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No Regret--

番外



 旅館へのチェックインだけを済ませて、新は千早を連れて自宅へ再び戻る。宿へ向かっていた時も、昔から見知っている新が今まで見かけた事のない、しかも飛び切りの美人と手を繋いで歩いている事で人目を引いていたが、多分その話が伝わったせいだろう、帰り道に二人に集まった注目はさらに高まっているようだった。
「……あれ、綿谷さんとこの子やなぁ?」
「一緒に居るの、由宇ちゃんと違う子やがの」
「えらい別嬪さんやし、新くん手ぇ繋いでるが? ……ほう言うたら、あそこんちのお爺ちゃんも若い頃二枚目やったけど、ますます似てきたのぉ」
 玄関先や商店の店先で小声で交わされる会話だが、二人の耳はそれらを全て拾ってしまう。

 「……何か、ゴメンな。えらい色々言われてるけど、みんな悪気あって言うてるんでないで」
 都会とは時間の進み方そのものが違うのではないかと思うぐらい、田舎は「変化」が少ない。逆に新にとっては大会で時々東京に出ると、その変化の速さに戸惑いも覚えるのだが。
「平気だよ。かるたの試合の時の方がもっとプレッシャーきついし」
 千早はリラックスした笑みを浮かべてさらりと答えてきた。
「……ほやな。なら早いとこ戻って、一試合しよっさ」
「うん! ……ふふっ」
「何やの、急に。……どしたんや?」
 クスクス笑う千早に問うと、千早は新の目をじっと見て言葉を紡いできた。

 「初めて新とかるたした時も、読みはカセットデッキだったから……何か懐かしいなって思って」
 東京に居た頃の、古いアパートの光景が二人の脳裏に甦り、二人は相好を崩す。
「新が凄く強くって、私全然取れなくて。それが物凄く悔しくって……。でも悔しいって思えて良かったって今は思ってるの」
「……おれもあん時、かるたやろうって千早に言えて……ホント良かった」
 話題がかるたに移った途端、千早も新も周囲の話し声を完全に意識の外に締め出してしまう。白波会での源平戦や、団体戦に向けての特訓、新が福井に帰る前日に千早と取ったかるた。高校に上がって再会してからの、お互いのかるたや思っていた事。今までなかなか会えなかった分、話したい事は尽きないようだった。

 「あ、そや。おれ、千早に一つだけお願いしたい事あったんや」
「……どんな事?」
 新の真剣な視線を真正面から受け止めて千早は答えた。
「おれら、今までってあんまり会えんかったやろ。話せる時間も限られとったし。……ほやで、おれには千早が心ん中で思ってるだけの事は上手く酌み取れんのでないんかって思う。なるべく察したいとは思うけど、多分簡単ではないやろ」
 太一のようにずっと側に居た訳ではない自分には、同じように千早の心情を慮る事は難しいだろう。事実、これまでにも何度か千早が傷つくような言葉を発してしまった事もある。
「ほやで、こうして欲しいとか、こうやったらいいのにとか。千早が何か思った時は遠慮せんと言うて欲しいんや」
「うん。じゃあ早速一つ、いい?」
 千早の言葉に新は真面目に頷き返した。
「……私、超能力者じゃないし、頭もそんな良くないから、新が思ってる事とか簡単に分かんないよ? だから、新もちゃんと話して?」
 眼鏡の奥の新の目が、大きく見開かれ、それから弓の形に変わると同時に広い肩が震え出す。
「千早の言う通りやな。……お互いに伝えんと、あかんよな。うん、おれもちゃんと、言うわ。千早には」
 くすくすと笑い合いながら、また手を繋いで自宅へと歩き出す。
「さっき新さ、太一みたいに側にいた訳じゃないからって言ってたけど……。元々別の人間なんだし、考え方とか何かを知ろうとする方法って違ってて当たり前じゃないかなあ。……それに今までだって、分かってくれてたじゃん。私の事とか」
「ん……。多分おれ、太一の事羨ましかったんや。千早と一緒に居って、一緒のチームでかるた出来て。……ほやけど千早の言う通りやの。元から違う人間なんやで、誰かを理解する方法かって、人それぞれやもんな。おれはおれなりに千早の気持ちを理解していくわ」
 迷いが晴れたすっきりとした笑みを浮かべて新は言う。その顔に千早も柔らかな笑顔で返した。

 家の門が見えてくると、玄関に明かりが点っていて母がすでに帰宅していると分かる。
「母ちゃん帰ってるんやな。……ただいま」
「あー、お帰りー、新……もうちょっとしたら、ご飯やで……の」
 台所から出てきた新の母親の言葉が途中で止まる。
「こ、こんにちは」
 千早は身体を二つ折りにする勢いで頭を下げた。まだ母の麻里はぽかんとした顔を戻せないでいる。
「……えっと、母ちゃん。……か、彼女の……千早」
「は、初めまして! 綾瀬、千早です」
 ようやく息子の言葉が頭に入ったのか、麻里は急にはしゃぎ出した。
「まあ、いらっしゃい! 上がってって? ……良かったらご飯食べてってのー?」
「母ちゃん、ちょっと落ち着いてや、もう……千早も、初めましてでもないやろ。昔東京でいっぺん会うてるがし」
 新の一言で麻里はああ、と大きな声を上げた。

 「あん時のガールフレンドちゃんなんや! うわあ、随分と別嬪さんになったんやのぉ。ああ、ほやった。玄関で立ち話でもないの。上がんね上がんね? ええと、千早ちゃんやったの? 新と、仲良うしてくれて、ありがとの」
 新は先に靴を脱ぎ、取り敢えず母親を止めに入る。
「母ちゃん、ほんな一気に喋ったら上がるも何もないやろ……千早、上がって」
「お、お邪魔します」
 千早はぎくしゃくと靴を脱ぎ、新に言われるまま隣に立った。
「あらー、千早ちゃんって背ぇ高いんやのぉ。そやって並ぶと、新より足長いんでないやろか」
「……何でほんなテンション高いんやし、母ちゃん」
 照れ隠しに新が乱暴に言うと、意外にも麻里は朗らかに笑う。

 「ほやったかって東京に居た時、新、ずっと元気なかったが。それが変わったの、千早ちゃんがアパートに来てからやが? 東京に居た時にお礼言えんかったさけ(言えなかったから)、いつか会えたらお礼言いたかったんや」
 麻里は千早にまっすぐ向き合うと、柔らかな笑みを浮かべた。
「千早ちゃん、新とずっと仲良くしてくれてたんやの。……ありがとう」
「あ、あの……そんな、お礼言われるような事、私……何も……。それに、新がかるたを教えてくれたから、私も自分の夢とか将来の目標とか、考えられるようになりましたし……だから、こちらこそありがとうございます」
 千早は持ち前の真っ直ぐさを発揮して、麻里に深々と頭を下げる。
「いい子やのぉ。千早ちゃん、今度おばさんとお洋服とかお買い物行こっさ。千早ちゃんやったら、何着ても似合うやろのぉ。……あ、お母さんって呼んでくれても嬉しいわあ」
「もう、母ちゃんその辺にしといてや。おれら今からかるた取るんやし。……千早、行こっさ」
 照れ臭さが限界にきた新は千早の手を引いて強引に二階に上がる。辛うじて会釈を返し、千早は手を引かれるまま階段を上っていった。

 「……なんか、ゴメンな千早。うちの母ちゃん女の子欲しかったらしいんや。……放っとくと、おれの物まで赤とかピンクとかにしてまうし……」
「え? 全然気にしてないよ?」
 千早はそう口にした後、ぽつりぽつりと小学生の頃、自分はあまり両親に話を聞いて貰えなかった、と呟いた。
「勿論タイミング悪かったのもあるし、お姉ちゃんの事に比べたらちっぽけな事だろうけど……私には初めて貰えた賞状だったから、やっぱりちょっと、寂しかった。だから、新のお母さんがさっき、私に会えたらお礼言いたかったって言ってきた時ね、新のお母さんは新の話をちゃんと聞いてたんだなあって、いいなあって……思ったの」
 少し伏し目がちに言葉を紡ぐ千早が、あまりにも寂しそうに見えて新は思わず腕を引いて千早を抱き締めた。
「今も、寂しかったりするんか? 千早は」
「……ううん。袴を買ってくれた時にね、お母さんがかなちゃんのお母さんに言ってたんだけど、前に一度試合を見た時思ったんだって。『かるたをやっている限り千早は大丈夫だ』って。……それ聞いて、思ったの。お母さんは私を放っておいたんじゃなくて、かるたを信じてくれてたんだって。だから、今は寂しくない」
 新の背中にそっと腕を回しながら千早は静かに答えた。
「ほんなら、良かった……。あの袴、千早のお母さんの気持ち詰まった物やったんやの。道理で綺麗な筈や」
 腕の中で千早がこくんと頷く。

 「クイーン戦でもあれ着るんやろ? ネット中継やで、日本どころか世界中が見るんやな、千早の袴姿」
「……私、ネット中継見た事ないんだけど、どんな感じなの?」
 名人戦を近江神宮で直接観戦した千早は、今年からのネット中継の様子を知らない。
「何か、すごい自由やったざ。画面にばーーって文字流れての。ちょっと見づらいけど、あれはあれで楽しいわ。試合会場やと声出したらあかんけど、中継のコメントやったら大騒ぎしたかって聞こえんし」
 選手が入ってきた時の言いたい放題なコメントについて話すと、千早はようやくいつも通りの明るい笑い声をあげてくれた。
「もしかして来年私達も何か言われる? うわあ、どうしよう」
「いいがの、言わせとけば」
 モニターの向こうの人間が何を言うかより、二人揃って近江神宮に出て勝つ事の方が大事だ。新がそう言うと、千早はまっすぐ視線を合わせてから力強く頷いてきた。
「あ、でも私と新って、お互いの札の係だけは出来ないんだね」
「……お互い試合中やもんな」
 どちらかの札の係になるという事は、挑戦者になれなかったという意味になってしまう。それは互いに御免蒙りたい事だった。

 「さて。ほんなら来年目指して、一試合やろっか?」
「うん!」
 抱擁を解いた二人の顔から、想いを交わし合った者同士という甘さが同時に消え、倒すべきライバルを目の当たりにした強い光が宿る。この緊張感が心地良い、と言葉ではなく伝え合うと、新は札とデッキの準備にかかり、千早は練習着に着替えて髪を纏める。
「お待たせ。私はいつでもいいよ」
「こっちもや」
 畳の中央に置かれた札の箱を挟んで等距離に正座し、二人は深々と一礼する。
「よろしくお願いします」
 綺麗に重なった声だけが和室の空気に溶けていった。







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written by Hiiro Makishima