や、あの……ね。新が行く大学のランク高かったら……。私の模試の判定っていう、超現実的な問題が出るかも、って……。勿論出来る努力はするけど、例えばもし新の志望校が太一と同じ大学とか言われたら、流石にさ……」 『……太一の志望校って、どこやっけ?』 「あ、T大かW大の医学部らしいよ」 千早の答えを聞いた新が受話器の向こうで吹き出した。 『それはおれも無理や。……おれんち、ほんなお金持ちでないで、仮に一般入試で大学行くにしたかって浪人も留年も出来んしの。身の丈に合うたとこ行くつもりや。……学部はまだ決めてえんけど。千早は教育学部やろ?』 「あれっ、私それ新に言った事あったっけ?」 『吉野会大会終わった時にさ、高校の先生になりたいで、修学旅行体験しときたいって言ってたがし』 それを考えれば志望学部もすぐ分かる、と苦笑混じりの声で新に言われ、千早もようやく声を立てて笑う事が出来た。 『身の丈かあ……うちも同じかも。まだ志望校絞りきってないけど、国公立一本なのは確かだし』 電話の向こうで姉が芸能科があるエスカレーター式の私立校に進んだため、高校受験の時から自分の進路は全て公立と決めていた、とさらりと言っている。千早のその声は、志望校の幅が狭まる事を特に嘆いている風もないように新には聞こえた。 「ほうなんや。推薦で受ける先とか、知らせた方がいいんか? 千早に」 (……おれも大概素直でねぇのぉ……) 一緒の大学に進みたい、と言えば済むものを、どうにも回りくどくしか口に出来ない、と新は内心溜め息を吐く。 『あ、知りたい! 分かったら教えてくれる? ……同じ大学だったら、一緒にかるた出来る時間一番多いもん』 やはり率直さでは千早に到底敵いそうにない。 「あ……ほやったら決まり次第……連絡するわ」 一緒にかるたが出来る時間の長さ、と千早は言うが、新はやはりそこに淡い期待を持ってしまう。 (往生際悪いんかな、おれ……さっき、千早に自分の意志で決めていいって言うたとこやのに……) 『……新、あのね』 電話口の千早の口調が不意に真剣味を帯び、新は急いで頭を切り換えた。 「……何?」 『私ね、もっともっと強くなりたい。新にかるたの楽しさ教えてもらったけど、その時知ったのはかるただけじゃなくて、新の情熱もだった。……それを正面から受けて立てる人間になりたいって、ずっと思ってきたし、それは今も変わらない』 そう告げる千早の声は、普段よりずっと落ち着いて聞こえた。 『右手ケガして、近江神宮の個人戦、私……左で取ったけど。あの時もね、右手で取れるのが一試合だけなら、新とって思ってた』 「……うん」 千早のその一言は、どんな告白より新の胸に染み渡っていく。千早や太一と再び連絡を取るようになって、両親にも高校選手権で優勝する事を条件に東京の大学へ進む事を認めて欲しいと言ってはいたが、その想いがはっきり輪郭を明らかにしたように感じたのが、千早が左手で懸命に取っていた試合を見た、あの時だと思う。 『だからね、新から一緒にかるたしようって言われた時、すごく……凄く嬉しかった。だから、全力で行くよ、私』 (何やろ……。好きやって言葉に返事されるより、嬉しい気する……って言うか、恋とか愛とか、ほんな話突き抜けてもてる。……ほやのに、今……何か凄く千早がすぐ側に居るって感じした……) 自分の心が、まるで千早の両手に鷲掴みにされて大きく揺さぶられているような気がする。 「……おれもや。試合だけでない。昔じいちゃんとしたんたな勝負でも、全力出すざ」 「……勝負って?」 新が祖父とした事だから、かるたの事には間違いないのだろうが、試合とはニュアンスが少し違っているように聞こえ、千早は問い返す。 『はは。じいちゃん病気する前な、かるた大好きな事やったらまだまだ新には負けんよ、って言うて。素振りでも札流しでもいいで、どっちが先にイヤんなるか勝負しよっさ、ってよう言うてたんや』 新は懐かしそうな声で幼い頃の自分と祖父のやり取りを話してくれた。勝負や、と言う祖父に新が言い返すと、永世名人の肩書きがあるはずなのに、唇を尖らせて「まだまだ負けん」と答える祖父の姿は今でもよく覚えている。 「え、じゃあその勝負を、私ともしてくれるの?」 『ほや。おれ負けんしの』 突然新の声に挑発のトーンが混じり、千早は釣り込まれるように「自分も負けない」と言い返す。 『勝つのは、おれや』 何度か同じ言葉の応酬が続いた時、千早はその会話を以前もしたようにふと思って記憶を探る。 (……あ、そうだ。新が引っ越す前の日、あの部屋で最後にかるた取った時に、言ってたんだ……) 「ふふっ」 『何やし、急に笑ろて。何か変な事、言うたか?』 「ううん、新の引っ越し前に取った時も勝つのは自分だって言い合ったなあって、ちょっと思い出しちゃった」 『……あ……。ほやった、言うたなあ』 新が低く笑っている。あの日は三人とも泣いてしまったが、今はこうして笑いながら言えるのが嬉しい、と千早は柔らかな声で新に返した。 |