No Regret--
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「──ありがとうございました」 試合終了の礼を交わした時、畳の上に残っていた札は千早の手元にあるたった一枚だけだった。 「悔しいー! 僅差負けって、一番悔しいー!」 「……」 勝った筈の新までもが、物凄い形相を浮かべている。 (……流れの呼び込みは、おれの方が上やったのに……追いつかれた……) はあっと胸の中に溜まった息を吐き出して、ようやく新は普段の表情に戻った。 「新ー、千早ちゃーん。ご飯やよー」 階段の下から麻里が呼んでいるのが聞こえた。 「……え? えっと……私も、って事?」 「ほやろの。母ちゃん用意しつんたんやろ、多分。おれも前に村尾さんとこ行ったら家に上げられて、山盛りのご飯出された事あるし。田舎はほんなもんやで、気にせんでもいいざ。下、降りよっさ」 新に背中を押されるように、千早は階段を下りる。階段の下には麻里が笑顔で待っていた。 「ああ、来た来た。ほら新、もたもたしてえんと千早ちゃん案内しねの。千早ちゃん、普通ーのご飯やけど、堪忍しての?」 「いえっ、あの、ぜ、全然……」 何と答えていいのか迷っている千早に新は、無理に何か言おうとしなくても母は分かっていると笑ってかぶりを振ると、言いつけ通りに千早を居間に案内する。かるたを取っている間に帰宅したらしい父が既に席に着いて待ち構えていた。 「あ、父ちゃん帰ってたんか。お帰り」 「おう。はあー……母ちゃんから聞いてたけど、話以上に別嬪さんやなぁ……。新、でかした!」 挨拶も何もすっ飛ばして彰は新の背中を何度も叩く。 「な、何がやし……ごめんな千早。何かもう、今日うちのもん全員テンションおかしいわ……」 「え、あ、ううん。わ、私の方こそ……図々しくお夕飯とか……。あ、じゃなかった。あ、あの。初めまして。綾瀬千早です」 席につく前に千早は試合同様きちんと正座して頭を下げる。礼儀を重んじるかるたをやっていて良かったと内心千早は胸を撫で下ろした。 「礼儀正しい子やなあ。……新の父です。まあ、こんな家やしこんな息子やけど、仲良うしてやっての」 こんな、と言われた当の新は少々憮然とした顔になる。 「さあ、ほんならご飯にしよっさ。……はい、千早ちゃん。一杯食べてのー?」 麻里が茶碗を差し出して、そのくすぐったい会話を打ち切った。 「……千早ちゃんは、かるたどのくらいやってるの? やっぱりクイーン戦とか出るんやろか?」 食事の合間に麻里が問うてきた。 「新に教わったのが最初だから、もうすぐ六年目です。クイーン戦は……来年出ます」 千早はきっぱりと言い切った。 「おうち、府中市やったっけの。ご家族はお勤めされてるんかの?」 「はい。父はサラリーマンで、母はスーパーのパートやってます。おね……姉は雑誌のモデルとか、最近テレビにも出てます」 千早はさらりと答えるが、隣に居る新がどことなく険しい顔をしているように感じた。 「……どしたの、新?」 「え、……いや。……母ちゃんら、ほんな根掘り葉掘り聞くの止めねや……失礼やが」 確かに地元の友達と違い、千早のバックグラウンドを両親は良く知らないが、これではまるで品定めのようだと新は溜め息を吐く。 「なにも疚しい事ないし全然気になんないけど?」 言葉通り、千早は全く気にした様子がない。勧められるままに地元の総菜を口に運び、顔を綻ばせていた。 「ご馳走さまでした! すごく美味しかったです!」 言葉通り、千早の前にある食器は綺麗に平らげられている。 「お粗末様でした。……そういえば千早ちゃん、今日どっか泊まるんかの?」 「はい。さっきチェックインだけ済ませてきました」 「ほら、うちから歩いていけるとこに旅館あるが? 素泊まりで部屋取ってるって」 千早と新が口々に答えると、麻里は「ほうかぁ……」と呟いた。 「チェックインしつんたんなら仕方ないの。何やったらうち泊まればいいのに、って思ったでさ」 麻里の言葉を聞かなかった事にして、新は千早の明日の列車の時刻を尋ねた。 「あ、えっと夕方。切符が鞄の中だからちょっと今詳しくは分かんないけど……何で?」 「それまでの間、この辺り色々案内しようかなって思ったでさ。駅前やったら南雲会の栗山先生がやってる土産物屋とかもあるし」 「ほんと? わあ、助かる。うちの家族のお土産どうしようか迷ってたし」 千早は手を叩いて喜んでいる。 「ほんなら明日、朝迎えに……って、旅館素泊まりやったな。千早、朝飯どうするんや?」 「……え? んー、ハンバーガーでも買おうかなあって思ってるけど……」 「なら、一緒に食おっさ。……起きたら電話してや。ほしたらそっち行くで」 千早が頷いたところで一旦話を切り上げて新と千早は二階に上がった。 「はぁ、ご飯美味しかったー」 千早は畳に両脚を投げ出して座る。 「やったらいいけど。……宿まで練習着で行くんか? ……まあどうせ風呂入って寝るだけやけど……」 「新も泊まれたらもっと一杯話せるのになあ」 千早の一言は内心もっと一緒に居たいという新の心を揺さぶる。 (……おれまで泊まっつんたら、多分……て言うか、絶対話だけで済まんやろ……) 「む、無茶言わんといてや千早……」 「……だよね。ゴメン」 とは言うものの、こうもあっさり引かれるのもどこか物足りないと思ってしまうのは、自分が贅沢なのかと新はふと思ってしまった。 「おれかって、一緒に居たいけどさ。……ほうしたら、また千早と……したくなってまうやろし。ほやで、ごめんな」 千早が膝でにじって新の側に寄ってきた。 「別に謝るほどの事じゃないと思うけど……でもいつか、新と一晩中色んな事喋ったりしてみたいかな。六年近く離れてた分、みたいな?」 「……まあそれも悪ないの。……なら、これ……手付けや」 新の隣に座っている千早の唇に、新は自分の唇をそっと重ねた。 ◇ ◇ ◇ 翌日の夕方。駅のホームで千早と新は手を繋いだまま、口数少なくベンチに座っている。朝、新が宿に迎えに来た時はお互い上機嫌だったが、やはり列車の時刻が近づくにつれ、千早の元気が見る見る萎んでいくのが新にも分かった。 「新……帰るの、寂しいよぉ……」 「おれかって、帰すの嫌やけど……しょうがないが」 それでも千早は俯いてしまう。 「電話するで。なるべく、いっぱい掛ける」 「……うん」 「練習で電話無理やったら、メールするで。千早も、遠慮のう電話くれな?」 「うん……」 千早の答えは単調だった。新はおもむろに自分の腕時計を外して千早の手に握らせた。 「これ、貸しとくわ。……次に会うた時に、返してな?」 「え、あ、じゃあ……私も、これ……」 千早も愛用の腕時計を新の手のひらの上に置いた。新の腕時計にはまだ、温もりが残っている。千早は宝物のように新の腕時計を胸元に押し当てた。 列車がホームに入るというアナウンスが流れ、いよいよ千早が東京に帰る時間が迫ってきた。 「千早、ちょっと耳貸して」 新は片手を繋いだまま、千早の耳元に口を寄せ、千早にだけ聞こえる小さな声で言葉を送った。 「……離れてても、おれの気持ちは変わらん。ほやで、寂しがらんと行けばいいざ。……の?」 「うんっ……うん。私も、だよ……新ぁ……」 特急電車がホームに滑り込んできた。新は千早の手を一度強く握り直す。 「さ。……行きね」 乗り込む列の一番最後に千早は電車のドアを潜る。繋いでいた手が少しずつ離れ、扉が閉まる。 『あらた』 ガラス越しの千早の唇が自分の名を形作るのが見える。新は大きく頷き返した。次の瞬間、ガタンと音がして列車は動き出す。千早は車両に移動せず、ドアからずっとこちらを見たまま佇んでいる。新はそんな千早を追い掛けようとホームを早足で移動するが、徐々に千早の姿が小さくなっていき、とうとう追いつけない程離されてしまう。 (千早……来てくれて……おれの事好きやって言うてくれて、ありがとう。次に会うた時、今離れた分も……一杯、一杯伝えるで……おれの、気持ち……) いつの間にか滲んでいた涙を不器用に拭い、新は踵を返して駅を後にした。 |